世界陸上ドーハ
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寺田的 世陸別視点 text by 寺田辰朗
- ミラー・ウイボからナセルへ、
女子400mの主役交代
ハッサンは変則2冠へ女子1500m準決勝突破 - 2019年10月5日(土) 19:30第18回
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大会7日目(10月3日)は女子選手の活躍に注目が集まった。
女子400mはS・E・ナセル(バーレーン)が48秒14の世界歴代3位、21世紀最高タイムで優勝して世界をアッと言わせた。本命視されていたS・ミラー(バハマ)も48秒37の世界歴代6位と好走し、名勝負がカリファ・スタジアムに展開された。
女子1500m準決勝1組には、大会2日目の10000m優勝者のS・ハッサン(オランダ)が出場。スローペースから最後の直線勝負になったが、4分14秒69できっちり1位通過を果たした。大会9日目の決勝で中距離の1500mと長距離の10000m、変則2冠に挑戦する。- 200mでスピードを研いたミラー
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女子400mの本命はミラーだった。 一昨年の世界陸上ロンドン(200m銅メダル、400m4位)で敗れたのを最後に、200mと400mで不敗を続けていた選手である。記録的にも400mは昨年7月に48秒97の世界歴代10位、200mは今年8月に21秒74(-0.4)の世界歴代11位タイをマークした。
今季のダイヤモンドリーグは400mではなく200mに注力。今大会の200m金メダリストのアッシャー・スミス(英国)に昨年から5連勝するなど、200mでも世界陸上に出たら金メダル候補筆頭と言われたはずだ。種目を400mに絞った世界陸上では、一気に記録を伸ばすことも予想できた。
そしてドーハでは、完璧に近いレースを展開した。解説の朝原宣治さんは「ナセルが前半からハイペースで飛ばしても焦らなかった」と指摘する。
「2年前のロンドン大会でミラーは、必要以上にアリソン・フェリックス(米国)に対抗してしまいました。200mを22秒8とオーバーペースで飛ばしてしまい、4位と敗れたのです。今日はナセルがオーバーペース気味に飛ばしましたが、ミラーは冷静でした。最後の直線で逆転するつもりで追い上げましたが、信じられない力を発揮したナセルに届かなかった。納得できる負けだったと思います。2人ともベストレースをした」
レース後は放心状態でトラックを見つめていたミラー。十種競技最終種目の1500mに出場する準備をしている夫(M・ウイボ=エストニア)の姿を探しているようにも見えた。
- 世界歴代3位の衝撃
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ミラーの評価が高かったので引き立て役のような印象があったが、ナセルも主役に躍り出るだけの実績は持っていた。
今季のダイヤモンドリーグは5戦全勝。7月のローザンヌ大会では49秒17と自身のセカンド記録を出していた。自己記録は昨年マークした49秒08でアジア記録でもある。
18年シーズンにも自己記録を0.80秒短縮したが、17年までの49秒88から49秒84、49秒55、そして49秒08とステップを踏んで短縮した。それに対してドーハの決勝では49秒08から48秒14に、一気に0.94秒も縮めて見せた。
その衝撃は見ている我々にも大きかったが、ナセル本人も自分が成し遂げたことへの感動を、どう表現していいかわからない様子だった。
「自分がどんなスピードで走っていたのか、実際のところわかりませんでした。しかしフィニッシュしたときにすごいタイムが見えたんです。興奮したし、信じられませんでした」
ナセルがマークした48秒14は世界歴代3位。ナセルより上には世界記録の47秒60、歴代2位の47秒99(世界陸上の大会記録)があるが、ともに1980年代に当時の共産圏国家の選手によって出された記録である。90年代にはM・ペレク(フランス)がアトランタ五輪優勝時に48秒25をマークしたが、2000年以降はベルリン世界陸上優勝のS・リチャード・ロス(米国)が、06年にマークした48秒70が最高記録だった。現在の選手たちは48秒50前後なら目標にできたが、48秒00前後を考えるのは不可能だった。
ナセルは「自分1人の力で成し遂げたことではない」として、2人の選手の名前を挙げた。
「ミラー選手が本当に強いので、私は全力を出して戦わなければいけませんでした。彼女の存在が、今日の記録を出させてくれたのだと思います」
もう1人は出産して復帰し、今大会では男女混合4×400mリレーの2走として、米国の世界新記録での金メダルに貢献したA・フェリックス(米国)である。
「私は小さい頃から彼女を本当に尊敬していました。そして今も尊敬しています。出産して、最もしなければならないことをして戻って来たのです。バーレーンに帰国したら、私も子どもたちから尊敬されるでしょうか」
女子アスリートの進化を、ドーハで見ることができた日となった。
- 距離が7倍違う種目での2冠へ挑戦
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女子1500m準決勝1組を1位通過したハッサンが、大会9日目の女子1500m決勝で10000mに続く2冠に挑戦する。
10000mは長距離種目で5000mもそのカテゴリーに分類されるが、1500mは800mとともに中距離種目のカテゴリーに入る。今大会で話題となっているノルウェーのインゲブリクセン兄弟のように、1500mと5000mを兼ねる選手はいるが、1500mと10000mという組み合わせを同一大会で勝った例はない。
ミラーも200mと400mの2冠を狙うつもりだったが、日程が重なる(決勝は1日違い)ため400mに絞らざるを得なかった。
女子1500mと5000mも同じ日に決勝が行われるため、その2種目を兼ねることはできない。そこでハッサンが思いついたのが、大会2日目に行われる10000mと、9日目に決勝が実施される1500mの2冠に挑戦することだった。解説の横田真人さんはハッサンの走りの特徴として、「どのペースでもリズムがゆったりしていて、ポイント、ポイントで力を入れますが、それ以外は力を抜いた走りです。無駄な力を使っていない」ことを指摘した。
この日の1500m準決勝でも前半は最後尾で力を抜いた走りをして、後半で徐々に前に出ていつでもスパートできる位置を確保し、最後の直線で勝負をつけた。準決勝がスローだったこともあるが、最後の1周は57秒という男子に迫るスピードを見せた。
決勝でどんなレース展開が考えられるのか、横田さんにうかがった。
「最後の1周が57秒台なら敵なしという感じもしますが、スローになると、色んな選手が、予想できないところで仕掛けてきます。位置取りによっては、(進路がふさがれてしまって)思うように出られないこともある。反対にハイペースに持ち込んでも、ついて来る選手は必ずいます。ダイヤモンドリーグでは速いペースでもラスト1周を57秒で回ったので、可能性は高いと思います。ただ、絶対とは言えません」
メディアで話題になっているから勝てる、という先入観念を持って見るのではなく、ハッサンがどうやって2冠を達成しようとしているのか、彼女のレース展開や表情に注目して見ると、女子1500mをより面白く観戦できる。
- 【寺田 辰朗 プロフィール】
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陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。