過去の放送内容
2008年11月23日放送
特集
機械遺産
ゲスト
池上彰さん(ジャーナリスト)、バナナマンさん
番組内容
2007年6月、日本機械学会という団体がある興味深い事業を始めました。
それが、"機械遺産"!
これまで日本の経済発展を支えてきたスゴイ機械を文化遺産にして、次世代に残そうという構想なのです。
そこで番組がいち早くその実態を調べてみると、世界に誇る技術大国日本を支えてきたスゴイ機械がありました。
日本に希望を与えたスゴイ機械!
世界に誇る企業を作り上げたスゴイ機械!
開発者の魂のこもったスゴイ機械!
それでは機械遺産を巡る旅に出掛けましょう。
機械遺産の旅へ
スタッフがやって来たのは、機械遺産を認定している社団法人日本機械学会。
失礼ながら、かなりちゃんとしたオフィスです。
機械学会の歴史は古く、創立は111年前。全国4万人の技術者が登録しています。
迎えて下さったのは、機械遺産副委員長の小野寺さん。
小野寺さん:日本の機械の中でも特に私たちの生活に大きな影響を与えた機械を記念物として認定するものです。スゴイですよ!
そういえば、小野寺さんにはどうしても確認しておかなければならないことが!
Q:「機械遺産」というネーミングはどこから?
小野寺さん:パクッたわけではございませんが(笑)
失礼致しました!
小野寺さん:去年と今年合わせて200件申請が出ていて、その中から31件を選びました。
選定のポイントは、社会が発展するきっかけになった機械であること。
そして、現存し実際に動かせる状態であることが条件となっています。
それでは、日本が誇る機械遺産の旅へ出掛けましょう!
▼からくり時計の最高傑作
まず最初にご紹介する機械遺産は、海外の博覧会で絶大な評価を受け、この機械の誕生があの巨大電機メーカーの原点ともなったからくり時計の最高傑作。
担当の方について行くと、ケース内に保管された不思議な形の置時計。
担当の方:江戸時代は、鎖国時代というのもあって、かなり独特の文化が色々できました。時の文化もそのひとつで、とにかく当時の時と暦の情報をすべて詰め込もうということで大変欲張ったものだと思います。
機械遺産認定No.22万年時鳴鐘。
からくり義衛門こと田中久重氏が1851年、嘉平4年に制作。
この機械がからくり時計の最高傑作と言われる所以、それは表面の精巧さや、煌びやかさだけではありません。
6面を構成している6つの時計が様々な時を刻み、しかもそのすべてが連動するという驚くべき構造にあるのです。
和時計を表す第一面や干支を表す第四面のように全く違う時計が同時に動いているのです。
巨大鉄橋に隠されたヒミツとは
続いての機械遺産は、その中でも最大のスケールで、国の重要文化財にも認定された現役の機械遺産。地元の方に伺ってみると…
Q:機械遺産があるとお聞きしたんですけど?
地元の方:階段登ればあります。そこだよ。
今なお現役の機械遺産とは一体!?保存会の方に連れられ、スタッフが向かった先で見たものは…
保存会の方:あちらに見えます鉄橋が機械遺産でございます。
機械遺産認定No.23筑後川昇開橋。
佐賀県と福岡県の県境を流れる筑後川に掛かり、旧国鉄佐賀線の汽車が走る鉄道橋として昭和10年に開通。
全長507.2mは当時国内随一の長さ。
保存会の方:この鉄橋の特徴は、昇開式稼働橋という橋の中央が上下するところです。
この鉄橋、重さ48トンもある橋の中央部分が毎日16回23m上昇させることが可能。
橋の上に鉄道を走らせながら、筑後川を往来する大型船の交通を妨げない。
そのため、船が来たときだけ中央部分を上昇させるこの方法を採用したのです。
橋のアップダウンはエレベーターと同じ原理。
2つの塔には中央の端の部分と同じ重さの錘がついていて、滑車の原理を応用。
おかげで、最小限の動力で動かすことが可能になっているのです。
この日本の橋業界の歴史に残る名作を生み出したのは、ちょっと意外な経歴の持ち主。
保存会の方:坂本種芳さんって方で、手品が趣味で、その方が考えた仕組みだそうです。
建設の指揮を執ったのは、鉄道省の技師でありながら、副業がなんとマジシャンだった坂本種芳氏。
しかも、世界的なマジックの賞、スフィンクス賞を受賞し、現在もマジックの著書が残っているほどの超大物。
たしかに、昇開橋の動きはマジックだ!
情報通信網の原点
続いての機械遺産は、戦後日本の情報通信網の原点で、ビジネスのスピードアップに多大なる影響を与えた逸品。
東北みちのくは岩手県花巻市、新興製作所なる会社にその機械は眠っているという。
Q:スゴイ機械があるとお聞きしたのですが?
佐藤さん:機械遺産に認定された機械がうちの会社にございます。これがクラインシュミット型鍵盤さん孔機です。
機械遺産No.29クラインシュミット型鍵盤さん孔機。
Q:何をするための機械ですか?
佐藤さん:昔は通信手段というのはモールス符号だったんです。そのモールス符号を目で見れるように符号化するようにしたんです。
さん孔とは、穴を開けるという意味。
戦後まもなく、GHQの指示の元、モールス式に代わりカナ文字を通信できる機械として開発されました。
キーボードを打つと、記録紙テープにモールス符号と同じ穴が開き、相手側で穴の開いた紙を読み取ると、カナ文字が印刷されるという仕組み。
佐藤さん:今でこそITと言ってますが、情報社会の先駆けということだと思います。
佐藤さん、自慢の機械を他にも紹介して下さいました。
機械遺産、テレックス。
このテレックスには、タイピング・印字、文字情報を記憶、電話回線で送信、相手はいつでも受け取れる、という機能が付いていました。
東北みちのくが生んだ通信システムは、進化を続け、その後のファックス誕生の礎となりました。ということは、実際のところかなり儲かりましたか?
