JNNドキュメント

JNNドキュメント 毎週(火) 午後11:00〜12:00

地上波では、地域ごとにしか見ることのできない地方局制作のドキュメンタリー番組を毎週お届けします。
TBSの日本全国28局の系列局、JNN(Japan News Network)が誇る日本各地の取材班が、時間をかけて紡いだ秀逸のドキュメンタリーをお送りします。

2019年08月放送

2019年08月27日放送

頂は最強の外科医

制作:大分放送

【内容】
ムエタイに魅せられた大分市在住のプロ格闘家 岡田将人(おかだ まさと)さん(26)は20歳でムエタイの本場タイへ渡る。格闘技の経験もなくジムの門を叩き1年間、武者修行に励み、帰国後もプロ格闘家として5年間鍛錬を続け、2018年6月に日本ウェルター級の王座を獲得した。
ムエタイ格闘家としての歩みを進める一方、岡田さんにはもうひとつ目指す道がある。タイから帰国後に5ヶ月間の猛勉強の末、23歳にして大分大学医学部に入学。授業では、いつも最前列に座り、試合前の減量時期と試験が重なるが、フラフラになりながら歯を食いしばる。成績は上位を維持し、ムエタイの活動が勉学を妨げる言い訳にはしたくない。ムエタイ格闘家と医大生の二刀流の道を極めたいと「世界最強の外科医」を目指している。
日本初となる現役医大生のムエタイ王者は2019年2月に異例のスピードで世界タイトル戦に挑戦した。対戦相手は本場タイの強豪選手で、前評判では岡田さんは不利との予想だが、ムエタイ世界戦のリングに挑む。ひたむきに夢を追い求める岡田さんはどんな進化をとげるのか?
挑戦を続ける医大生格闘家は世界戦の先に何を見据えているのか。

  • この記事の写真
  • この記事の写真

2019年08月20日放送

響希の未来〜全盲の少年と家族の12年〜

制作:MBS毎日放送

【内容】
酒井響希くん(12)の夢は、プロドラマーだ。腕前はかなりのもので、プロミュージシャンからも共演の声がかかるほどだ。響希くんは1歳の時、網膜芽細胞腫という目の小児がんと診断されて、両目を摘出せざるを得なくなり、2歳で両目の視力を失った。当初は、昼夜の区別もつかず、お風呂にもおびえる日々。当時、母親の康子さん(41)は、どうすることもできない自分を責め、泣きじゃくる息子と一緒に家にこもりがちだったという。そんな響希くんに変化が現れたのは、3歳の時。視力を失ってから響希くんは、「音」に強い興味を示すようになり、家の中の柱や壁を棒で叩いて音の違いを楽しむようになった。ある日、出会ったドラムの迫力ある音に夢中になり、4歳から、プロドラマーのレッスンに通うように…。ドラムの上達とともに響希くんは、できることが増え、いつしか両親はできないことを嘆くことから、できることを喜べるようになったという。康子さんは「演奏を人前ですることで自信がついたのかな…」と話す。それからというもの毎日1時間、練習を欠かさない。父親の健太郎さん(41)が、SNSに演奏を投稿したことから次第に反響が出始め、最近ではテレビやラジオ、大きなイベントにも出演するようになった。今は、視覚支援学校の6年生で、学校には康子さんが車で片道1時間かけて送り迎えをしている。ドラムの練習や演奏会では、いつもそばに付き添い、康子さんにべったりの響希くんだが、来年からは中学生。将来の自立に向けて寄宿舎生活や白杖の練習も始めた。番組では、小学校を卒業し、中学校に進む響希くんの"いま"と"将来への希望と不安"をともに描きながら、少年から大人へと成長する響希くんと、その姿を心配しながらも温かく見守る母親の康子さんら家族の1年に密着。視力を失った少年の「等身大の日常」と「家族の絆」を描き、生きるとはなにか、家族とはなにかを考える。

  • この記事の写真
  • この記事の写真

2019年08月13日放送

一日だけの背番号〜佐久長聖と上田西・ベンチ外の球児たち〜

制作:信越放送

【内容】
県内屈指の強豪野球部、佐久長聖高校と上田西高校。同じ東信地区にあるライバル校で、ここ数年、甲子園出場をかけて競い合っている。両チームには、大勢の部員がベンチに入れない宿命がある。夏の県大会を前に、メンバー外になった3年生に1日限りの背番号が渡された。事実上の引退試合となる「交流戦」の背番号だ。

上田西の原田竜太(外野手)。中学最後の試合で敗れた相手が、佐久長聖中学だった。
その借りを返して甲子園に行くために上田西に入ったが、メンバー当落の瀬戸際にいた。
主将の小井出彪冴(ひょうご)は、中学からの仲間。竜太の努力をずっと見てきた。
ベンチ入りメンバー発表の日。二人は、無言で部室にいた・・・。

