過去の放送内容

「がっちりマンデー!!」毎週日曜あさ7時30分から

がっちりマンデー!!

過去の放送内容

2010年3月28日放送

特集

万博発ビジネス

ゲスト

堺屋太一さん、ブラックマヨネーズ(小杉竜一さん、吉田敬さん)

番組内容

今日のがっちりマンデーは「万博発ビジネス」!
1970年、日本で初めて開催された大阪万博。
高度経済成長まっただ中の日本で行われ、最先端技術が次々に誕生!
その夢の技術が今日の日本を代表する、儲かり商品につながっているんです!
万博発ビジネス、現代につながるすごい技術が続々登場します!

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万博で登場した携帯電話の原点「ワイヤレステレホン」

今から40年前、1970年に開催された大阪万博はとにかくすごかった!
6か月の開催期間で、入場者数は6,421万人!
当時のことを、巣鴨のお姉さま方に聞いてみると、

巣鴨の方:石、月の石。昼間行ったときは並んでて見れなかったの。それでわざわざ昼間は大阪を見学して、夜行ったの。

日本はこの大阪万博で最先端の技術を展示。未来の夢の商品を集めました。
それが、40年後の現在儲かっている商品やサービスの基になっているんです!

万博発ビジネス!最初に訪ねたのは、東京都武蔵野市にあるNTT技術史料館。

伊藤さん:こんにちは、いらっしゃい。
スタッフ:お名前は?
伊藤さん:私、伊藤貞夫と申します。

出迎えてくれたのは伊藤貞夫さん、御年75歳。実はあるモノを作ったすごい人なんです!
伊藤さんが作ったモノとは…こちら!

携帯電話の原点、ワイヤレステレホン!は電話といえば黒電話が当たり前、プッシュホンすら珍しかった時代、伊藤さんは仲間たちと携帯電話を作っていた!当時の様子を尋ねると、

伊藤さん:もうお客さんは朝からですね、ザーッと開門と同時にサーッと電気通信館においでになりまして、万博携帯を使いたいってすぐに受付に並んでいただいたんです。

これまでに見たことのない「持ち運べる電話」に当時の皆さんは大興奮!巣鴨のお姉さまも、

巣鴨の方:こんな大きな椅子に座って、どこでもいいから1か所だけ通話料をタダにするって。でも外国に知ってる人はいないしね。家へかけたわよ、ウハハハハハ!

でも、伊藤さんはどうして携帯電話のようなすごいものを思いついたのか?

伊藤さん:腕時計みたいなもので「応答せよ!」とかですね、マンガに出てくるような電話というか通信を、現実の社会に取り入れられないかということで。「部隊長、報告いたします!戦闘状態が行われております!以上!」と、こんな感じで。

若かった伊藤さんたちが、漫画や特撮の世界にしかなかったモノを現実にしてしまおうという夢の計画だったのです。
しかし、いざ作ろうと思ったら大きな問題が!それは、「大きさ」。

伊藤さん:なるべく軽くしないとですね、重いのは使いにくいので。一生懸命考えました。小さい部品を詰め込んで、こういう形に仕上げたと。

当時最小の部品を集め、数をなるべく少なく、ぎっしり詰め込むことによって軽量化が実現。
万博での大成功につながったのです。
でも、伊藤さんたちはただ展示していただけじゃなかった。
今の携帯電話の開発につながる重要なことをしていたのです。それは、

伊藤さん:世界各国からもおいでになりますし、万博会場をひとつの場にして、どういう使い方をされるのか、という貴重なデータを得られたんです。

初めて見る電話をどういう風に扱うのかという調査にもってこいの場所だった!
たとえばこんなことが分かったそうで。

伊藤さん:私たちは人差し指でボタンを押すと思っていたんですが、みなさん親指でやられたものですから、2つくらい一度にダイヤルされる可能性があったんですね。

ホントだ!他にも分かったのが、通話ボタンを押して「ツー」という発信音が鳴る前にダイヤルし始める人が多いということ。
これは、のちのケータイで「番号を押してから発信する」という手順のヒントになっています。

その後、携帯電話は小型化などによりまたたく間に広がり、加入件数1億1,000万人を超える超儲かり商品に!現在も、進化はとどまるところを知りません。
最新機種「F-04B」は一見普通の形ですが、

なんと2つに分かれちゃう!NTTドコモプロダクト部の成瀬直樹さんに伺うと、

成瀬さん:通話を継続したままディスプレイを外して、相手の方とお話をした状態でメールや電話帳を見るという使い方ができます。

いやあ、ケータイはどこまで進化するんでしょうかねー?

