報道の魂
ホウタマ日記
2012年08月29日 追記 “深夜枠”を理解してほしい (秋山浩之)
深夜枠だからこそ成立する番組がある。視聴率という競争から解放され、制作者が本当に表現したいものを追求できる場。ドキュメンタリー番組は、そんな深夜にふさわしいと思う。「こんな時間に放送して、誰が見るのか?」という批判がある。でも幸いなことに、必ず誰かが見てくれる。そして、正当に評価してくれる。それが深夜枠だ。だから私は「こんな時間」をバカにしない。むしろ「ありがたい」とさえ感じる。

我々の大先輩の言葉がある。ドキュメンタリーとは…「制作者と視聴者が一対一で向かい合う場だ」と。深夜に放送するドキュメンタリーが見る人の心に届いているとすれば、この言葉と関係があるように思う。

残念なことに昼間のテレビは…「ながら視聴」「ザッピング視聴」にさらされている。じっくり腰をすえてみてもらうドキュメンタリーの場にあまりふさわしくない。視聴者にとっても、制作者にとっても、どうもしっくり来ない場なのだ。

この不幸な関係を無理に解消しようと、私もかつて昼間枠でもがいたことがあった。有名キャスターを起用し、音楽とテロップで厚化粧して。再現映像なども使ってわかりやすく…。CM前には、必ず思わせぶりなひっぱりナレーションを考えて…。でも、そうやって小細工をすればするほど…番組は自分が表現したいものではなくなっていった。肝心なものを失った気がした。

そんな苦い過去を踏まえて…いま私は深夜枠のドキュメンタリーにたどり着いた。「なぜ、こんな時間に放送するのか…」という声に、私は次のように応えている。映画館に例えるなら…深夜の放送枠は「自主上映館だ」と。そう思ってほしい。都会の場末に建つ自主上映館に「なぜ表通りで上映をやらないのか」と聞いたなら…館主はきっとこう言うだろう。「表通りは家賃も高い」「派手なロードショーとの競争にもさらされる」「ここが一番だ」と。

深夜のドキュメンタリー枠もこれと似ている。問題意識をもったひとたちがポツリポツリとその場に足を運び作品を見に来てくれる。制作者との一対一の出会いを求めて…。

こんなふうに番組が見られていることを、少しでも判ってほしい。そして、この目立たない上映館を「もっと盛り上げよう」と応援してほしい。

幸いなことに、録画機の普及で番組を毎回録画して見てくれるひとがたくさんいる。テレビ局の編成など、もはや期待されていないのだ。ユーチューブなどの動画サイトの普及も大きい。良い番組を作ると、誰かが勝手にアップしてくれる。著作権云々より、ひとりでも多くのひとに見てもらう機会があることを制作者としてありがたいと思う。この時代を生き抜こうともがくドキュメンタリー制作者はそんな思いで頑張っている。だから「こんな時間…」をバカにせず、ぜひ応援してほしい。そう願っている。

(秋山浩之)
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