土曜 よる11:30〜

人生最高レストラン

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放送内容(2020年10月24日 #181)

ごちそう様 小栗旬さん

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ゲストは、小栗旬さん。大ヒットドラマ「花より男子」や映画「クローズZERO」など数々の話題作に出演し、舞台でも活躍。今や日本を代表する俳優となった小栗さんがヒット作に隠されたエピソードを“俳優人生を振り返りながら、おいしいもの”と共に語った。

■お品書き

東京・小平「家族と食べた!思い出の“ラーメン”」
子どもの頃からラーメンが大好きな小栗さん。仕事で節制する必要がなければ、週に4、5回は食べたいというほど。そんな小栗さんが小学生から高校時代まで家族でよく通っていたという思い出のお店が、地元・小平市にある「ラーメン・ジャンボ餃子 -天神 tenjin-」。父はクラシックオペラの舞台監督で忙しく、母はクラシックバレエの先生で共働きだったこともあり、母と兄、姉と4人で事あるごとに行っていたそう。

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小栗さんがよく食べていたのは、「みそバターコーン」。スープに合うように配合した自家製麺を使用し、特別配合した北海道の赤味噌に、豚ガラ・鶏ガラ・げんこつなどを10時間かけ煮込んだスープの絶品の一杯。

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*店舗情報:「ラーメン・ジャンボ餃子 -天神 tenjin- 」東京都小平市天神町4-8-3

「貧乏ひとり暮らしを支えた!小栗旬オリジナル“もやしパスタ”」
内田有紀さんに会いたくて…11歳の時に児童劇団に入団、芸能界入りした小栗さん。しかし、現実は厳しく、同世代の仲間たちがどんどん脚光を浴びていく中、表舞台に立つことができず悔しい日々を過ごす。『なんで俺はこんなところで地団駄を踏んでいるんだろう…役者として売れたい』という思いが強くなった小栗さんは、17歳で高校を中退。すると、父に『学生じゃないなら、家を出ていけ』と言われ、一人暮らしをすることに。17歳の小栗さんは、『中目黒に住みたい』『ちょっと天井が高い部屋に住みたい』と理想のままに、家賃11万8千円の部屋を借りて初めての一人暮らしをスタートする。もちろん、大変なことになってしまったのは言うまでもない。当時、小栗さんの給料は15万円。そこから家賃を払うと、残りは3万2千円。さらに光熱費や電話代などを支払うと、手元には1万円も残らない。そうなると当然、食べるものにも苦労する貧乏生活に…。そこで小栗さんが思いついた節約メシがある。それが、「もやしパスタ」。料理さえやったこともなかった小栗さんがスーパーに行った際、もやしが格安なことを知り、『もやしを茹でて食べればいいんだ!』とひらめく。そして作ったのが、実家から送ってもらったパスタに茹でたもやしをのせ、明太子ふりかけで味付けした「小栗旬オリジナル!もやしパスタ」。小栗さん曰く、『けっこうイケる』そうで、これを主食に貧乏生活をしばらくの間しのいだという。

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東京・吉祥寺「かけがえのない仲間と食べた“焼き肉”」
自由な校風で個性豊かな生徒たちが集い、とても刺激を受けたという小栗さんの高校時代。今でも仲良しだという同級生たちと当時よく通ったお店がある。「焼肉屋マルキ市場」吉祥寺店(※現在は閉店)。初めて入場料制を導入した焼き肉店で、現在は東京を中心に6店舗を展開している。

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当時、小栗さんがよく注文していたのが、ネギとニンニクのペーストで味付けした「牛タンマルキ焼」。

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そして、ネギとニンニクのペーストに、さらにネギをのせた「牛炙りカルビ焼葱載せ」。

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ここで焼き肉をよく食べて一緒に過ごした仲間たちをモデルに、小栗さんは初監督映画(2010年公開「シュアリー・サムデイ」)を製作。小栗さんにとって、かけがえのない体験をした青春時代の思い出は、その後の俳優人生に大きく影響していた。

*店舗情報:「焼肉屋マルキ市場」※吉祥寺店は閉店。

「全身全霊で演じた後の“カップうどん”」(人生最高の一品)
小栗旬さんの“人生最高の一品”は、「カップうどん」。それは、亡き名演出家・蜷川幸雄さんの舞台「カリギュラ」(2007年)公演の時に食べたもの。小栗さんの才能を早くから見出し、常に挑戦の場を与え続けた蜷川さんが、満を持して小栗さんのために用意したのが舞台「カリギュラ」だった。藤原竜也さん主演舞台「ハムレット」に出演して以来、5本目の蜷川作品。それは、日本ではほとんど演じられたことのない難しいもので、小栗さんが主役を演じる残虐非道なローマ帝国の皇帝カリギュラは、セリフが難解な上に、その量は台本155ページにも及ぶ、まさに難役中の難役だった。この役を小栗さんにやらせたい…そこには蜷川さんのこんな思いがあった。『小栗は本来ハムレットをやるべき俳優であり、ロミオをやるべき俳優。僕は小栗にサブカルチャーをやらす気はない。風俗的な匂いがするものはテレビで結構。小栗にもっとすごい俳優になってほしいから、与えたハードルです』。そんな蜷川さんの思いに応えたい…と、「カリギュラ」に臨んだ小栗さんだったが、かなりのプレッシャーを感じていたのも事実だった。しかも、当時はドラマやラジオなど超多忙な日々。睡眠も2〜3時間しかとれない状況。それでも蜷川さんの思いに応えるべく、全身全霊で舞台に取り組んでいた小栗さんの身体にある異変が起きる。カリギュラという役に支配されてしまったのか、「何を食べても血の味しかしない」という劇中のセリフそのままに、小栗さん自身『何を食べても、おいしいと感じることがなくなってしまった』のだ。楽屋に入ると必ず吐くところから1日が始まり、体力的にも精神的にも追い詰められた中で演じていた「カリギュラ」。まさに、俳優人生最大の試練だった。そんな状態で迎えた千秋楽―カリギュラを演じきった小栗さんは楽屋に戻った瞬間、ものすごくお腹が空いたという。そして、食べたのがマネージャーに買ってきてもらった「カップうどん」。それを食べた小栗さんは、『こんなうまいカップうどん食べたことない』と感動、人生で一番おいしい食事だったという。役者として全てを出し尽くし、蜷川さんに与えられた難役カリギュラを演じきったからこそ、味わえた最高の一杯「カップうどん」は、今も目をつぶると思い出す、小栗さんにとっての“人生最高の一品”であった。

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