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土曜朝イチエンタ。堀尾正明+PLUS!

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土曜朝イチエンタ。堀尾正明+PLUS!

番組からのお知らせ
プロフィール

堀尾正明

堀尾正明(ほりおまさあき)

生年月日:1955年4月24日
出身地:埼玉県
趣味:ゴルフ

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大学在学中に文学座附属演劇研究所に入り、研究生としてミュージカルに出演。81年にNHKにアナウンサーとして入局、初任地はNHK北九州放送局。
東京へ異動後は芸能畑を担当し、95年開始の『スタジオパークからこんにちは』メインキャスターとなり、人気を博す。
00年『NHKニュース10』のキャスターに抜擢され報道番組を担当。その後『サタデースポーツ』『サンデースポーツ』担当に廻りスポーツ畑へ。2002 FIFAワールドカップのメインキャスターを担当。

長峰由紀

長峰由紀(ながみねゆき)
TBSアナウンサー

生年月日:1963年6月28日
出身地:埼玉県
趣味:演劇鑑賞、相撲観戦

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●出身高校:埼玉県立松山女子高等学校
●出身大学:立命館大学 文学部 中国文学科
●身長:153cm
●血液型:O型
●入社年度:1987年

人権TODAY

人権に関わる身近な話題をテーマに掲げて、ホットなニュースをお伝えしています。

「三宅島新報」に協力する若者たち

放送日:2011年03月26日
伊豆諸島の三宅島は11年前から噴火災害が続いています。一時は全ての島民が島の外に避難し、6年前に全島避難指示は解除されましたが、火山ガスの放出が今も続いているため、島に帰れない人もまだ大勢います。人口は噴火前の7割に減り、そのうえ高齢化が進んでいるのが現状です。三宅島の主要な産業は漁業と観光ですが、観光客は噴火前の半分にとどまり、噴火災害からの島の復興はまだ道半ばというのが現状です。

その三宅島で全戸に配布されている他、東京や神奈川などに避難している島民にも送られているミニコミの新聞があります。「三宅島新報」といいます。2011年3月1日に発行された「三宅島新報」には高齢化問題の解決に向けた提言とか、火山ガスの濃度が高い地区に家があるため、島に帰りたくても帰れない人の切実な想いなどがA4版の4ページに渡って、掲載されています。
発行しているのは市民団体「三宅島ふるさと再生ネットワーク」。主な原稿はそのメンバーが書いていますが、パソコンを使って紙面を編集する作業については大学生のグループがボランティアで協力しています。この大学生達は神奈川県伊勢原市にある向上高等学校の卒業生達なんです。
協力することになったきっかけは、8年ほど前、向上高校の学校新聞が避難してきている島民を取材したことですが、学校新聞はその後も三宅島の問題を紙面で取り上げ続けてきました。そのうち、生徒達の中から、卒業してからも島の復興のために何かできないか、という声があがり、「三宅島新報」の編集に協力することになったんです。
大学生達に取材したのは崎山敏也記者。大学生の一人、佐藤健哉さんは参加している理由を聞かれて、「高校の時点で三宅島とかそういうボランティア活動とかをやってたことが最終的にはここにつながったんだと思うんです」と話します。ボランティア活動を通じて、「自分でも役に立ててるところがある」というところに感動を覚えたのが卒業してから活動に参加した一番大きな理由だそうです。
佐藤さんは3月の「三宅島新報」では、第4面を担当し、島に帰れない人たちが東京で集まった新年会の様子について、記事の見出しを決めたり、写真を選んで、載せる位置を工夫したりするなど、パソコンを前に、編集作業に取り組んでいました。佐藤さんを含め10人ほどの学生達が分担して作業して、「三宅島新報」は完成です。

そして、向上高校の卒業生達は編集作業だけでなく、取材をして記事を書いたり、東京や神奈川にいる島民の方を訪問する活動なども行っていますし、年に1回は、三宅島にも出かけて行きます。
大学生の一人、相澤春歌さんは三宅島を訪れた時のことについて「『いつも読んでるよ』とか『ありがとう』とか言ってもらえると、やってよかったな、というやりがいにつながります」と話します。社会勉強にもなるので、これからも続けて行きたいと思っているそうです。
「三宅島ふるさと再生ネットワーク」会長の佐藤就之さんは学生達の協力について、「もう大感激です。若い人たちが災害の状況を発信することを担ってくれているということで、本当に期待しています」と話します。そして、「『災害を風化させない』ということが今は一番大きな課題なので、非常に貴重な活動です」とも話します。
マスコミでは三宅島について報じられることが少なくなっています。そんな中、「三宅島新報」は島民同士のつながりを保つメディアにもなっているようです。
向上高校の卒業生達の力もあって、発行が5年間続いてきた「三宅島新報」。三宅島が本当の意味で復興するまで続いていって欲しいな、と感じた崎山記者でした。

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