報道の魂
ホウタマ日記
2008年12月25日 「ある名誉毀損判決の波紋」番組後記 (秋山浩之)
「訴えてやる!!」

他局の人気番組『行列のできる法律相談所』で頻繁に飛び出すセリフだ。娯楽番組ということでタレント弁護士たちの歯切れの良い弁舌をいつも聞き流している私だが、ふと「待てよ」と思う。いつの間にか社会はギスギスした訴訟社会、話し合いではなく裁判で決着を図る社会になっているのかもしれない。娯楽番組を見て笑っている場合ではないのかも…。

「訴訟ではなく、まず話し合いを…」

他人とトラブルになった時、私ならまずそう切り出す。訴訟という手段は、話し合いがこじれた後の奥の手だと思うからだ。けれどもあの娯楽番組の常套句のように、いきなり

「訴えてやる!!」

とすることにためらわない人たちが増えたなら、社会はどうなってしまうのか…。今回の番組テーマであるオリコン裁判を取材するうち、そんな思いに駆られた。

「この記事でいきなり訴訟?」

オリコンが起した名誉棄損訴訟の中身を知った時、正直、違和感を覚えた。たとえ気に入らない記事が出たとしても、まずは訂正要求なり反論記事掲載なりの手段をとるのが言論・出版界の常識ではなかったのか。言論には言論でという対応こそ、社会の健全さの証ではなかったのか…。

無論、何人も訴訟を起す権利は持つ。けれども無際限の権利行使は、いわば訴訟権の乱用であり言論活動の萎縮につながる。常識的な判断のもと訴訟は起されるべきで、訴訟を起す側の責任も当然問われるべきである。

更に裁判所の問題もある。今回の番組では、裁判所の判断への疑問も投げかけた。出版社も編集者も訴えず、取材を受けた記者だけを訴えるというオリコンの異例の訴えを「不自然だ」と少しも思わない裁判官の思考方法に疑問を感じたからだ。

「訴訟に名を借りた個人攻撃では…」

被告となった記者がそう訴えても裁判官は耳を貸さない。裁判官の思考の中にはそうした発想自体がないのかもしれない。これは由々しきことだ。私も判決文を読んでみたが、木を見て森を見ずと言おうか、裁判所の基本的な前提が社会とずれているようにすら思える。

「裁判所は、誰のために、何を裁こうとしているのか…」

そう思わずにいられなかった。
折しも裁判員制度の導入が2009年5月に迫っている。社会常識を刑事裁判の場に反映させることが目的のひとつとされている。今回のケースは刑事ではなく民事ではあるが、裁判官の判断の危うさを思うにつけ、社会常識を法廷に吹き込む必要を感じずにはおれない。

(報道局編集部 秋山浩之)
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