佐久長聖の新海貴弘(外野手)。川上村の実家を離れて寮に入り、野球漬けの毎日を送ってきた。しかし、高校最後の夏、ベンチ入りを果たすことはできなかった。彼は、交流戦の背番号の縫い付けを、ある人に頼んだ。練習試合の度に応援に駆けつけ、見守ってくれた母親だ。

仲間や両親への感謝を胸に、力を尽くす球児たちの姿を伝える。 

  • この記事の写真

2019年08月06日放送

未来医学者〜世界初ips心筋の10年〜

制作:MBS毎日放送

【内容】
日本の再生医療のトップランナー、大阪大学心臓血管外科の澤芳樹教授とiPS細胞京都大学の山中伸弥教授。2人はこの10年にわたり、それぞれ臨床と研究の立場から再生医療に取り組んできた。2007年の澤教授による世界初の筋芽細胞シートによる心不全患者の治療から11年。再生医療は着実に進み、昨年、厚生労働省がiPS細胞から作った「心筋シート」を重症の心不全患者の心臓に移植する大阪大学の臨床研究を条件付きで承認した。再生医療の実用化について、山中教授は「富士登山で言えば五合目。これからが本番」という。番組では、2007年の世界初の筋芽細胞シートによる手術の独自取材の映像をはじめ、澤教授と山中教授の対談を交え、再生医療の歩みと現状の問題点、未来への展望などを探っていく。

<あらすじ>
 昨年5月、厚生労働省の再生医療評価部会は、人工多能性幹細胞(iPS細胞)から作った「心筋シート」を重症心不全患者の心臓に移植する大阪大学の臨床研究を、世界で初めて条件付きで承認した。研究チームの澤芳樹大阪大学教授が2007年に筋芽細胞で作成したシートで心不全患者の治療を世界で初めて行い、臨床研究がスタートしてから11年。前年の2006年に京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞の誕生を明らかにしてから12年。両者の研究がいよいよスタート地点に立った。日本には100万人を超える心不全患者がいると推計されている。最も重症化すると人工心臓を装着し、心臓移植以外に治療法がなくなる。澤教授は患者本人の足の筋肉を使用した「筋芽細胞シート」を開発。心臓のポンプ機能が低下した患者の心臓に移植することで、心臓の機能を回復することを考えた。2007年、世界でも初めてのこの治療を受けたのが1年前から難病の拡張型心筋症で入院していた男性だった。男性は人工心臓の装着手術を受け、心臓移植を待つ重症患者だったが、治療の結果、3か月後に心機能の回復が認められ、その後、人工心臓を外すことが出来、退院に至った。この男性は現在も元気に暮らしている。その後、このシート治療の臨床研究は数十例行われ、2015年には医療機器メーカーが再生医療製品として国の承認を受け商品化。翌年から健康保険の適用対象となった。澤教授は1例目の男性の治療後、山中教授のもとを訪れ、共同研究を申し入れた。臨床と研究という立場から両者は「出来るだけ早くiPS細胞を使った再生治療を実用化したい」ということで一致。iPS細胞から心筋細胞を作り「心筋シート」として心臓表面に移植するための研究開発が進められた。 現在、iPS細胞を使った臨床研究は目の難病やパーキンソン病で行われ、今後も血液疾患などでも実施される見通しだ。が、「心筋シート」の場合は、使われるiPS細胞の数が桁外れに多く、副作用を懸念する声もある。iPS細胞は当初、自己の細胞から作製する完全再生治療に期待が高まったが、コスト面や精度管理の課題も多く、HLA(ヒト白血球抗原)が同型の拒絶反応の少ないドナーからのストック細胞事業が本格的に進んでいる。澤教授は「10年前には臨床でここまで来れるとは思わなかった」と再生医療の進歩のスピードの早さに感慨を覚える一方、「世の中の人は結果を早く求めすぎる。再生医療はもっともっと可能性があるので、長い目で見て欲しい」。山中教授は「ここからが本当のチャレンジ。目標は高い方がいい。将来、自分のiPS細胞を自分の治療に使うのが夢。今は過剰にビジネス投資の対象になっているが、低コストで必要とされる患者さんに提供することを実現したい」と語る。すべての治療は求める患者のために。「医師・研究者・患者」が3つ巴で取り組んでこそ、初めて再生医療の未来が見えてくる。番組では、10年間の再生医療の歩みを紹介すると共に、澤芳樹教授と山中伸弥教授の対談も交えながら2人が想定していた再生医療の未来図と現状の取り組み、見えて来た課題、新たな展望について考える。

  • この記事の写真
  • この記事の写真

これまでの放送一覧