JNNドキュメント

JNNドキュメント 毎週(火) 午後11:00〜12:00

地上波では、地域ごとにしか見ることのできない地方局制作のドキュメンタリー番組を毎週お届けします。
TBSの日本全国28局の系列局、JNN(Japan News Network)が誇る日本各地の取材班が、時間をかけて紡いだ秀逸のドキュメンタリーをお送りします。

2020年05月放送

2020年05月26日放送

毒の油を口にして 〜カネミ油症事件50年〜

制作:RKB毎日放送

「カネミ油症事件」は1968年に発生した、国内最大の食品公害事件だ。
北九州市のカネミ倉庫が製造した米ぬか油に混入していた猛毒ダイオキシンが、福岡、長崎を中心とした西日本一帯で多大な健康被害をもたらした。被害を訴えた人は当時およそ1万4000人にものぼった。
 カネミ油症はダイオキシンを口から摂取するという、前例のない極めて特異な事案で、その症状は多岐にわたる。また体内から排出されにくく、被害者の健康被害は今なお続く。
被害の拡大を防ぐべきだった国は、初期の対応を失敗して被害を深刻化させたが、裁判で結局その責任が認められなかったために、今、この問題への対応は消極的だ。さらには、認定制度によって多くの被害者が未認定として救済から切り捨てられている。加害企業カネミ倉庫による補償は極めて限定的なものであり、被害者を救うには全く不十分だ。
油症の母親から生まれた次世代の子ども達にも様々な健康被害は迫り、今その救済が最大の課題となっている。
油症事件発生から今年で50年。被害者たちを訪ね、現在の問題を探る。

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2020年05月19日放送

琉球難民 〜証言と記録でたどる台湾疎開〜

制作:RBC琉球放送

沖縄最西端の与那国島から約110キロにある台湾。沖縄戦の前年、国策として日本から多くの人が移り住んだ。高齢者や女性、子どもなどの疎開者たちだ。沖縄からは宮古・八重山地域を中心に、1万人以上が疎開したとされているが、その実態については、これまでほとんど調査・研究が行われず、“埋もれた歴史”となってきた。
疎開者たちは、言葉も分からない、慣れない土地で、工場や学校などの施設に身を寄せたが、戦況の悪化に伴って生活費や食料の支給が滞り、苦境に立たされる。劣悪な衛生環境でマラリアやコレラも流行し、病気や飢餓、そして空襲で多くの命が失われた。
迎えた終戦。疎開者たちはさらなる苦難に直面する。沖縄への引き揚げだ。敗戦で日本ではなくなった台湾は、政府が周辺の航行を制限し、引き揚げは困難を極めた。船に乗れずに、何か月も待たされる日々。その間にも栄養失調や病気で、死者が相次いだ。当局の目をかいくぐって航行する、にわか仕立ての“ヤミ船”も相次ぐ中、終戦から2か月後には、一刻も早く故郷に帰りたいという宮古島の出身者らを乗せた「栄丸」が難破し、100人超の犠牲者を出す惨事も起きた。
状況を打開したのは、沖縄出身者自身だった。当時、台湾当局に雇用されていた川平朝申らが、「沖縄同郷会連合会」を立ち上げて、台湾や米国に窮状を訴え、終戦翌年の1946年、宮古・八重山への引き揚げ船の運航が始まったのだ。ただ、戦争で破壊しつくされた沖縄本島への引き揚げにはさらに時間がかかり、完了した時には終戦から1年以上が経っていた。
疎開経験者の体験とともに、台湾住民の証言、公文書の記述をたどりながら、安全を求めたはずの地で命を奪われていった人々の姿、そして、引き揚げを支えた県関係者の働きなどを見つめ、戦争の姿を示す埋もれた歴史を紐解く。

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2020年05月12日放送

トイロの輝き仕立てます

制作:RKK熊本放送

熊本市の商店街の一角に去年オープンしたのは「バリアフリーの服」を作る店。
上下に分かれた振袖や、お尻に大きな穴があいた袴。
デザインから縫製までこなすのは看護師でもある山本智恵子さん(42)だ。
訪問看護師をしていた頃、重い障害がある子どもをケアする母親たちの負担を
少しでも減らしたいと得意の裁縫で着せやすくかわいい服作りをはじめた。
服を通して「できない」を「できる」に変えたいと向き合う日々。
成人式を前に晴れ着のレンタルに訪れたのは、着物を諦めていた車いすの女性。
亡くなった娘に振袖を作りたいという母親も。
晴れ着を通して見えてくる様々な家族の「成人式」を見つめる。

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2020年05月05日放送

忘れない3.11 海よ光れ—最後の上演—

制作:IBC岩手放送

青く光る海に養殖いかだが並ぶ穏やかな山田湾。眼下にこの湾を望む高台の小学校が、児童数の減少で今年度末に閉校する。小学校で31年受け継がれ、地域全体で愛されてきた全校劇「海よ光れ」も最後の上演を迎えることになった。海に生きる人たちの歴史を伝える劇。しかし津波被害を伝える場面は、震災後にカットされた。あの日からまもなく9年、津波の場面を入れるか、入れないか。児童の決断は?最後の上演は?

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