実は万博で登場、エアドーム!

万博発ビジネス!
続いてはお会いしたのは、太陽工業という会社の技術顧問、望月利男さん。
この工場で作られたモノが、

望月さん:ここではアメリカ館を作りました。アメリカ館の屋根ですね。

万博の一番人気だった、「月の石」を展示したアメリカ館。

その屋根は未来感たっぷり、空気で膨らませるエアドームのテント屋根でした。
しかもその大きさが半端じゃなかった。縦120m、横80mという巨大サイズ!
アメリカ人設計者が考えたこのアイデアに各社がしり込みする中、当時の能村社長は「失敗したらやり直しゃええやないか!」とテント屋根の製作を引き受けたのです。

望月さん:日本で前例がないわけですから、我々がやらないで先に越されたくないと。

太陽工業は、元々キャンプのテントや自動車のホロなどを作っていた小さな会社でしたが、当時、製造班長をしていた宮坂勝治さんにお話を伺うと、

スタッフ:作る技術に関して自信は?
宮坂さん:全然ないです。まあ、作るしかないしね。

不安だらけで製作スタート。
でもやっぱり1万平方メートルにも及ぶ大きさのせいで問題が。
それは、「設計図作りが大変」だってこと!
エアドームのテント屋根は微妙な曲線が多いので計算が複雑。

しかも当時は電卓もろくになかった時代。
計算はすべて手作業で行い、設計図作りにまるまる3か月もかかったのだとか。
さらに、生地と生地をくっつける機械も1台しかなく、24時間フル稼働!

宮坂さん:とにかくね、寝ずにやってたからね。テントの中にもぐってはちょっと仮眠して。で、「時間やぞ!」って蹴っ飛ばされて。

苦労の甲斐もあって、アメリカ館は無事に完成。
最後に屋根が膨らんでいく瞬間、製造班長だった宮坂さんは、

宮坂さん:うわーっと膨らんでいくわけですよ。苦労がね…今までしんどい思いをしてきたから、感情が高ぶってしまって、勝手に涙がぼろぼろぼろぼろ出てきたんです。

太陽工業はこのアメリカ館を始め、万博のテント屋根のおよそ9割を担当。
一躍、世界中にその名が知られ、テント屋根業界では世界トップに!
あの東京ドームや、サッカーW杯南アフリカ大会のスタジアムの屋根など、世界中のテント屋根を作っています。
2008年度の売上げ、491億円!その基は大阪万博にあったのです。

▼スタジオにてお話を伺いました。
加藤:万博発で今につながっている商品って他にもあるんですか?

堺屋さん:たくさんありますよ。たとえば、背広は万博以前もあったんですが、カジュアルウエアはなかったんです。万博の開会式の写真を見ると、男は背広・学生服以外はいない。それが万博が終わる9月13日は、背広の人はほとんどいなくなっているんです。
小杉さん:じゃあ僕はこうやってパーカ羽織れているのも堺屋さんのおかげなんですね!

堺屋さん:それで国としても大変儲かりましたしね。当時のお金で292億円、今でいえば7,000億〜8,000億円くらいですね。

加藤:すいません、堺屋さんのことナメてました!

万博発、コンピューターの最先端技術!

万博発ビジネス!今では当たり前のコンピューターも、知られるようになったのは大阪万博がきっかけ。そんなコンピューターの最先端技術が展示されていたのは、

こちらの古河パビリオン。ここで展示されていたのが、

男性がマイクを持って何かしゃべってますけど?
これ、音声をコンピューターで認識する技術!
どんなものだったのか、富士通広報IR室担当課長の赤星直輝さんにお聞きしました。

赤星さん:当時キャッシュレスショッピングという言い方をしていたんですけれども、人間の声でその人を認識する、音声の処理技術としてそういったものを展示してました。

あらかじめ自分の声を登録しておくと、その声がパスワードになっちゃう。
本人の声と一致したときのみ、お買い物ができるという仕組み。
コンピューターによる音声認識が40年前に!なんでこんなことができるのかというと、

赤星さん:声ですと、発生する音声の中にはその人特有の特徴量がありますので。

人には指紋ならぬ声紋というものがあり、コンピューターでそれを認識できるようになったのです。今では、テレホンバンキングでの本人の確認や、声で玄関を開けるなど、様々な場所で使われています。

さらに音声認識の技術はこんなモノに生かされている!
こちら、「らくらくホン」という高齢者向けの携帯電話。
これで何が出来るか、モバイルフォン事業部の山田竜太郎さんに見せていただくと、

山田さん:新橋から赤坂見附まで3月28日10時着

と声を吹き込むだけで、

乗換案内が楽々検索。こりゃ便利だ!

