報道の魂
ホウタマ日記
2016年04月26日 「なすび、ふるさと・福島へ続く道」取材後記 (伊東康)
「初めは冗談かと思った。ほどんど山にも登ったことがない男が、ふるさとの応援のために、エベレストを目指すなんて」

本放送「なすび、ふるさと・福島へ続く道」の前編にあたる、2014年3月16日に「報道の魂」で放送された「なすび、残された100メートル〜ふるさと・福島を応援するということ」の冒頭のナレーション。この言葉は、なすびさんから一番最初に話を聞いたときの、私の率直な感想だった。

「なすびが元気がないから、なんとかしてくれ」

旧知の舞台役者・野崎数馬さんが、同じ劇団に所属するなすびさんを私に紹介したのは、2013年の7月のことだったと思う。

なすびさんがエベレストに一番最初に挑戦した2ヵ月ほど後のこと、最初に電話口で話を受けた私は、「なすび」があのなすびさんだとは、すぐにはピンとこなかった。

話の中で、なすびさんが福島出身だということは理解できたものの、なぜ、福島の応援のために、エベレストに登ろうとしたのか、ということが、やはり、いまいち分からない。そこで、とりあえず本人に会って話を聴いてみることになった。

待ち合わせ場所の新宿駅近くに自転車で姿を現したなすびさんとともに、近くの居酒屋へ。なすびさんは下戸で酒が飲めず、ウーロン茶オンリーで、持参したマイ箸で肴をつまみながら、3時間近くにわたり、私のギモンに答えてくれた。

当初のギモンの全てが明らかになったわけではないが、よくよく分かったのは、なすびさんがとにかく真面目で、一生懸命で、福島を愛していて、ふるさとのために何かできないかと思っているということ。私は、その熱意を何とか形にしたいと思い、何ができるか分からないが、カメラを回し始めたのだった。それが、前回と今回の放送につながった、というわけだ。

東北の被災地に関する報道は、時間が経つほどに難しくなっている、と感じる。それは、現在進行形で続いている震災の、現地との距離感から来るものなのかもしれない。

例えば、私がいる東京で被災地のことを報道しても、なかなか興味を持ってもらえない(ありていにいえば、視聴率が取れない)、もしくは、興味を持ってもらえないから報道しない、という空気がないとはいえない。

そして、東京で暮らしている私たちは、普段の生活の中で東北の被災地を意識することはあまりないし、その報道に触れても、どこか自分とは遠い世界の出来事のように感じているかもしれないし、ある意味で、忘れたい出来事なのかもしれない。それが「風化」というものなのだろう。

残念ながら私は、その「風化」の中にあって、なすびさんの取材を始めるまで、東北の被災者・被災地のために語れる自分の言葉はほとんど持っていなかった。

なすびさんはよく、「自分に出来る事は直接の支援ではなく間接的な応援」「地味でも地道に」という言葉を口にする。

私が、被災者・被災地のために直接できる支援というものは、ほとんどない。私と同じように、もしかしたら多くの人が、東北のことを頭の片隅に置きながらも、「今さら、何ができるのか」という思いを持っているかもしれない。

それでも、応援することは誰だってできるし、その声が、何かを動かすこともある。
応援という形で踏み出したその一歩が、また誰かの力になって、被災地の復興が一歩前に進むきっかけとなるかもしれない。

震災発生から5年、とにかく諦めずに、その一歩を前に踏み出すことの意味を、なすびさんと共に歩いた被災地・約150キロの道のりの中で、私は実感することができた。(なすびさんは約900キロ歩いているので、その6分の1程度の実感でしかないのかもしれないが)

だから、なすびさんの中では、福島・岩手・宮城の被災者の方々と話をして、応援の声をかけることと、エベレストに登って注目を集めようとすることは、そんなに大きな違いはないのだと思う。

「被災地応援のために、なぜ、エベレストに登るのか」―

それは、みなさんに、一歩前に踏み出すことの大切さを知ってもらうことだと、今の私なら理解できるが、本放送をご覧になったみなさんは、果たしてどう感じただろうか。


TBSテレビ報道局 伊東康
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