世界陸上ドーハ

寺田的 世陸別視点 text by 寺田辰朗


男子50km競歩で
鈴木が競歩界初の金メダル
ドーハの酷暑のなか貫徹した「歩ききる」戦略と、鈴木の精神的な成長
2019年9月30日(月) 20:00
第12回
大会2日目の深夜に行われた男子50km競歩で、鈴木雄介(富士通)が4時間04分20秒で優勝した。これは五輪&世界陸上を通じて、日本競歩種目初の金メダル獲得という快挙である。
日本の競歩界は近年、世界トップレベルへ成長してきた。50km競歩では4年前の世界陸上北京大会で谷井孝行(自衛隊体育学校。現コーチ)が、競歩史上初のメダルとなる銅メダルを獲得すると、翌16年のリオ五輪は荒井広宙(自衛隊体育学校。現富士通)が銅メダル。17年世界陸上ロンドン大会は荒井が銀、小林快(ビックカメラ。現新潟アルビレックスRC)が銅と、初の複数メダルを実現した。
だがドーハで結果を残すことは、並大抵のことではなかった。ドーハの高温多湿は、東京五輪に向けて準備を進める日本勢にとっても想像以上だったからだ。
飛び出したわけではなかった鈴木のひとり旅
1kmを4分57秒で通過した鈴木は、2位に約10秒差をつけていた。5kmでは約40秒、10kmでは約50秒と差を広げる。大会2日前の会見では「暑さの影響は測りきれない。まずは50kmを歩ききることを考える」と話していただけに、飛び出したのは意外だった。
ただ、スタートからの飛び出しは、以前からの鈴木のスタイルの1つではあった。無謀な飛び出しではなく、攻撃的なレースをする意図を持って行なっていた。
今回の鈴木は会見で話したことを実行したら、結果的にひとり旅になっていた。そこが大きな違いだった。
2位以下に20kmでは2分以上、30kmでは3分以上の大差をつけていた。この差なら金メダルは確実と思われたが、鈴木の体も変調を来していた。
「これで50kmを歩ききれるだろう、というペースで前半、中盤と行ったのですが、30km行くか行かないかで脚が重くなってきました。自分を信じて歩いていましたが、残り16kmくらいから『50km持つのかな』っていう不安との戦いになってきました。暑さのため、自分の予想以上にダメージが蓄積していたんです」
40kmでは2位に3分23秒のリードを保っていたが、ペースは後方の集団とほぼ同じになった。
その後の鈴木は、1km毎にペースが大きく変動した。4分50秒前後で歩くと、次の1kmは5分30秒前後のスプリットタイムというパターンを繰り返した。
2位以下は4分40秒台を続け、3位のE・ダンフィー(カナダ)は残り5kmから4分30秒台、さらには4分23秒までペースを上げていた。
「後ろからどんどん迫って来始めていたので、金メダルを取れるのかな、という不安は最後までありました」
それでもなんとか、39秒差で鈴木が逃げ切った。
「前半をもう少し余裕をもって歩いていたら、後半の落ち幅は小さくできたと思いますが、結局のところ最後は脱水症状のような状態になったので、前半を抑えめで行っても同じようになっていたかもしれません。逆にいえば、前半で貯金を作れたことはよかったのかな」
鈴木の「50kmを歩ききる」ことを優先させる戦略は、自身の力を出し切ることで、結果的に順位もよくなるという判断だった。
「ドーハに来たときからそうすると決めていたこと。それをやり遂げられたことが結果につながったと思います」
ドーハの特殊環境に惑わされず、「初志貫徹」(鈴木)したことが金メダルにつながった。
給水毎に立ち止まったのは戦略だった
テレビ画面に終盤、鈴木が立ち止まりかけたシーンが何回か映し出された。「リタイアか?」と驚いた方も多いと思うが、あれはレース前から鈴木が想定していた「戦略的なペースダウン」だった。
「会見後に(テレビ解説の)栁澤哲さんたちと『止まる勇気もある』と話しましたが、その通りになりました。胃がかなり疲れていて、給水を飲むのもきつかったんです。しかし給水を飲まなければ脱水症状になっていた。歩きながら飲むのがきつかったので、止まるくらいのスピードに落として給水をしっかり飲んで、またスタートする。最後はかなり追い上げられましたが、それまでの大きな差を上手く使えたと思います」
鈴木のレースに臨む気持ち、レース中の気持ちも、体調に対応することに役だった。
大会前はメダル獲得を最低限の目標とし、金メダルにもチャレンジしたいと考えていた。だがドーハ入りしてレース環境を確認し、前述のようにメダルではなく「50kmを歩ききること」を目標に切り換えた。
