コラム

第3回

2019.9.9 0:00

井上大仁
「マラソンは気持ち」と言い切るアジア大会金メダリスト
経験を力にしてきたプロセスと万全の準備

井上大仁(MHPS)は“気持ち”と“経験”で強くなったランナーだ。大迫傑(ナイキオレゴンプロジェクト)ほどスピードがあるわけではなく、設楽悠太(Honda)ほどスタイルが独特というわけでもない。
だが全国大会に出場できなかった高校時代から、「世界で戦う選手になる」という強い意思を持ち続け、失敗と成功を繰り返して「4強」と評価されるところまで成長した。
昨年のアジア大会では日本人32年ぶりの金メダルを獲得。
夏のマラソンと、マラソンの日本代表を経験しているのは、4強のなかでは井上ひとりである。

■井上大仁(マラソン全成績)
回数|年月日|大会|順位(日本人) 記録
1|2016.3.6|びわ湖|9位(7) 2.12.56.
2|2017.2.26|東京|8位(1) 2.08.22.
3|2017.8.6|世界陸上ロンドン|26位(3) 2.16.54.
4|2018.2.25|東京|5位(2) 2.06.54.
5|2018.8.25|アジア大会ジャカルタ|1位(1) 2.18.22.
6|2019.4.15|ボストン|12位(1) 2.11.53.

井上流のメンタルの作り方

「一番強いのは誰かと聞かれたら、自分だと言います。そこは引いたらダメです」
8月21日に長崎でMHPS(三菱日立パワーシステムズ)3選手(井上、木滑良、岩田勇治)が共同取材に応じた際の、MGCに出場する31人の中で一番強いと思う選手は?という質問に対する井上の答えである。
井上はこれまでも、志(こころざし)を高く持つことで自身を引き上げてきた。全国大会に出られなかった長崎・鎮西学院高時代に、部屋に「世界で戦う選手になる」と書いた紙を張り出していた。山梨学院大では1学年上の大迫や設楽、同学年の村山謙太(旭化成)や中村匠吾(富士通)らに挑むことで自身の立ち位置を理解し、足りない部分を補うために必死で練習した。インカレの個人種目や学生駅伝など、目の前の大会に全力で取り組むことで自身をステップアップさせ、学生トップレベルに成長した。

実業団に入るといよいよ、マラソンで世界に挑む段階になった。MHPSには山梨学院大の先輩である松村康平(14年アジア大会銀メダル)を追って入社した。その松村でさえ井上が、日常生活中に「世界」という言葉を普通に口にすることに驚いたという。
実業団選手同士が自分の目標を話すことは、ミーティングや壮行会などで表明することはあっても、寮生活などではあまりない。それぞれが内心で持っていればいいこと、という雰囲気なのだと思う。それを井上は、ためらいなく口にすることができる。

昨年のアジア大会代表に決まってから、井上は目標を金メダルと言い続けた。記者会見や壮行会など公の場だけではない。同じ長崎を拠点としている十八銀行の野上恵子が練習場所で偶然、井上に会ったことがあった。野上もアジア大会代表だったが、「金メダルを取りましょう」と声をかけられて、ちょっとビックリしたという。
井上がもしも、アジア大会の目標を「メダル」と言い続けていたら、E・H・エル・アッバシ(バーレーン)とのトラック勝負に勝てなかったのではないか。MHPSのスタッフからもその見方が出ている。

どんな経験も自身の力に

井上の場合、“完璧な自信があっての強気”とは少し違う。ライバルたちの強さも理解し、自分が失敗するケースもあると自覚している。17年福岡国際マラソンで大迫が2時間7分台を出したときは、当時の自己記録を上回られて焦りを感じたという。学生時代の駅伝では、気持ちが力みが、走りの力みになって出たことがよくあった。
世界陸上やボストンマラソンの失敗も、その傾向が出ていた。

井上が自身の成長過程を、次のように話したことがあった。
「現状が悪くても絶望せず、良くても満足しないでやってきたから今があるのだと思います。(世界を目指すといっても)実際にやっていることは、そのとき、そのときのことで精一杯なんです。良くなる保証はどこにもありませんが、やるしかない。怖いですけど、信じて必死にやることを、昔も今も繰り返しているだけなんです」
井上はエリート選手ではなかったし、自身に気持ちの弱さがあることも自覚している。だからこそ、気持ちを強く持つ。それが自身が強くなるためのスタイルとして有効であることだけは、確信している。だから井上にとっては、失敗も含めてこれまで経験し、強くなってきたプロセスが重要なのだ。
マラソンの経験は6回ある。

