過去の議事録

2002年5月27日(月)開催 第2回TBSラジオ&コミュニケーションズ番組審議会より
「ザ・ベースボール」について

出席者(敬称略)

委員長吉越浩一郎 
委員ヨーコ・ゼッターランド 二宮清純 萩原健太 宮台真司 京谷美樹
(山野副委員長欠席)

局側出席者

 清水 社長

 小桜 取締役

 斎藤 編成局長

 水口 制作センター長

 山口 番組審議会事務局長

 藤田 プロデューサー

番組内容について

「3球聴けば試合がわかる!」をキャッチフレーズにプロ野球セ・パ両リーグの年間130試合以上を中継。

議事の概要(主な意見)

◇「野球を語らせればおれが絶対一番だ」というふうに思っていらっしゃる方って多いと思うので、前の打席がどうだったとかデータはどうだということを随時入れていくということは、スポーツを聞く上でとても大事だと思います。ただ、隙間なく情報が入ってくることによって、言葉で埋まってしまって、ゲームが見えなくなってしまうということがあったかなという気がしました。
実況アナウンサーも伝えていく側として情報は持っていてもどれぐらい出していくと、ちょうど加減がいいかということをもう少し工夫していただけるといいかなというふうに思いました。
先日、沖縄に行ったらベースボールの実況が軍の基地を通して流れてきました。アナウンサーの方の1人実況。情報を入れつつ1人喋りの独特なテンポがあって、車を運転しながらでも自然に耳に入ってくるというところで、心地よさみたいなものを感じました。外国と日本のスポーツの伝え方というのはもちろん違う部分もあると思いますし、それぞれいいところもあると思いますが、スポーツはもっとのんびりしていてもいいんじゃないでしょうか。

◇私は野球のシーズンはほとんど夜はドームにいるんじゃないのと言われているタイプなんです。野球のラジオ中継というのは1つの形になって、その中ででき上がっているものなので、特に何の違和感もなくいろいろ聞かせていただいています。1つだけ、大体解説の方は経験者というか、プロの選手が引退してなるという形が多いと思うのですけれども、子供の頃から球場とか通って見ている立場からそういうのを聴かせてもらうと、時々ですけれど、「この人、野球見たことないな」という感想を持つんです。
やっていたかもしれないけれども、野球というものを、野球場でお金を払って見たという経験が余りにも少ないんじゃないかなというのが、解説の言葉のところどころに出てくる瞬間があるんです。お金を出して野球を見ている人間が何を見たがっているのかというポイントを押さえたような色合いというのですか、そういうのが放送の中にもう少し盛り込まれていくと……。
去年だったかな、(スワローズの)古田がいなくて、小野というキャッチャーが受けていたんです。古田と同じリードをして松井を外、外でツーストライクとって、内に1球投げて、さあ、また外に逃げるカーブかなというときに、(ピッチャーの)藤井が小野のサインに首振って、ストレート投げてホームランを打たれたというときがあったんです。そういう時に、「あれは投げちゃいけません」というようなのじゃなくて、首を振ってまでストレートを投げたじゃないか、見事に松井が打ったじゃないかという、そのカタルシスみたいなところを思いっきり打ち出すような感じで野球というものを聞かせてくれるともっと盛り上るんじゃないかな。

◇視聴率、テレビは落ちていますけれどもラジオはそんなに落ちていないんですね。コアなファンというのは、やっぱり時代が移ろえど、野球を愛している。そして、野球中継というものをラジオで聞く習慣というものは、そうそう壊れないものじゃないかなという気がしたんです。僕は瀬戸内海沿岸で育ったものですから、中国放送でずっと育って、カープファンに洗脳されてしまったんですけれども、ラジオという媒体は洗脳されると、ずっとそのまま聞かないと不安になってくるような、非常に長いつき合いのできるメディアだと思うんです。ですから、私は、基本の大筋は変える必要はないんじゃないかな。
ただ1つ、これは最近、野球よりもむしろサッカーあるいは世界陸上とかで、実況と絶叫を間違えているのが時々あるんです。ちゃんと聞きたいところがあったのに、「○○勝った、ゴール!」とか言って、何が何やらさっぱりわからないというマスターベーションですね。これは実況じゃなくて絶叫じゃないか。
自分は盛り上がっている、盛り上げようしている余りに、周りは冷めてしまっているという、ちょっと言葉が悪いんですが、この温度差にも気がついていない人たちもとても多いんじゃないかなという気がしていて。そういう面で言えば、野球のアナウンサーと解説者というのは、そんなに当たり外れはないんです。大体のレベルにはあると思うんです。
ところが、やっぱり言葉に対して不感症になっている人たちが多いんじゃないかなということですね。例えば、「今のは目に見えないファインプレーですね」と言うんです。これを言葉で言うのが仕事じゃないですか。「目に見えないファインプレーですね」と言うだけだったら、これは給料を払う必要はないと思うんだけれども。あるいは「これは教えてできるものじゃないですね」「天才的ですね」「生まれ持っているものですね」、これを言ったら言葉は要らないんです。どういうトレーニングをしてそうやったかとか、余り説教くさくならない程度に、自分はこのプレーができたら、ここに原因があるんじゃないかという、何かその人なりの角度というか、視点というものが必要だと思うんですよ。
大体「神様」とか「天才」という言葉を使う人間は逃げていると思うんです。それをどれだけ解き明かして体温のこもった言葉にするかということが勝負じゃないかな。

◇たまたま聞いていた日に、巨人の高橋が守っていて打球が当たってしまいました。私自身が余り野球とかスポーツに詳しくないせいか、私が男性じゃないせいか、おなかに当たったと最初に言ったので、それは痛かっただろうなと思って聞いていたんですが、随分長く試合が中断してしまったんです。どこに当たってそんなに苦しいのかなと思って、何となく最後はわかったようなという程度だったんですけれども、その後、夜のプロ野球ニュースを見まして、映像で見て初めて、「ああ、これはすごく痛そう」と、一目ですぐにわかりました。やはり私のような素人でもわかるようにラジオで放送するのはとても難しいことだと思いました。


[メディア規制法案について]

◇「メディア規制三法案」という名称には、若干の罠があるんです。
というのは、この法案がメディア規制を目的としていると思い込んでしまうと、例えば、個人情報保護法というもののかけ得る網の広がりを見損なってしまう可能性があるわけです。
12年ぐらい前に、有害コミック規制が話題になったことがあります。その時に、雑誌やテレビ、その他のメディアはどうせエロメディアの話だろうというふうに、これを大して関心もなく見過ごしたわけですが、実際に、青少年有害社会環境対策基本法案、自民党案を見ると、規制対象は「性表現、暴力表現等」というふうになっていまして、関係ないと思っていた人たちにも、確実に網がかかるように法律がつくられるわけです。
これは情報管理行政にかかわる官僚たちの、日本だけに限っても何十年、戦前からの伝統のあるやり方なので、同じことが個人情報保護法についても言えるのです。もちろんマスメディアにかかわる方々も、報道の自由や表現の自由に対する重要な危惧を招きますが、メディアが脅かされているというふうに限定をすると、メディアが外れたらオーケーなのかという問題がある。そこについて目配りをしたような声明であればいいかと思います。

◇TBSラジオ&コミュニケーションズ番組審議会は2度の議論を経て5月31日に別紙の声明を発表しました。

(TBSラジオ番組審議会事務局)