ランナウェイ逃走MAP

大阪

1.通天閣 | 2.大阪城 | 3.道頓堀

Location1 通天閣 〜なにわのシンボル〜

(写真) 空哉が妹の香澄と落ち合い、話をしたのが明治45年、新世界のシンボルとして建てられた通天閣。
高さ64mという当時東洋一の高さを誇ったこの鉄塔は、「天に通じる高い建物」との意味で、明治初期の儒学者・藤沢南岳により「通天閣」と命名されました。
その後、火災に遭って解体されましたが、昭和31年に市民の要請を受けて再建。2代目の通天閣は103mで、初代より39m高く作られています。
また、通天閣の頂上の丸いネオンは、色の組み合わせで明日の天気を知らせる「光」の天気予報装置でもあります。(白=晴れ、橙=曇り、青=雨)。
5階には大阪を一望できる展望台や、足の裏をなでると幸運が訪れるという神・ビリケン像などがあり、通天閣の中に入っても楽しむことが出来ます。

Location2 大阪城 〜凛としてそびえ立つ大阪城〜

(写真) シュンがお金を埋めてあった場所は大阪城の近くでしたが、その場所は簡単には掘り出せなくなっていました。
アタルたちはお金を掘り出すのに怪しまれないよう、大阪城公園で屋台を出している空也の母・昌江の向かいに屋台を出させてもらい、隠れながら掘り出しました。 この現場となった大坂城は、天下統一をめざす豊臣秀吉によって天正11年・大坂(石山)本願寺跡で築造が開始されました。城の本丸のなかで最も中心の建物である天守閣はその2年後に完成、しかし、元和(げんな)元年の大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに天守閣も焼失。
徳川時代になって再建されたものの寛文5年(1665)、落雷によって再び焼失。以来、大坂城は天守閣のないままでした。現在の天守閣は昭和6年、当時の関市長の呼びかけで市民らの寄付により、約150万円(現在の約750億円に相当)が集められ建造されました。266年ぶりに甦った天守閣は、地上55m、5層8階、屋根の鯱、勾欄下の伏虎など、いたるところに施された黄金の装飾が燦然と輝いています(国の登録有形文化財)。
大阪城の周りを囲んでいるのが大阪城公園。総面積105.6haの広大な公園です。大阪城天守閣をはじめとする歴史建造物を有するほか、約600本の桜を楽しめる西の丸庭園や、約100種、1270本の梅の花が咲き誇る梅林など、四季折々の花を楽しめるスポットが充実。

Location3 道頓堀 〜ミナミの歴史ある繁華街〜

(写真) アタルら一行が大阪で最初に訪れたのが道頓堀です。
松竹座にカニ道楽、そしてグリコの看板などによって象徴される道頓堀は、大阪・ミナミの代表的な繁華街。
道頓堀の名は、慶長17年に私財をなげうって川を開削した安井道頓(やすい・どうとん)の名前に由来しています。その後、幕府の都市計画によって道頓堀の南側に大坂中の芝居小屋が集められ、長らく日本の芝居の本場として栄えていました。芝居に大勢の人が集まってくると、食べ物屋も自然に繁盛。現在、芝居小屋は戎橋近くの松竹座だけが残っていますが、飲食店は道頓堀通りの北側にさまざまなジャンルの店が軒を連ね、一年中賑わいを見せています。

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