世界陸上ドーハ

寺田的 世陸別視点 text by 寺田辰朗


代表の矜持をもって走る
男子マラソン4回目出場の川内
プロランナーになって初の挑戦は何が違うのか
2019年10月4日(金) 20:30
第17回
大会7日目(10月3日)の朝9時に、山岸宏貴(GMOアスリーツ)、二岡康平(中電工)、川内優輝(あいおいニッセイ同和損害保険)の男子マラソン出場3選手の会見がドーハ市内で行われた。この種目日本人最多となる4回目出場の川内は、「前回の世界陸上ロンドンは3秒差(の9位)で入賞を逃し、男女マラソンの連続入賞を途絶えさせてしまった。それを自分で取り戻す。8位以内入賞をしっかり果たしたい」と意気込んだ。
ロンドン大会までは市民ランナーとして出場したが、今春からはプロランナーとして強化を進めている。その違いがドーハでどう現れるのか。
川内優輝と世界陸上
川内の世界陸上での戦績は以下の通り。
2011年テグ:18位・2時間16分11秒
2013年モスクワ:18位・2時間15分35秒
2017年ロンドン:9位・2時間12分19秒
テグ大会では同学年の堀端宏行(旭化成)が7位に入賞し、モスクワ大会では尊敬する中本健太郎(安川電機)が5位に入賞した。だが自身が日本人トップを取ったロンドン大会では、8位と3秒差の9位。日本の男女マラソンは1997年以降入賞者を出し続けてきたが、ロンドンで途切れてしまった。
そのときの3秒で、市民ランナーが代表として戦うことの難しさを痛感した。同年12月に、一足先にプロランナーとして活動している弟の自己新記録を見て気持ちを固め、翌18年4月のボストン・マラソン優勝後にプロ転身を公表。今年3月いっぱいで10年間勤務した埼玉県庁を退職し、プロランナーとして活動を始めた。
プロランナーになったことで、世界陸上への準備がこれまでと大きく変わっている。だが「代表としての矜持は、プロになった今回も、市民ランナーだった前回までも変わりません」と強調する。
テグ大会では、今は行われていないがマラソン団体戦で日本が2位に入った。表彰式で日の丸が掲揚されていくのを見て、「アスリートはこの一瞬のために全力で戦っている」と実感した。「日本代表というからには国民の期待を背負って戦い、結果を残していかなければならない」。初代表となったときからの変わらない思いだ。
過去3大会の経験から、失敗パターンはわかっている。
「テグは5kmを先頭で通過して、モスクワは8kmくらいで5位くらいまで上がってしまった。10km行かないうちにトップ5以内の位置を走っていると失敗レースが多い」
ロンドンは失敗レースではなかったが、入賞に3秒届かなかった。
「四度目の正直です」
川内の世界陸上入賞にかける思いは、ドーハで最高潮に達している。
1100kmの走り込みなどプロになったメリット
プロになったことの違いを端的に物語っているのは、7月の釧路合宿で月間1100kmを走ったことだ。市民ランナー時代は毎日の勤務があり、一日の練習回数は1回だけ。高校生でも当たり前の二部練習(朝練習と本練習)ができなかった。
長期合宿もできなかった。実業団選手は夏に涼しい北海道で合宿するのは普通だが、市民ランナー時代の川内にはできなかった。結果的に月間走行距離は500〜600km、多くても700km程度しか走れなかった。
ただ距離が少ないことに関しては、デメリットと言い切れない。少ない距離しか走れないから、レースに多く出て負荷をかけるスタイルを確立できたからだ。
しかしプロとなった今は、環境の良い場所に長期合宿に行くことができる。
メリットは合宿だけではない。治療やマッサージなどのケアも、疲れに応じて適切に行うことができる。負荷の大きい練習をしたいとき、ケアの回数を多くできることは間違いなく助けになる。
「釧路合宿では体調を崩さなかったですし、ケガもしませんでした。走り込んでも元気いっぱいでしたね」
プロとなったこととは関係ないが、デンソーで実業団選手だった水口侑子さんと今年5月に挙式した。「1人で合宿すると栄養が偏りがちですが、釧路では妻の手料理も、走り込むことができた理由の1つです。サプリメントの知識も豊富なので助けられました」
さらにはスポンサーから用具の提供を受けられることも、プロのメリットだ。
代表ともなれば壮行会や関係各所への挨拶など、義務的な行動もしなければいけなくなる。市民ランナー時代は練習時間を削ることになったが、今は練習を行ってから行動をすることができる。
トータル的に見て、今季の川内には精神的なゆとりが生じている。出発前の取材に「一番、心の余裕をもって行くことができる世界陸上です」と、答えていたのが印象に残った。
フルマラソン98回目の経験
3日の会見で、世界と戦う上で負けていないと思える点を質問されると川内は、「経験だと思う」と迷わず答えた。