社員の方:富士通は音声技術でがっちり!

万博が生んだあのヒット商品!その1

万博発ビジネス!6,000万人以上を集めた大阪万博。
これを機に、意外なモノがバカ売れしたのです!たとえば、

インキに付けなくてもハンコが押せる、シヤチハタ!
万博にどう関係があるのか、シヤチハタ広報担当の丹羽真規子さんにお聞きすると、

丹羽さん:大阪万博の時に、各パビリオンで記念スタンプとして採用していただけたんです。

万博では、各パビリオンに記念スタンプ台が設置されていました。
たくさんの人が押すから、手間いらずで便利なシヤチハタが採用されたんです。
カラフルなデザインが可能な点も受け、知名度が一気にアップ!
万博が終わってからの売上げはというと、

丹羽さん:翌年には2倍、その次の年は3倍!その次の年は4倍になりました!万博さまさまですね!

万博を機に大ヒットしたシヤチハタですが、丹羽さんなんだか不満顔。

丹羽さん:これシヤチハタっていう名前じゃないんです。エックススタンパーっていうんです。シヤチハタは社名です。

はい、あくまでも「シヤチハタ」は社名なのですが、万博当時「シヤチハタネーム」という名前で売り出してヒットしてしまったため、「シヤチハタ」と呼ばれるようになってしまったんです。
まあ儲かっているんだから許して、丹羽さん。

万博が生んだあのヒット商品!その2

万博発ビジネス!
シヤチハタと同じく、万博が生んだヒット商品が、

「明治ブルガリアヨーグルト」!
これ、誕生のきっかけがちょっと変わっているんです。
明治乳業市乳販売本部の樋口靖夫さん、一体どういうこと?

樋口さん:大阪万博でブルガリア館というものがありまして、そこでプレーンヨーグルトを展示していたと。

明治乳業では大阪万博が行われる前にもヨーグルトを作っていましたが、味は甘く、プリンやゼリーのようにおやつとして食べるものでした。
そんなところへ、大阪万博のブルガリア館では、ヨーグルトの本場ブルガリアのプレーンヨーグルトの試食コーナーがあることを聞きつけた。
急いで駆けつけた明治乳業の社員は、「これはうまい!」とビックリ!
そこで、思い切って「ちょっとちょうだい!」と、ヨーグルトのサンプルをもらって帰ったのです。
ヨーグルトは菌によって味が変わるもの。
明治乳業ではブルガリア館で分けてもらったヨーグルト菌を元に商品を開発。
日本初のプレーンヨーグルトを作ったのです。

スタッフ:万博がなかったらプレーンヨーグルトは?
樋口さん:もしかしたらなかったかもしれないですね。

1973年には、商品名に国名の使用許可をもらうことに成功!
「明治ブルガリアヨーグルト」が誕生したのです。
売上げは徐々に伸び、発売当初は1日200〜300個しか売れなかったのが、現在では1日70万個を売り上げる大ヒット商品に!
万博の時ブルガリア館に行かなかったら、おいしいヨーグルトは誕生しなかったかも?

▼スタジオにてお話を伺いました。
堺屋さん:当時の日本は、乳製品の輸入禁止だったんです。ところが万博会場だけは保税倉庫(外国貨物の保管・展示などができる場所)だから輸入できたんです。それで初めてブルガリアヨーグルトがあるということが日本人に知られたんです。

進藤:他に大阪万博で広まったものに、缶コーヒーがあります。会場に自動販売機を置いたんですよね?

堺屋さん:はい。

加藤:それで一気に万博で缶コーヒーと自動販売機が広がったんですね!

進藤:実は、今年開催の上海万博にも堺屋さんが関わっています。

堺屋さん:日本産業館の代表兼総合プロデューサーをしておりまして、「世界一キレイなトイレ」というものを作っています。お客さんからいちばんお金を取れないのがトイレで、「日本の企業は儲けるだけじゃなくて本当のサービスをしてます」という象徴で作っております。

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