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円熟のパパスプリンター
朝原宣治
あさはらのぶはる
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国:日本/大阪ガス
生年月日:1972年6月21日生/31歳
身長:179cm/体重:73Kg |
| 自己ベスト/種目 |
100
m・10秒02(01・7・13・オスロGL)=アジア歴代2位、日本歴代2位
200 m・20秒39(97年)=アジア歴代4位、日本歴代4位
室内60m・6秒55(97年)=室内日本記録 |
| 世界陸上出場4回目 |
95イエテボリ大会・走幅跳12位
97アテネ大会100 m準決勝2組8位、4×100 mR準決勝(4走)=38秒31のアジア記録
01エドモントン大会準決勝1組7位、4×100 mR5位(4走) |
| 主な実績 |
03日本選手権100m 2位
03世界室内60m予選
02ローザンヌ・グランプリ100 m2位(=グランプリ短距離種目日本人最高順位)
02日本選手権100 m1位(96・97・00・01・02年優勝)
02釜山アジア大会100 m2位、4×100 mR2位(4走)
01世界室内60m準決勝
00シドニー五輪4×100 mR6位(4走)=38秒31のアジア・タイ記録 |
| MEMO |
■パリGL
昨年はローザンヌGPで2位となり、急きょ、3日後のパリGLに出場(場所はサンドニ)。しかし、10秒26(+0.4)で9人中8位。「スタートでなぜか出遅れ、中盤からは走りのタイミングがずれてしまった。このメンバーではどうしようも追いつけない」
■9秒台
昨年のシーズンイン前に「室内の走りや練習内容から出せると判断」(朝原)。実現すれば黒人選手以外では世界初。ヨーロッパのグランプリ転戦で狙ったが失敗。
■9秒台へのポイント
1番目は「体の中心から動き出すイメージ」(朝原)。外国選手の動きからヒントを得た。2番目は「スタート直後の頭の位置」(朝原)。軸を作って、地面からもらう力を逃さないようにする。3番目は「加速段階を長くする」(朝原)。前半をリラックスした走りでスピードを落とさないことが、終盤の失速を防ぐ(昨年6月取材時)
■アジア大会は調整ミスか?……昨年の釜山アジア大会は金メダル確実と言われたが10秒29の2位。中盤でリードを許し、後半追い込んだが最後は再度引き離された。優勝したサウジアラビア選手の記録は10秒24。10日前の全日本実業団では10秒12で走ったばかり。「体調はすごくいいのに、空回りした走りになっていた。この大会で一発(9秒台を)狙おうと、練習量を落としましたが、落とし過ぎたのかもしれません。体調は上がっていたのに、走りの感覚が狂っていました」
■日本新
100 mで日本記録更新3回。93年10秒19、96年10秒14、97年10秒08。97年の10秒08はアジア新だったが、翌98年に伊東浩司が10秒00と更新
■グランプリ
昨年7月のローザンヌ・グランプリで2位。日本選手の短距離種目過去最高順位。大阪ガスの新入社員・為末大と同じ試合に出ることが多かったが、2人ともに自然体で、お互いストレスなく一緒に行動している雰囲気
■グランプリでの日本新
97年ローザンヌで日本人初の10秒0台(08)。伊東浩司が翌98年の日本選手権で日本タイを出したとき「グランプリで出した朝原の記録の方が価値が高い」と強調。男子100
mの海外での日本新は68年メキシコ五輪の飯島秀雄以来
■中学時代
ハンドボール部
■高校時代
陸上競技の強豪とはいえない夢の台高。2年でインターハイ3位になったとき「2位と同記録だったので、自分も表彰台の2位の所に上がれると思っていた」。同記録の場合、セカンド記録で順位をつけることを知らなかった。3年時のインターハイは走幅跳優勝、100
m準決勝止まり。伊東浩司の弟と同学年。3年のインターハイでは4×100 mR(予選止まり)の3走・伊東弟、4走・朝原
■走幅跳
インターハイ(90年)は走幅跳で優勝。93年のアジア選手権では日本歴代2位(当時)の8m13で優勝。97年の世界陸上までは「自分は走幅跳選手」と公言。98〜99年と足首を故障し、以後は足首への負担を考えて封印した形に
■留学
大阪ガスに入社した95年からドイツ・シュツットガルトに。2001年からはアメリカ・テキサス州のオースティンに。現在のコーチ、ダン・パフはアトランタ五輪100
m金メダリストのドノバン・ベイリー(カナダ)らを指導
■海外経験
日本の陸上競技史上、最も海外経験が豊富な選手と言われている
■不動のアンカー
4×100 mRナショナル・チームでは常にアンカーを任される
■アジア記録
97年世界陸上アテネ大会は準決勝止まりだったが38秒31のアジア新。シドニー五輪でもアジア・タイ。両レースとも2走・伊東浩司、4走・朝原
■ジンクス
2度のアジア記録の一方、朝原がアンカーを務めたレースには不運がつきまとう。96年のアトランタ五輪は3走とのバトンパスに失敗。97年の世界陸上は準決勝全体で8番以内の記録だったが組み合わせの不運で落選。シドニー五輪は3走・末續慎吾がレース中に故障を起こし減速しながらのバトンパス。エドモントン世界陸上も3走・藤本俊之が隣のレーンの選手と接触して大幅に減速
■ノビー
愛称はノビー |
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