報道の魂
ホウタマ日記
2013年01月30日 「旅立った母」番組後記 (清水沙矢香)
「何故、撮ろうと思ったの?」時々訊かれることがあります。社内に掲示された母の訃報を見て、何か衝動が、それは悔しさなのか怒りなのか今でもよくわかりません、走ったところから始まりました。

おそらく「悔しさ」だったのだろうと思います。というのは、私自身が母と同じようになる可能性があったからです。

私は7年前からうつ病の診断を受け、再発を繰り返し、一昨年、躁鬱病であることが判明しました。うつの苦しさを嫌というほど知っている自分が、母を救えなかった。その時に、私にできることはただひとつ、カメラを手に取ることでした。母の死を無駄にしないこと、それが私にできる唯一のことだと考えたのだと思います。

というのも、母が、もう何十年も大切に保管していたものがあります。私の小学校の卒業文集です。「10年後の私」というコーナーに、12歳の私は「ジャーナリストになる勉強をしているだろう」と書いていました。そして現に私の就職が決まったとき、とても喜んでいました。

母の死後、私は父に毎晩電話をかけるようにしました。4月のある日。父の様子がいつもと違うのに気がつきました。母の洋服箪笥を、自分で分解して処分したということでした。「遺品整理」の辛さは、あとになって私にもよくわかりました。母のクローゼットから持ち帰った大量の洋服、1年経ってそれをまるごと処分しながら、「第2の別れ」を経験しました。

今、父は元気に暮らしています。週末には近所の親戚がやってきて一緒にご飯を食べたり、休日には相変わらず釣りに出かけたり。

ある時、父はこう言いました。「テレビのニュースを見る目が変わった」と。事件、事故、災害…人命が失われるニュースが流れます。「これまでは、亡くなった人はかわいそうやね、って思いよったけど、今は違うんよね。家族の人は辛いやろうねーって、そっちに気持ちが行くんよ」。

この番組に出てくる私たち家族3人。誰しもが、いつその誰かになってもおかしくないのだということを、ここで伝えられていればと思います。

清水 沙矢香
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