以前のアグレッシブな頃の鈴木であれば、金メダルに固執しただろう。だが今の鈴木は、どうしたら自分の力を最大限に発揮できるかを優先して考えられる。今大会も金メダルを狙う気持ちが強すぎたら、冷静な判断はできなかっただろう。
「正直に言うとラスト5周のところでは、銅メダルでもいいかな(笑)、という気持ちでした。それもあって思い切り休みました」
世界陸上ドーハでメダルを獲得した日本人最上位選手は、来年の東京五輪代表に内定する。
「でも金メダルも欲しいので、しっかり歩ききろう、という思いは最後まで持つようにしました」
付け加えるなら、歩型が乱れないことも、鈴木の“戦略的ペースダウン”を可能にした。
通常、速いペースなら歩型は乱れ、ゆっくりのペースなら乱れない。ただ、速いペースを得意とする選手のなかには、スローペースが多く、そこから速い展開に切り換わる国際大会で歩型の乱れが出てしまう選手もいる。ケガや体調不良も、歩型が乱れる要因になる。
鈴木の警告を取られない歩型は、世界でもトップクラスという評価を得ている選手。レース前の会見時には「どんなペースでも、どんな状況でも安定したフォームで臨める。暑さがストレスになっても、動きは硬くなりません」と自信をもって答えていた。
歩型は色々な局面、ケースに影響してくる競歩の重要な要素。安定した歩型は大きな武器となり、そこを鈴木はジュニアの頃から研いてきた。世界陸上という大舞台で長年の取り組みが実を結んだのである。
勝因は自身をコントロールできたこと
富士通の競歩コーチでもある今村文男五輪強化コーチは、中・長期的な勝因として「鈴木が自身の体と向き合えるようになったこと」を挙げた。
練習のやり過ぎが多かった選手で、13年世界陸上モスクワ20km競歩は準備段階で頑張りすぎてしまったことで、本番に合わせることができなかった。序盤こそ今回と同様にひとり旅に持ち込んだが、後半で後退して12位に終わった。11年世界陸上テグ大会ではひとり旅から粘って4位に入っていたが、モスクワではメダルへの気持ちが強すぎた。
15年世界陸上北京は、その年の3月に1時間16分36秒の世界記録を出していた。しかし北京では途中棄権。体への負担をコントロールできず、故障気味の状態で現地入りしてしまった。
今村コーチは「これまでのひとり旅と違って、今回は安心して見ていられました。暑さ対策も含め、準備あっての先頭でしたから」と、鈴木の成長を評価した。
鈴木も15年から3年近く続いたブランクから昨年復帰し、「以前と比べ自分をコントロールする力がまったく違います」と話している。ドーハに出発する前の結団式で、以下のように話していた。
「北京は金メダルを取らなきゃいけないという考え方でした。モスクワも相手が強いと勝手にイメージして、これだけ練習しなければ勝てないと、自分を追い込み過ぎていた。オーバートレーニングでしたね。今回もオーバートレーニングにちょっとなったのですが、対処の仕方もわかっています。1週間、練習をしっかりと落としました。思い切り休むことができるようになりましたね」
ドーハのレース後には、自身の世界記録を「出ちゃった記録」だと認めている。陸上競技では気象コンディションが良かったり、その日だけ調子が上がったり、俗に言うゾーンに入ったりして出た記録を、“出ちゃった記録”という。選手自身がどうして出せたのかわからなかったり、再現することが難しかったりする。
「世界記録はただ単に勢いで、その日に体調が合っただけでポーンと出てしまった記録です。今はしっかりと、こういう記録が出せる、こういう歩きができると、自分がコントロールできるようになっている。それが今日のレースにもつながったと思います」
世界陸上に向けての準備段階でオーバートレーニングを防いだこと。ドーハ入り後に、金メダル狙いから「50kmを歩ききること」に目標を切り換えたこと。そしてレース中にも思い切って休むことを怖れなかったこと。長期的、中期的、そしてレース中の自身のコントロールがドーハの歩きになって現れた。
日本競歩界初の金メダルの実現は、鈴木の精神的な成長が最も大きかった。
寺田(てらだ) 辰朗(たつお) プロフィール】
陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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