2021年01月19日放送
消えない黒煙〜原爆はあなぜ長崎へ〜
制作:RKB毎日放送
「自分がやったことで長崎に原爆が投下されたかもしれない」。
宮代 暁さん(92)は、終戦から75年が過ぎた今もその思いが消えません。宮代さんは1945年8月9日、B29の攻撃を防ぐため、福岡県北九州市の八幡製鉄所でコールタールを燃やして煙幕を張ったと語りました。当初、原爆投下の第1目標は北九州市小倉でしたが視界不良で長崎に変更。その原因はこれまで天候と前日の空襲の煙とされてきました。
当時、八幡製鉄所の従業員で16歳の宮代さんは8月9日朝、空襲警報を聞いた上司の命令で煙幕装置に点火。空を覆い隠すほどの黒煙が上がったことを確認し、地下壕へ避難しました。それから約30分後、新型爆弾で長崎が攻撃されたことを知ります。米軍資料には、小倉上空で原爆投下を3回試みたが目標が「もやと煙」で見えず、第2目標だった長崎への攻撃を決定したとあります。煙幕が小倉への原爆投下の見送りに影響したかはわかりませんが、長崎では被爆直後に約15万人が死傷しました。宮代さんら煙幕作戦に携わった人逹はその事実を語ることができず戦後を生きてきました。「暗たんたる気持ち、長崎の人たちに悪いことをした」と語る宮代さんは、戦後一度も長崎の地を踏むことはありませんでした。その祖父に代わり長崎を訪れた孫娘と母。その目に映った長崎の現在と過去とは。終戦から75年を経過した今も重い記憶を背負い生きる宮代さんと家族の思いに迫ります。