アンゴラ日記 (2003年6月8日〜15日)


 私の名前はマリアーノ・アリテンダ。35歳で、アンゴラ中部のウアンボで生まれた。私の両親は1979年に戦火を逃れるためウアンボを後にした。私たちはクネネ州に落ち着き、今もそこで暮らしている。今のところはまだ、もといた地域に戻るつもりはない。帰るべき家は内戦中に破壊されてしまったし、地雷の脅威も帰還を妨げている。
 ウアンボから避難した時、私は4年生で、その後はクネネで6年生まで勉強を続けた。それからアンゴラ国軍(当時のFAPLA)に徴兵された。1992年に除隊し、1999年にMAGに就職するまでの間は無職だった。うれしいことにMAGは、地雷を除去するだけでなく雇用の機会を創り出すことで地雷原に暮らす人々の生活と職員の生活を同時に向上させている。たとえば、私はMAGの給料で妻と6人の子供を養っている。今家族全員で暮らしているマイホームを建てることもできた。

 MAGで働き始めてから私は3ヶ月の訓練を受けた。地雷の探知と除去、爆弾などの処理についての訓練だ。MAGについては、職員が非常に高い専門性を維持できるよう、訓練を継続的に行う方針をとっているといえば事足りるだろう。おかげで、地雷除去作業を行う上で私は以前と比べものにならないほどの自信を持つことができ、非常にありがたく思っている。
 MAGで安全な作業の手順を教わったので、地雷原での作業も恐くないのだ。過去4年間ほどで私はたくさんの地雷や不発弾を除去し、何平方キロもの土地の安全を確保してきたが、その間各チームとも事故一つ起こしていない。中にはややこしい仕組みの地雷もあったが、私や同僚が受けた訓練のおかげで、命の危険を侵すことなくどんな地雷にも対処してきた。

 私の故郷ウアンボの状況もクネネと大差はない。クネネ同様、ウアンボは激戦の舞台だった。そのため、今でもあちこちに何千発もの地雷や不発弾が散乱していて、私たちのような市民が帰郷し安心して普通の生活を営むにはあまりにも危険すぎるのだ。
クネネでは3つの地雷除去チームが活動している。私のチームはNo.3だ。私はチームリーダー補で、チームリーダーがいないときに地雷除去作業を監督する役目を任されている。地雷除去作業員たちがSOP(標準的作業の手順)にしたがって作業するよう徹底させるというわけだ。

 6月8日からの一週間、私はオンジバから180キロほどの所、クベライで作業をした。そこにはマコバと呼ばれる10万平方メートルもの巨大な地雷原が残されている。これは、敵の侵入に備えて政府が防衛用に作った地雷原だ。この地雷原ではこれまでに14件の事故があり、人間や家畜が犠牲になっている。内戦の終結と共に地雷原の存在が明らかにされ、MAGに地雷除去作業が依頼された。私たちは今までに地雷88発と不発弾多数を除去した。
 私にとっては、無実の家畜はもちろん人までもが地雷の犠牲になることほど辛いことはない。マコバには、人や家畜の骨が落ちている。それは、無実の犠牲者たちを物語る物理的証拠であり、危険のシンボルでもある。残念ながら私たちは手作業で地雷除去をしているので、この地雷原の処理を終えるには何年もかかるだろう。

 地雷原の周りに住んでいる人たちは、この土地を畑や放牧に使いたいと考えている。この地域で活動している人道的地雷除去組織はMAGだけなので、地雷除去にかける期待のすべてがMAGに向けられている。しかし、私たちは効率的な新技術に欠けるため、地雷除去のペースが遅いのが気になるところだ。私はこの機会を利用して、援助団体、特に日本政府に対し、私たちの団体への資金援助を考慮してくださるよう訴えたい。新技術が導入できれば私たちの除去作業もはかどる。

 私の夢は、MAGが大きくなって国中にその活動を広げることだ。もちろんそれは、一層の経済的支援がないと難しい。私としてはMAGがいつかウアンボにも活動を広げてくれればこれ以上うれしいことはない。なぜなら私はこの組織に多大な信頼を置いているのだから。除去作業が終わった元地雷原は現在地元の人たちが使っているが、これまでのところ事故はまったくなく、爆発物などの見落としも報告されていない。


MAT3 チームリーダー補
マリアーノ・アルテンダ






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