熊川哲也とバレエ・リュス

熊川さんとバレエ・リュスとの出会いを教えてください。

(写真)

バレエ・リュスは作品を通して知りました。英国ロイヤル・バレエ団在籍時に、ニジンスキーも演じた《ペトルーシュカ》を演じたこともあります。当時は若さもあり、バレエ・リュスに対する知識も未熟でした。しかし、ロイヤル・バレエ団を創設した二ネット・ド・ヴァロアがバレエ・リュスの団員だったこともあり、バレエ団の中では、バレエ・リュスに対する敬意の思いが強かったです。元団員と接することも多く、共通の話題としてよく話す環境にいましたので、自然とバレエ・リュスを意識するようになりました。(6月6日更新)

ダンサーとして、また芸術監督として、バレエ・リュスに対する印象は?

二局面の見方があります。まずダンサーとして、例えばニジンスキーが踊った作品を通して、カウントの中で跳ぶジャンプの高さや、体力的にも大変な振付は、伝わっている彼の噂や逸話というのは真実だったと感じられますし、テクニックも100年以上前の振りに素晴らしいテクニックが存在していたと知ることができます。ニジンスキーが踊った作品は難しいステップが含まれていて、これをニジンスキーが踊って喝采をあびていたと思うと、ダンサーを通して、当時の作品を継承できるのは素晴らしい経験です。
演出家としては、まず当時の時代背景に憧れがあります。バレエ・リュスが主にオリジナル作品を20年間発表し続けることができた背景に、舞台芸術が娯楽として成立しているマーケットがあり、画家、音楽家、振付家、ダンサーみんながディアギレフの目にとまらないと一流の芸術家として認められないという風潮があったのは、非常に恵まれた環境であったと思います。(6月9日更新)

熊川さんが感じるバレエ・リュスの魅力とは何ですか?

魅力は、オリジナルの作品を才能あふれるアーティストが結託して生んだことにあるのではないでしょうか。ダンサー、作曲家、衣裳デザイナーそして舞台美術家などバレエ・リュスに携わったアーティストの多くが現代でも高い評価を受けています。バレエはダンサーと音楽だけではなく、それぞれの分野の芸術が融合して成り立つものなのです。(6月12日更新)

熊川さんにとって魅力的な衣裳はどのようなものでしょうか?

(写真)

重厚感がある衣裳に魅力を感じます。現代は、生地も刺繍じゃなくて柄がプリントされているものなど便利ではありますが、ベルベットの生地に手作業でビーズなどが刺繍されているほうが重厚感を与えます。バレエ・リュスがまさにそうですが、クラフトマンシップを大切にしたいです。“追及する精神”が舞台芸術には忘れてはならないことだと思います。(6月26日更新)

展示されている衣装の中で好きな衣裳を教えてください。

ニジンスキーが着た「ペトルーシュカ」の衣裳でしょうか。20歳くらいの頃、僕も「ペトルーシュカ」を演じ衣裳を着ました。ジャンプがない振付に戸惑いを感じたことなど衣裳を見ていると当時のことを思い出します。(6月30日更新)

バレエ・リュス関連資料について(1)

我々が活動できているのも、過去の素晴らしいアーティストたちのおかげです。たとえば昔のダンサーのサインや、生写真を見ていると、時空を超えて息吹を感じることができる。そのような感受性を大事にしたいと思っています。(7月3日更新)

バレエ・リュス関連資料について(2)

(写真)

所有するバレエ・リュスのプログラムの1冊に、日本語で記載されているメモがありました。当時パリを旅したハイカラさんがバレエ・リュスを観劇したのでしょうか、“二匹のクマが追いかけっこ”と、作品の説明書きが記されているのです。その場面が登場する作品は《ペトルーシュカ》なのですが、約100年前に実際にバレエ・リュスを観劇した日本人のメモだと思うと感慨深いものがあります。(7月7日更新)

20世紀初頭、バレエ・リュスが活躍した時代を生きていたとしたらどのようなことをしたいですか?

ダンサーとして、バレエ・リュスの門を叩き、舞台に立ってみたいです。(7月10日更新)

バレエ・リュスの衣装の魅力とは?

ロシアの芸術家たちの力をパリの感性と見事に結合させた衣装が魅力でしょう。当時流行していた東洋趣味をも融合し、エキゾチックでエロティシズムも感じさせるデザインや鮮やかな色彩は、現代の私達が見ても非常に新鮮で素晴らしいです。

お気に入りのバレエ・リュス作品は?

「ペトルーシュカ」「放蕩息子」

バレエ・リュスから影響を受けたことはありますか?

(写真)

私に限らず舞台芸術全般に多大なる影響を与えています。影響を受けていない方が不思議に思うくらいでしょう。総合芸術の理想の形を体現しており、美術・衣装・音楽など各分野の才能あふれる専門家が見事に集結し、20世紀を特徴づける最も重要な芸術と言えるでしょう。私自身もバレエ・リュス時代の作品を踊ってきましたが、当時は前衛的と言われた非常に芸術性が強い作品で、憧憬の思いを持っています。

今回の取材で、熊川哲也氏がバレエ・リュスに関するコレクションを所有されていることがわかりました。その一部をお教えいただきました!

バレエ・リュス10年間分のプログラム
1913年、当時人気絶頂のニジンスキーが一時解離された時、「牧神の午後」を踊る代役のダンサーに妹のニジンスカを起用した伝説があります。長らく確証が得られていなかったのですが、私が所有するプログラムに「ニジンスカ」の名前が残っており、この逸話は真実であったことが立証できるコレクションです。
ニジンスキーのサイン
1916年、再びニジンスキーが北米ツアーに参加した時のサイン入りプロマイド。
「青列車」世界初演のプログラム
ジャン・コクトーの台本とブロニスラワ・ニジンスカ振付によるこの作品は、ダンサーの特殊な能力による部分が大きかったです。
1916年 未使用のバレエ・リュス公演チケット
(写真)