トラックでは日本代表は難しいということもあり、リオ五輪前の16年3月のびわ湖マラソンに出場した。入社1年目の終わりで、しっかりマラソン練習ができたわけではないが、五輪選考会の雰囲気を経験することが、東京五輪選考会に生きると考えた。リオ五輪のトラック代表だった大迫、設楽よりも1年早い初マラソンになった。
1年後(17年)の東京マラソンで2時間8分台、日本人トップで世界陸上代表をつかんだ。同年8月の世界陸上出場は26位。合格点に届かなかったが、集団の前で積極的にレースを進めたことが重要だったという。
翌年(18年)2月の東京マラソンは2時間6分台(2時間06分54秒)まで記録を伸ばした。
2時間06分11秒の日本記録で走った設楽には敗れたが、マラソンのスピードを世界レベルに近づけた。同年8月のアジア大会で32年ぶりの金メダル。日の丸を付けた夏のマラソンで、勝つレースを有言実行した。そして翌年(19年)4月のボストンでは起伏の激しいコースでアフリカ勢に挑戦し、積極的に前に出るシーンもあった。

世界陸上とアジア大会、ボストンと、ペースメーカー不在のマラソンを3レースも経験しているのは井上のアドバンテージだろう。ボストンから帰国時に井上は、次のように話していた
「先頭の動きや集団の動きなど、周りの見え方が変わってきました。どうやったらついて行けるかだんだんわかってきて、後半、もう少しでつかめた感覚がありました」
井上の強気は、経験に裏打ちされた強気でもある。

ペース変化にも井上流のメンタルで

井上は「MGCの勝負どころは?」という質問にこう答えている。
「周り(の誰か)が動くところか、自分が動くところです。展開は本当にわからなくて、速くなるかもしれませんし、スローになるかもしれません。20kmで仕掛けるのか、30kmで勝負に出るのか、あるいは最後の1kmまでためるのか。周りに対応する場合も、自分で仕掛けて主導権を握る場合も、その場その場で覚悟を決めて走らないといけない。世界陸上やボストンがそうなってしまいましたが、中途半端が一番よくありません」
井上はレース展開も、気持ちで変えられる。

2時間6分台でまとめた18年の東京マラソンも、気持ち次第でもっと走れたはずだという。33km付近から優勝したD・チュンバ(ケニア)ら3人がリードしたところで、「少し自重してしまった」と後悔している。
「ついて行ったら(動きもレース展開も)変わっていたかもしれません。チャンスは目の前にあったんです」
2時間6分台のペースは極限状態のはずである。その状態でも気持ち次第で、体をもっと動かせたというのだ。同じような状況にMGCでも直面するかもしれない。そのときに「その場で覚悟を決める」ということだ。
「精神論は違うと言われますが、マラソンって気持ちだと思う」
これが井上の信念だ。
気持ちがあれば努力をいとわずできる、という部分も含めて井上は言っている。
実際、トレーニングや準備を入念にやっている。
走り込むのはもちろんのこと、動きづくりのドリルもしっかり行っている。
実業団では走るメニュー以外は選手任せのチームが多いが、MHPSでは動きづくりも正規の練習メニューに組み込まれているのだ。

暑さ対策は昨年のアジア大会で成功したが、陸連科学委員会やメーカーとも提携し、さらに進化させている。
マラソン練習の合間に出場する10000mでも、自己記録を更新することができる。大迫と同様、井上もマラソンとトラックを近い動きで走ることができる選手と見ていい。
マラソンの中でペースを変える(勝負に出る)準備はできている。
「MGCの展開は読めませんが、最後まできちんと準備をした選手が主導権を握って勝つと思います。最後まで準備をすること、当日の暑さ対策をできるようにしておくこと、平常心を保つこと。基本的なことですが、そこの徹底から勝機が見えてきます」
「自分が一番強い」コメントは、この発言とセットで考えるべきだろう。
井上の強気は、準備ができていることを意味している。

BACK TO PAGETOP