「今回でマラソン98回目という選手は他にいないと思います。圧倒的に色々なレース展開を経験していることは、有利に働く」
川内によればドーハは、「坂もなく単調すぎる」というコースだ。路面もフラットで走りやすいという。1周7kmの周回コースだが、実際には海岸沿いの道路を12回折り返すコース。川内はその折り返しと給水所前後での走りに、自身の経験が生かされるという。
「ここまで折り返しが多い大会はありません。これまでの周回コースは周りが見えない周回コースでしたが、今回の折り返しコースは自分の順位がよくわかります。1周走れば誰が折り返しを上手くて、誰が下手なのかわかってきますし、給水所で誰がどんな動き方をするのかもわかってきます。2周目以降で、1周目で得た情報を生かせると思う」
多くの選手と過去に同じレースを走ったことがあることも、川内にとっては強みだ。これまでも選手をしぼってマークして走り、レースの流れと自身の適性に合わせた走りを真剣勝負の中で展開できた。
今回はD・メウッチ(イタリア)やP・パウラ(ブラジル)、L・デシア(エチオピア)らをマークする候補に考えていたが、イタリア勢は先に行われた女子が全員途中棄権している。意識しすぎない方がいいと考え始めた。
「今回は暑さがレース展開の要素として加わりますので、展開がわからない部分が多いんです。周りの選手をよく見ながらやっていくしかないと思う」
経験豊富な川内だからこそ、マークすべき選手を判断する重要性がわかっていた。そして経験豊富だからこそ、今回のようなケースは誰かをマークすることにこだわらない、という結論を出せたのかもしれない。
市民ランナー時代の調整法も活用
いない。
実際のところプロ転向後の川内は、「いまいち結果が良くない」と、市民ランナー時代の実績に及んでいない。新しい立場で以前はできなかった取り組みを行ってはいるが、結果に結びついていない。スポーツではよくあるパターンだ。
「高校、大学時代もそうでしたが、夏の走り込みの成果は秋からぐぐっと出ることが多かった。9月以降は以前と同じ一部練習に戻してドーハに合わせて行きます」
8月末の取材にこう答えていた川内。
ドーハで行われた会見では自身の武器を経験と、今季の新しい取り組みだと話した。
「夏場に1000km以上踏んだ(走り込んだ)わりにスピードが上がって来なかった。ちょっとなー、という部分がありましたが、世界陸上はスピード勝負ではなくなりそうなので、60数kmの距離走を1週間に2回やったりしてきたことが、今回のレースでは生きる気がします」
川内の元々の特徴は、レース中盤で先頭集団から後れても、粘りに粘って傷口を最小限に抑え、終盤でペースを上げて順位を上げていく走りである。自身初めての1100kmの走り込みで、粘りは強化されているはずだ。
暑さは苦手だったが、侑子さんの三重大学時代の恩師が陸連科学委員長の杉田正明氏だった。マラソン・競歩の暑熱対策のトップの人物にコミュニケーションが取りやすくなったことで、暑熱対策への理解度も上がった。
今大会の女子マラソンや男女50km競歩、女子20km競歩レースの分析も怠りない。
「共通しているのは自分のペースが落ちないぎりぎりのラインでレースを進めて行って、終盤に調子が上がって来たらペースを上げていく。日本の好成績だった選手もそうですし、他国の選手にも共通して言えます。男子マラソンが同じような気候になれば参考になると思いますが、気温は今、若干下がってきています。気温次第ではペースを守るより、集団の上げ下げに対応しながら良い位置をとっていく必要がある。当日になって気温がわかるまで作戦は決められないかな」
今の川内を簡潔に言い表すとするなら、市民ランナー時代の経験とプロランナーとしての取り組みが融合し、暑さ対策の知識などの引き出しも増えている状態だ。市民ランナー時代も経験は豊富だったが、強化スタイルに関しては当時のやり方にこだわるしかなかった。
強化の幅が広くなり、やっていることの懐も深くなった。代表で結果を出すことへの思いの強さも人並み外れている。ロンドンで痛感した入賞への3秒差を、縮める準備はできている。
寺田(てらだ) 辰朗(たつお) プロフィール】
陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

[ LINE UP ]

  • 2019年10月8日(火) 01:30
    男子4×100mリレーは
    2大会連続銅メダルで東京五輪金メダルが視野に
    サニブラウンはいかに日本チームの一員になったのか
    »
    詳細
  • 2019年10月6日(日) 18:30
    男子競歩で50kmに続き
    20kmでも山西が金メダル
    フィニッシュで喜ばなかった山西の特徴とは?
