JNNドキュメント

JNNドキュメント 毎週(火) 午後11:00〜12:00

地上波では、地域ごとにしか見ることのできない地方局制作のドキュメンタリー番組を毎週お届けします。
TBSの日本全国28局の系列局、JNN(Japan News Network)が誇る日本各地の取材班が、時間をかけて紡いだ秀逸のドキュメンタリーをお送りします。

2019年03月放送

2019年03月26日放送

天文王国おかやまの巨星たち

制作:山陽放送

世界の天文学に多大な貢献を果たしてきた岡山の巨星たちの姿を追う。
今夏、直径3.8メートルという日本最大の口径を持つ光学望遠鏡が岡山の浅口市にある竹林寺山(ちくりんじさん)に完成した。これまで日本最大は兵庫県のなゆた望遠鏡(2メートル)だったが、その前、2004年まで日本最大だったのも竹林寺山にある、当時、国立天文台が運用していた188センチ望遠鏡だった。晴天率が高い岡山にあって竹林寺山上空は気流も安定しており、標高372メートルと交通の便もよいことから大型望遠鏡の建設地に選ばれたのだ。
その188センチ望遠鏡を少年時代に見たことから宇宙に憧れを抱き、天文学者になった岡山出身の青年がいる。国立天文台に勤務する平松正顕さん(37)だ。平松さんは岡山の遥か彼方、チリのアタカマ砂漠にある標高5000メートルの高地にいた。ここには「宇宙に最も近い電波望遠鏡」といわれるアルマ望遠鏡がある。アルマ望遠鏡は日米欧の合計21カ国による国際プロジェクトでアメリカ製25台、ヨーロッパ製25台、日本製16台の計66台のパラボラの群で形成されている。平松さんはアルマ望遠鏡の日本人向けの広報を担当し、日本とチリを行き来しながら、講演活動や広報サイトの運営にあたっている。
電波望遠鏡とは視覚的に捉えることが不可能な天体が発する微量の電波をキャッチして、電波の強弱に基づいて実像を解析し可視化する観測機だ。アルマ望遠鏡はこれまでに132.8億光年彼方の天体観測に成功している。これは人間の視力6000に相当し、東京から大阪の路上に落ちている1円玉を見つけるに等しい能力だ。
この驚異的な「視力」を可能にしたのがパラボラの形状の精度だ。ごくわずかでも凹凸やねじれがあれば「視力」は格段に落ちる。日本製は、パラボラの俊敏な方向転換を可能にするため軽量のアルミニウムで作られているが、アルミは熱膨張を起こしやすく形状の精度を追求するのは至難の業だ。しかし、日本製のパラボラは1000分の1ミリの精度で完成していた。実は、この奇跡のパラボラにも岡山の人と技が貢献していた。岡山の下町工場「オオタ」と「タナカマシーナリー」が当時JFEプラントエンジに勤務していたエンジニアの福寿喜寿郎さんの指揮のもと作り上げたのだ。
取材班はチリに飛び、平松さんとともに標高5000メートルのアルマ望遠鏡を目指した。そこには、66台のパラボラが展開する大パノラマが待っていた。

2019年03月19日放送
〜元ヤクザが取り組む施設の日々〜

生きなおし

制作:毎日放送

[内容]

