番組ラインナップ

JNNドキュメント
地上波では、地域ごとにしか見ることのできない
地方局制作のドキュメンタリー番組を毎週お届けします。
TBSの日本全国28局の系列局、JNN(Japan News Network)が誇る
日本各地の取材班が、時間をかけて紡いだ秀逸のドキュメンタリーを
お送りします。
  • ○2016年11月○
  • 11月1日(火)ガイドブックにない とっておきの上高地 制作:SBC 信越放送
  • 11月8日(火)“沖縄”が問うもの~基地負担・不条理の源流とは~ 制作:RBC 琉球放送
  • 11月15日(火)アフリカの大地に種をまく~コメで飢餓を救いたい~ 制作:OBS大分放送
  • 11月22日(火)8月6日の切符~あの日電車が走った 制作:RCC 中国放送
  • 11月29日(火)牛が教えてくれること~博多和牛 米農家の挑戦~制作:RKB RKB毎日放送

これまで放送したドキュメンタリー

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11月22日(火)午後11時から放送
8月6日の切符~あの日電車が走った~
制作:RCC 中国放送 
RCC初回放送:2016年8月6日(土)

○内容○
あの日、列車によって繋がれた命があった―。
あまり知られていない事実だが、原爆が投下された1945年8月6日、広島で国鉄の列車が運行されていた。
庄原市の江木千鶴子さん(72)は、原爆資料館に1枚の切符を寄贈した。あの日乗車した芸備線の己斐駅(現・西広島駅)~備後十日市駅(現・三次駅)の切符だ。江木さんは1歳8か月のとき、広島駅で母親と一緒に被爆し、その日のうちに列車に乗って広島を逃れた。生きのびることができたのは、母子がたどった沿線の住民らに救護されたからだ。
原爆投下のわずか1時間後、損傷した広島駅では国鉄職員らが復旧作業を始めていた。現在マツダスタジアムがある第一機関区では、貨車を寄せ集めた避難列車が糸崎駅へ向けて出発しようとしていた。その列車に乗って避難した男性は、今もそのときの状況を鮮明に覚えている。鉄路を伝って逃げてくる被爆者を機関車の運転席に乗せ、西条に運んだ国鉄マンもいた。
列車によって多くの命がつながった一方で、原爆による混乱は、壊滅した広島市街地から遠く離れた郊外にも広がっていくことになる。
広島と広島以外。原爆で分かれた2つの世界を列車は行き来した。列車をめぐるあの日の物語を関係者の証言や残された資料から掘り起こす。
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11月8日(火)午後11時から放送
“沖縄”が問うもの~基地負担・不条理の源流とは~
制作:RBC 琉球放送 
RBC初回放送:2016年4月12日(火)

○内容○
普天間基地の返還が合意されたのは今から20年前。全面返還が約束されたものの、県内移設が条件となった。その後、政府は名護市辺野古への移設を進めようとするものの、過重な基地負担を軽減するよう願う県民の反発は根強く、返還は20年経った今も実現していない。
政府は辺野古への移設を「沖縄の基地負担軽減実現のため」と発信し続けている。しかし、沖縄にはすでにアメリカ軍専用施設の約74%が集中している。さらには、普天間基地、辺野古移設そして沖縄の基地問題全体をめぐる様々な「誤解」が生まれている。政府が「地元が過去に同意している」などと繰り返すのもその一端だ。
辺野古移設をめぐる状況も、2014年に移設反対を掲げる翁長知事が当選して以降、大きく変化した。翁長知事は政府との対話、アメリカへの要請など様々なチャネルを通して交渉を続ける一方、辺野古の埋め立て承認を取り消すなど移設阻止実現に向けた動きを強めている。一方、政府も閣僚が「辺野古が唯一の解決策」という言葉を繰り返し、それ以外の解決策に応じる気配は見られない。こうした中で、翁長知事の承認取り消しをめぐり、国と県は法廷闘争に突入した。裁判所の働きかけもあり、移設工事を中断する格好で和解が一時成立したが、双方の主張は変わらず、状況が好転したとは言いがたい。
こうした中でも、沖縄が置かれた状況に変化は見られない。「世界一危険」といわれた基地では、きょうも訓練が続けられ、深夜飛行も行われている。埋め立て承認時の条件とみられていた「5年以内の運用停止」の実現も「辺野古移設が条件」(菅官房長官)など様々な問題が生じている。キャンプシュワブのゲート前では、きょうも移設に反対する市民が座り込みを続けている。問題が浮上して20年がたった今、関わってきた人たちは何を見つめているのか。今年で20年が経過する移設問題をきっかけに、沖縄が抱える基地問題の本質を考える。
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