    »
    詳細
  • 2019年10月5日(土) 19:30
    ミラー・ウイボからナセルへ、
    女子400mの主役交代
    ハッサンは変則2冠へ女子1500m準決勝突破
    »
    詳細
  • 2019年10月4日(金) 20:30
    代表の矜持をもって走る
    男子マラソン4回目出場の川内
    プロランナーになって初の挑戦は何が違うのか
    »
    詳細
  • 2019年10月3日(木) 18:30
    U20世界チャンピオンの田中が
    日本歴代3位で予選突破
    髙山は序盤のリードが準決勝敗退の原因に
    »
    詳細
  • 2019年10月3日(木) 00:15
    女子100mハードル
    12秒台の扉を開けた寺田明日香
    ママさんハードラーになって10年ぶりの世界陸上へ
    »
    詳細
  • 2019年10月2日(水) 09:30
    ウォルシュが男子400mで予選突破、
    準決勝では日本人2人目の44秒台の期待
    男子棒高跳は6mジャンパー3人の激闘と感動的シーンの連続
    »
    詳細
  • 2019年10月1日(火) 19:30
    男子110mハードルの髙山が
    全体5番目のタイムでの予選突破
    ネガティブ思考の集中力で日本人初の決勝進出へ
    »
    詳細
  • 2019年9月30日(月) 20:00
    男子50km競歩で
    鈴木が競歩界初の金メダル
    ドーハの酷暑のなか貫徹した「歩ききる」戦略と、鈴木の精神的な成長
    »
    詳細
  • 2019年9月29日(日) 17:00
    末續慎吾さんが見た最速男コールマンと、
    日本人9秒台トリオの準決勝敗退
    「勝敗の線引きがされるのは、その場所に立ったときのメンタル」
    »
    詳細
  • 2019年9月28日(土) 13:00
    世界陸上初。
    日本人2選手が男子走幅跳予選を突破
    男子100mの9秒台トリオは2日目の準決勝で切り換えられるか
    »
    詳細
  • 2019年9月27日(金) 18:00
    男女20km競歩は初の
    “メダル&入賞”の好機
    「求められているのはメダルではなく金メダル」(山西)
    »
    詳細
  • 2019年9月26日(木) 23:50
    男子4×100mリレーは
    日本に金メダルの可能性
    白石が新メンバーとして加わったプロセスは?
    »
    詳細
  • 2019年9月26日(木) 14:00
    室内で2m35の
    日本新&今季室内世界最高を跳んだ戸邊
    ダイヤモンドリーグなど豊富な“経験”でメダルに挑戦
    »
    詳細
  • 2019年9月24日(火) 23:00
    日本人初の
    110mハードル13秒2台を連発した髙山
    独特の集中法で世界でも力を発揮すれば決勝進出も?
    »
    詳細
  • 2019年9月23日(月) 20:00
    世界ユース金メダリストが
    身につけたシニアの強さ
    女子投てき日本人初入賞に挑む北口榛花
    »
    詳細
  • 2019年9月22日(日) 23:00
    20km競歩世界記録保持者が
    実質初50km競歩で日本新
    生まれ変わった鈴木が目指す“金メダル”の違い
    »
    詳細
  • 2019年9月21日(土) 06:00
    アジア選手権金メダルなど
    国際大会で強さを見せる橋岡
    8m40の今季世界3位
    &日本新の城山ら
    男子走幅跳日本勢が初入賞に照準
    »
    詳細
  • 2019年9月19日(木) 23:00
    9秒台トリオが
    87年ぶりの決勝進出に挑む男子100m(2)
    小池と桐生の同学年コンビが大舞台で期待できる理由は?
    »
    詳細
  • 2019年9月18日(水) 17:00
    9秒台トリオが
    87年ぶりの決勝進出に挑む男子100m(1)
    大舞台でも自然体で力を発揮するサニブラウン
    »
    詳細
SHARE -
Copyright© 1995-2019, Tokyo Broadcasting System Television, Inc. All Rights Reserved.
 写真:フォート・キシモト