報道の魂
ホウタマ日記
2017年01月17日 「言論のちから 民主主義のかたち」番組後記 (秋山浩之)
ジャーナリスト仲間として極めて有能な同志だった工藤泰志さんが、「民主主義を強くするため」出版社をやめて新たなNPOを作ると聞いたとき、正直おどろいた。15年前のことだ。
「言論のちからで、市民社会を強くする」と本人はやる気満々だったが、あまりにも気宇壮大かつ抽象的な構想に、私はピンと来なかった。一体、何を始める気なのか、まるで想像がつかなかった。

しかし、いまから思えば…。
彼の鋭い嗅覚は、この時すでに民主主義の脆弱さを敏感に感じ取っていたのだ。同時に、ジャーナリズムに対する深い失望感が、彼を突き動かしていた。

この15年、工藤さんは取りつかれたように「民主主義の危機」を繰り返し訴えてきた。そして2016年、英国のEU離脱、米国のトランプ現象と、民主主義の牙城のような国で土台が揺るぎ始めた。米大統領選の開票速報を見ながら、誰もが「民主主義って案外脆いものだ」と感じたはずだ。工藤さんが訴えてきた言葉の意味が、私にも初めて腑に落ちた。そして同時に、みずからの鈍感さを深く恥じた。

「政治に白紙委任をしない」というのが言論NPOのスローガンだ。選挙で投票しただけで有権者の役割は終わらない。その後も、公約の行方をチェックし、課題解決に向かって政治が動いているかどうか見極めてこそ、民主主義は機能する。こうした努力を怠ったとき、ポピュリズムがはびこり民主主義は崩壊の危機を迎える…。

この15年間の工藤さんの訴えをあらためて確認しながら、その一言一句が私の心に響いた。そして、トランプ大統領が誕生する2017年1月のタイミングで、工藤泰志のドキュメンタリーを制作しようと思った。

2016年の11月から翌年の年明けまで工藤さんの日々を追った。番組では安倍政権4年目の評価作業を中心に描いたが、実際の彼の活動は、アジア各国とのパイプ作りや国際会議の準備など、超多忙だった。一方で、活動資金集めに企業などを回っていることもしばしばだったようだ。「朝から何も食べていないので・・」とアンパンを片手にインタビューカメラの前に登場したこともあった。一見、派手な活動をしているようで、きわめて質素で地味な日常だった。

「だって、もともと喫茶店で紙袋ひとつから、活動をスタートさせたから…」と笑いながら言った。「でも、富士ゼロックスの小林陽太郎さんから、そんなんじゃ日本を変えられないと叱られて、空いているオフィスをただで貸してもらった」とのことだ。15年経ち、現在のオフィスに落ち着いて「やっと、まともにトイレ付の事務所になった」とも言っていた。草の根から這い上がってきたたくましさを感じた。

そんな工藤さんが、いったい誰を目標に人生を歩んでいるのかも、徐々にわかってきた。
「石橋湛山…」会話でたびたび登場した名前だ。工藤さんが勤めていた出版社のかつての代表で、戦後総理大臣にまでなったあの石橋湛山だ。「戦時中に雑誌で戦争反対の論陣を張った石橋湛山が、なぜ軍部に殺されなかったのか?調べてみると、湛山がリベラルな政財界人と強いネットワークを作って、軍部から守られていたことがわかった」と工藤さん。そして「自由な言論を担保するためにも、リベラルな政財界人とのネットワークが必要だ」と述べた。

工藤さんが、加藤紘一、小林陽太郎といったリベラルな政財界人とパイプを作っていた意味もここにあったのだ。権力から干渉を受けない言論環境を築くため、彼なりの計算のもと人脈を築き、活動していた。その意味で彼のことを、やや持ち上げ過ぎかもしれないが“現在の湛山”と呼んでもよいのかもしれない。

民主主義という制度をどうやって充実させていくべきなのか。人それぞれに考え方は違うだろう。今回紹介した工藤泰志さんの考えは、数ある民主主義論の中の、ひとつの答えにすぎない。この番組をきっかけに、米国のトランプ大統領誕生に象徴されるポピュリズムの問題を、わが身の問題として考えてもらえたら、ありがたいと思っている。
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