壮絶人生ドキュメント 俺たちはプロ野球選手だった

2011年3月24日(木)よる10:00から

「壮絶人生ドキュメント 俺たちはプロ野球選手だった」の画像

コンテンツメニュー

みどころ

様々なものを犠牲にし野球中心の生活を送ってきた選手たち
引退後に待っているのは野球以外の職業という新たな戦い…

 華やかなプロ野球の世界で脚光を浴びていた選手たちは、引退後に何をしているのか。過去に2回放送し、いずれも話題を集めたシリーズの第3弾。
 今年1月17日、日本野球機構(NPB)は若手選手を対象とした「引退後に関する意識調査」を発表した。それによると、72%の選手が進路や収入に関して不安を感じているという。選手たちが引退後の職業として望む「高校野球の指導者」、「大学・社会人の指導者」は、プロアマ協定の存在により敷居が高い。子どもの頃から野球だけをやってきた彼らが野球以外の職業に就くには困難がついて回る。そんな時代に、既に第二の人生をたくましく歩んでいる男たちがいる。彼らが歩んだ道は平坦なものではなく、今なお戦いは続いている…。

内容

<今回の取材対象予定者>
・河野博文(日本ハム − 巨人)
1984年ドラフト1位で日本ハムに指名された河野投手。88年には最優秀防御率を達成した。95年にFA権を行使して巨人に移籍。96年にはリーグ最優秀中継ぎ投手となった。2000年のシーズンオフに現役を引退した河野は、野球教室を経て04年から妻の実家が経営する建設会社の事務員となる。野球の道をあきらめ切れない河野に08年、ベースボール・チャレンジ・リーグの群馬ダイヤモンドペガサスから声がかかり投手コーチに就任した。ようやく野球で生活できると思ったのもつかの間、年末に実父が死去。

さらに09年春に妻の乳がんが発覚した。失意の日々を送っていた河野に次の試練が襲い掛かる。チームの資金難から群馬ダイヤモンドペガサスをシーズンオフに解雇されてしまう。家族も野球も失った河野は、健康であることの大切さを考え始めた。そんな矢先、彼は日本の農業改革を推進する人物に出会った。健康でいられる基本は「食」。一緒に農業をやってみないかといわれた河野は快諾し、農家の協力を経て農作物の栽培、収穫に励むこととなった。野球から農業へ。全く異なる道を歩み始めた河野博文が将来の夢を語る。

・門田博光(南海 − オリックス − ダイエー)
1969年南海に入団。小柄という肉体的なハンディを猛練習でカバーした門田は81年に33歳で本塁打王に輝く。そして88年には40歳で再び本塁打王に。その活躍は同年代の中年男性を勇気付けるものだった。92年44歳で引退。引退後は野球解説者を務めていたが、2005年57歳のとき小脳梗塞で倒れてしまう。懸命なリハビリに努めた門田は野球殿堂入り。今は独立リーグ、大阪ホークスドリームの総監督として野球選手を夢見る若い世代を指導している。

そのほかの取材対象予定者
・愛甲 猛(ロッテ − 中日)
・ラルフ・ブライアント(近鉄)
ほか

スタッフ

製作著作:
TBS

プロデューサー:
菊野浩樹


banner_AD
!-- /187334744/general_PC_RT -->