報道の魂
ホウタマ日記
2009年08月13日 「自己検証足利事件」番組後記 (秋山浩之)
開き直った言い方になるが、我々報道機関は「鵜呑み」が得意である。警察・検察の発表、裁判所の判決…。それらを充分に咀嚼する前に、まずは飲み込んで報じてしまうのが良しとされる。

モタモタ思案することはニュースを“腐らせ”マイナスとなるからだ。NEWS、すなわち“新鮮なもの”を扱うという任務は、必然的に「鵜呑み」を要求される。報道の宿命といってもいい。

だが、我々の仕事はそういった第一報の伝達だけではない。一旦は「鵜呑み」にしたものを、時に吐き出して「咀嚼し直す」のも報道機関の役割である。継続取材とか、検証取材とかいわれるものである。

我々は「咀嚼し直す」ことで「鵜呑み」による垂れ流しの危険性をリカバリーしてきた。「時間をかけて調べたら、当初報じたものは間違っていました…」報道機関の良識は、ニュースを「咀嚼し直す」ことではじめて担保される。その原則を報道現場は忘れてはならない、はずだった…。

さて「足利事件」である。我々の良識は発揮されたのか、ということだ。残念ながらその痕跡は皆無であった。少なくともTBS報道局で、菅家利和さんの冤罪を疑って、事件を再取材した記者はいなかった。

「咀嚼し直す」機会は、いくつかあった。最大のチャンスは、控訴審に入った段階だ。弁護団が一新し、本気で菅家さんの無罪を争うため分厚い控訴趣意書を報道機関にもばらまいた。読んでみれば、菅家さんがいかに曖昧な根拠で逮捕・有罪とされたか、わかる内容だった。しかし記者は動かなかった。「記者の反応は、殆どありませんでした」。当時を回想して、趣意書を書いた弁護士は苦々しく言った。

かろうじて反応したフリーランスのKという記者がいた。彼はその後、事件にのめり込み、分厚いルポを書いている。題して『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか』。驚くほど緻密な取材で問題の本質に迫っている。読んでみて思わず脱帽してしまった。「こんなジャーナリストがいたのか…」正直、そう思った。

このところ菅家さん事件を受け、「メディアは警察発表の垂れ流しを止めろ…」、あらためてそんな声が聞かれる。「鵜呑み」批判である。しかし、批判されるべきは、果たしてその点なのだろうか?フリーランスのKさんのような仕事ができなかったこと、つまり「咀嚼し直す」ことに思いも及ばなかった“鈍感さ”にこそ、批判は向けられるべきではないのか。

「あなたのような仕事こそ、本物のジャーナリズムだと思います」。Kさんの本を読み終えた後、ご本人にそのような感想を送った。彼の仕事に対する敬意が半分、自らの愚鈍さへの戒めがもう半分である。

秋山浩之(取材ディレクター・TBS報道局編集部)
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