大阪市福島区。多くの人が行き交う商店街の近くに自立支援施設「良心塾」がある。ここは、刑務所や少年院で過ごした人たちが、自立して生活できるように支援する目的で2015年12月に開設された施設だ。現在、10代〜20代の男性が共同生活をしており、近くには女子寮もある。みな、出所後に親族から引き取りを拒否され、行き場を失った人たちばかり。「大人は信用してない。自分は生きてる価値などない」というのが彼らの口癖だ。「良心塾」は公的支援を受けず、施設を運営している黒川洋司さん(46)を中心に、ボランティアで賄っている。黒川さんは幼い頃に両親が離婚。母親に育てられた。中学卒業後は暴走族に入り、19歳で暴力団に。21歳の時に辞めたものの、その後、傷害事件で逮捕されたことがある。そんな黒川さんを変えたのは、「自分のすべてを心から認めてくれていた」母親の病気による急死だった。そして残りの人生で人の役に立つことを誓う。「“親”のような役割を果たし、支えてくれる人がひとりいれば、必ず人生は変えられる」との思いから、5年前から活動をはじめ、これまで17人の身元引受人になってきた。「良心塾」は、服役経験者の住む場所を提供するだけでなく、生活をともにしながら見守り、社会で必要な基礎知識も身に着けていく中間支援施設となっている。「良心塾」にやって来る人はまともに親に育てられた経験がない。職務質問され、警察官に切りつけた23歳の男性は、殺人未遂・銃刀法違反・公務執行妨害。幼い頃から勉強を理由に母親から部屋に閉じ込められ、出来ないと暴力を振るわれた。13歳で母親が亡くなった時は「うれしかった。もう叩かれずに済むと思った」と当時の気持ちを淡々と語る。一方、「(自分には)生きる価値がない。どうでもいい。かといって自殺する度胸もないし・・・」自暴自棄になって犯行に及んだ。喧嘩で傷害罪で捕まった22歳の男性は「身元引受人がいなくて。更生保護施設にも傷害罪だと断られた」という。黒川さんはそんな若者の身元引受人となり、1年かけて社会復帰をサポートしていく。平成28年の警察庁の犯罪情勢によると、刑法犯の検挙人員は22万6千人、うち再犯者は11万人に上り、その7割が無職だ。黒川さんは定職に就くことが自立につながると考えている。今年5月、1年間「良心塾」で暮らした22歳の男性は無事、就職が決まり、笑顔で去って行った。ほぼ、住み込みで面倒を見ている黒川さんは月に1度くらいしか自分の家に帰ることはない。家には奥さんと3人の子どもがいるが、黒川さんの活動をとてもよく理解してくれている。自己否定の強かった23歳の男性もコンビニを掛け持ちで働きはじめた。黒川さんを「お父さんみたい」と信頼と笑顔を見せていた。が、2か月後、突然、事件を起こし、姿を消してしまう・・・。「自立は簡単じゃない。そんな生易しいものじゃないですね・・・」という黒川さん。が、「やりたいと思って今やってることなので、いろいろ意見はあると思いますが、やり続けると思います」。昨日より、少し成長した姿を見ることが、自らの励みになるという。「生きてることに意味がある、ひとりひとりに何か役割がある。元ヤクザの自分だからこそ、伝えられることがある」と信じて・・・。再犯防止のために自立支援施設で、若者の更生に取り組む黒川さんと入居者たちの模索の日々に密着する。

2019年03月12日放送

ハンセン病・家族たちの闘い

制作:熊本放送

[内容]

2016年2月、ハンセン病元患者を家族にもつ人たちが熊本地裁に損害賠償請求訴訟を起こした。原告は現在568人。長年にわたる強制隔離政策で、元患者の家族たちが受けた苦しみを知ってほしいと彼らは訴えている。原告団長の林力さんは94歳。父親の廣蔵さんが隔離されたことで、家族は苦労を強いられた。力さんの母親は大学病院の下足番をし、もらうチップで生計をたてた。同じく原告の奥晴美さんは、両親が療養所に隔離されたことで叔母の家に預けられたが継子扱いされ、貧困に喘いだ。隔離されているとはいえ、屋根の下に暮らし、食事も提供される母親の療養所での暮らしが羨ましかった。ハンセン病にかかった母親に対し、最後まで愛情を持つことができなかったという。宮崎県に暮らす新田良子さんは、職場にも嫁ぎ先にも、親がハンセン病の元患者であることを隠し続けた。1996年に89年間にわたった隔離政策に終止符が打たれた。2001年には元患者たちが国家賠償請求訴訟を起こし3年後に全面勝訴。それらの流れを受けて家族たちの心にも変化が現れた。最後まで築くことができなかった親との絆。ハンセン病元患者を家族にもつ彼らは、今、自分の人生の空白を埋めたいと思っている。

  • この記事の写真
  • この記事の写真

2019年03月05日放送

ボタ山であそんだころ

制作:RKB毎日放送

[内容]

福岡県嘉麻市出身の絵本作家、石川えりこさん(63)。炭鉱町で育ったこどものころの記憶をもとに、「ボタ山であそんだころ」を生み出した。えりこさんのふるさと、旧稲築町には、かつて山野炭鉱があった。仕事を求めて多くの人が移り住み、町は賑やかだった。1965年、山野炭鉱で大規模なガス爆発事故が起き、237人もの犠牲者が出た。
 神奈川県在住の江藤秀一さん(68)は、当時15歳。この事故で父を失った。一家の大黒柱を失い、母、一枝さんはとなり町の種苗店に勤めはじめた。秀一さんは、新聞奨学生の制度を利用し、東京の新聞販売店に住みこみで働きながら予備校へ通い、大学へ進学した。卒業後は教師の道を歩み、いまは、静岡にある大学の学長だ。秀一さんは、夜、よく泣いていた母の姿を思い出すという。
 かつて山野炭鉱があった場所には、いま稲築東小学校が建っている。毎年、事故があった6月1日には、炭鉱があった歴史や事故を語りつぐ授業が行われている。 今年の授業には、里帰りした江藤さんも参加した。
日本の戦後復興を支えて隆盛を極め、1970年代に消滅した炭鉱産業が遺したものを、絵本と、人々の証言で綴る。  

  • この記事の写真
  • この記事の写真

これまでの放送一覧