佐藤さん:相当儲かったんじゃないかな。
▼スタジオにてお話を伺いました。
加藤:スゴイのいっぱいありましたよね。テレックスなんてファックスの始まりでしょ?
池上さん:今ではインターネットのメールのようなものですよね。
進藤:最近まで使っていたところもあるみたいですね?
池上さん:特に海外と情報をやりとりする場合にはテレックスは必須なんですね。例えば、外務省と海外にある大使館との連絡や、新聞社やテレビ局が海外の支局から東京に送るときにはテレックスを使うんですね。すべてカタカナで出てくるので、それをどの漢字になるのか直さないといけないんですね。
進藤:31の機械遺産がこちらです。
バナナマン設楽さん:新幹線も入ってるんですね。飛行機ありません?
加藤:YS11だよ。もう廃止になった旅客機ね。
池上さん:第二次世界大戦までは、日本というとゼロ戦のような世界に冠たる技術を持った航空機があったんですね。ところが、日本が二度と戦争をしないように、航空機の技術を開発できないようにしたんですよね。それに対して、飛行機の技術をこれからも残していこうということで開発された独自の飛行機ですよね。
現代医療に必須の器具
続いての機械遺産は、現代の医療現場において欠かすことのできない器具。
それを作った会社は現在でも業界シェア世界ナンバーワンを誇る。
そんな機械遺産が眠る場所に伺いました。
これは、世界で最初に実用化された胃カメラです。
機械遺産認定No.19ガストロカメラGT-1。
開発のきっかけは、患者の胃の中を写すカメラは作れないかという医療現場からの声でした。
人体が影響を受けないようなレンズの大きさ・光の強さ・本体の材質に至るまで、試行錯誤が繰り返し行われました。
当時の最先端のカメラ技術を駆使し、昭和25年に試作機が完成します。
社員の方:昔はカメラを体内に入れて、胃の中を全部くまなく撮影したいわけですね。お医者さんは、今カメラはどちらを向いているか直に見えませんので、ハンドルでその動きを調整しました。
医療業界でブランドを確立、リードしてきたのがオリンパスなのです。
その後、胃カメラ技術はめざましく進化。
1960年代、ファイバースコープの誕生により、手元で操作しながら直接映像を確認できるようになりました。
1980年代、超音波内視鏡とビデオスコープの誕生により、映像をテレビモニターに映し出すことが可能になりました。
そして、オリンパスの最新の内視鏡がコチラ!
一見、薬のカプセルと間違えそうですが、これも内視鏡!
飲み込んで、お尻から出るまで、お腹の中で撮影を続けてくれるというもの。
ガストロカメラのあの管が、指先と同じくらいの小ささになったのです。
医療の世界に内視鏡というジャンルが生まれるきっかけとなったガストロカメラ。
日本製ミシンの先駆け
続いては、それまでNo.1だったアメリカに真っ向勝負を挑んだ機械業界のサムライ。
まさに日本の魂が詰まった逸品。
機械遺産認定No.19麦わら帽子製造用環縫いミシン。
作ったのは、安井正義・実一の兄弟でした。
ミシンの修理で生計を立てていた二人は、外国製品は故障が多く、品質が安定していない点に着目。
性能の良い国産ミシンは売れると確信、製造に着手します。
こうして昭和3年に発売されたミシンは、その年にちなんで昭三式ミシンとも呼ばれ、まったく壊れないと評判を呼び、注文が殺到し、安井兄弟のミシンは瞬く間に広まりました。
耐久性のヒミツは何と言ってもその作りにありました。
針があたっても壊れないよう、糸受けを堅く加工しながらも、内部に柔らかさを残すため、浸炭焼入れ技術という独自の方法を採用。
おかげで、信じられないくらい頑丈です。
社員の方:これは昭和3年、1928年に作られたものですが、80年経ってもいまだに麦わら帽子の製造工場で活躍しています。
こちらが機械遺産が現在も麦わら帽子を編んでいるかなり貴重な映像です。
現役で動く機械に脱帽です。
ミシン作りで成功を収めた安井兄弟、「兄弟」をそのまま社名にした「brother」は世界中にミシンのトップブランドとしての地位を確立していきました。
▼スタジオにてお話を伺いました。
進藤:麦わら帽子も見事でしたね。
池上さん:ブラザーというと、今は特にプリンターで世界的に非常に有名ですよね。そのプリンター技術って実はあの技術がやっぱり活きているみたいですね。プリンターは激しく印刷するわけですから、その振動に強い機械というのが重要だそうですよ。それから、ミシンというと布を送るでしょ。プリンターは紙を送ります。つまり、技術が脈々と生きているということです。
進藤:次に機械遺産に入りそうな機械を教えて下さい!
池上さん:それはワープロです!アメリカではタイプライターがありますが、あれはローマ字26 文字を並べるだけですが、日本語はひらがな・カタカナ・漢字があります。ひらがなを漢字に変換するなんて、まさに日本ならではですよね。これは東芝が 1978年に初めて開発しまして、これこそ世界に誇るものだと思います!
加藤:ワープロの第1号機って見てみたいよね!