JNNドキュメント

JNNドキュメント 毎週(火) 午後11:00〜12:00

地上波では、地域ごとにしか見ることのできない地方局制作のドキュメンタリー番組を毎週お届けします。
TBSの日本全国28局の系列局、JNN(Japan News Network)が誇る日本各地の取材班が、時間をかけて紡いだ秀逸のドキュメンタリーをお送りします。

2021年03月放送

2021年03月30日放送

支え合い〜中国残留邦人と介護施設〜

制作:MBS毎日放送

兵庫県尼崎市の高齢社会後施設「三和之家」。今年1月に開業したこの施設は、山田幸雄さん(61)、華栄さん(62)夫妻が営む。生まれつき脊椎カリエスの障害がある華栄さんは、中国・北京市の障害福祉課で働いていた。1992年に来日し、日中障害者交流の仕事に取り組む。その過程で、中国残留孤児が高齢化し、言葉や文化の壁で日本の介護施設になじめないケースを知った。2005年に幸雄さんと結婚。骨を埋めるつもりで、中国残留孤児たちが通いやすい高齢者施設を開くことに。中国語ができる残留孤児2世の介護員も配置した。
だが、コロナ禍で利用者は減少。最大200万円支給される持続化給付金は、前年の売り上げ実績が必要で当初は適用外。6月末に支給対象は拡大されたが、支給額を計算してみると29万円で、1か月の家賃30万円も賄えない。開業費用1600万円の返済が重くのしかかる。しかし、利用者が少なくても施設を開け続け、1食200円と格安で昼食提供をする。
施設に通う宮島美津子さん(84)は1945年8月の終戦時には、中国・旧満州にいた。国策だった満蒙開拓団として、長野県から家族11人で渡って6年。当時9歳だった宮島さんは、ソ連軍の侵攻で逃避行を続けたが途中、父は捕虜として焼き殺され、赤ん坊だった弟は母の乳が出なくなり餓死。行きついた奉天の収容所で飢えと寒さの厳しい難民生活の末、両親と兄弟姉妹の8人を亡くし、中国人養父母にもらわれ、2人の兄たちとも生き別れた。中国の学校では「小日本鬼子」と苛められ、通学できなくなった。19歳で結婚、4人の子供に恵まれ1985年、50歳で日本に永住帰国を果たす。現在1人で暮らす宮島さんにとって「ここは過酷な人生を送った私にとって、憧れた祖国で楽しく過ごす、最後の場所」だという。
戦後75年の夏、高齢化した中国残留孤児たちとそれを支える人たちの声を聞いた。

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2021年03月23日放送

永遠の平和を〜あるBC級戦犯の遺書〜

制作:RKB毎日放送

1945年、日本はポツダム宣言を受諾し敗戦した。宣言の中には「戦争犯罪人を処罰する」ことが盛り込まれていた。東京のスガモプリズンではA級戦犯7人が絞首刑になったが、捕虜虐待などの罪を問われ、連合国各国の軍事法廷で裁かれたBC級戦犯で処刑されたのは920人にも上る。アメリカの第八軍による横浜のBC級戦犯裁判では53人の死刑が確定し、スガモプリズンで執行された。そのうちの1人、藤中松雄は現在の福岡県嘉麻市の出身だ。農家に婿入りした松雄は1942年、20歳で海軍に入隊。終戦の年の4月、沖縄県の石垣島で米兵捕虜3人の処刑現場に立ち会うことになる。連日、空襲が続く中、撃墜された米軍爆撃機から脱出した搭乗員に「亡くなった戦友の仇討ち」が行われたのだ。41人もの日本兵に死刑が宣告された「石垣島事件」だ。
亡くなってから70年の今年、松雄の法廷での姿が初めて確認された。松雄は妻や二人の幼い息子に長い遺書を残している。報復の応酬が生んだ戦争の悲劇により、28歳で命を絶たれた青年が遺した言葉を伝える。

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2021年03月16日放送

伊勢湾台風60年 色と記憶

制作:CBCテレビ

1959年9月26日。死者行方不明者5098人を出した伊勢湾台風。
過去の取材でいつも頭に残っていたのが、体験者の「翌日の空が憎らしいほど青かった」という言葉。その青空はどのように見えたのか。その思いから始めたカラー化企画。
まず当時の本物のカラー写真を発見。それをもとに、筑波大学の飯塚里志助教が研究するAIによる映像カラー化技術を使って、伊勢湾台風のモノクロ映像に色をよみがえらせると、驚くべき効果が…。
災害対策基本法が制定されるきっかけとなり、「日本の防災の出発点」ともいえるこの災害は、単なる“昔話”ではない。あの台風が何だったのか、そこから得られる教訓は何かを考える。

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2021年03月09日放送

手術着の魚屋さん〜生より旨い三陸の魚で世界へ

制作:IBC岩手放送

世界三大漁場の一つに挙げられる三陸の海。
恵み豊かな故にこれまでは加工食品の原料になる事が多かったこの海の安価な魚を、メイドインジャパンの高級食材として海外に売り出そうとしている男性がいる。岩手県大船渡市にある三陸とれたて市場の八木健一郎社長(42)だ。
静岡から大船渡に移り住み、岩手の漁村文化に魅了された八木さんは、医学や生物学の知識を学び、地元漁家の協力を得て7年がかりで生より旨いという冷凍の魚を生み出した。

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2021年03月02日放送

食べて治す〜重度アレルギーと親子の記録〜

制作:MBS毎日放送

年々増加する食物アレルギーのある子どもたち。かつては、「そのうち治る」、「少しくらい食べても大丈夫」と考えられがちだった食物アレルギーだが、重症になると原因食物が少量口に入っただけで、呼吸困難になる「アナフィラキシー」と呼ばれるショック症状を起こし、命をも脅かす。
大森佑人さん(21)は、最重症の乳アレルギーがあった。幼い頃、医師から「プールに1滴の牛乳が入っただけでショック症状が出る」と言われたほどだ。母の真友子さんは当初、乳製品を完全除去した食事を佑人さんに提供していたが、次第に疑問を感じ始める。そして佑人さんが、小学校低学年の頃、日本で本格的に“経口免疫療法”という治療が始まった。佑人さんほどの重症のアレルギー児が、この治療に挑むのは過去に例がなかったが、大森さん親子は治療を受ける決断する。
番組では、大森さん親子を通じて見えるアレルギー児のおかれた環境と課題を伝える。

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