コシノジュンコ MASACA

ファッションデザイナー:コシノジュンコが、それぞれのジャンルのトップランナーをゲストに迎え、人と人の繋がりや、出会いと共感を発見する30分。MASACA!な驚きを創造する人々…MASACA!な未来を想像する人々…そんな人々との出会い「MASACA!」がCREATIONを生み出す!

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コシノジュンコ MASACA
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出演者

コシノジュンコ
大阪府岸和田生まれ。78年パリコレデビュー。世界各地にてショウを開催。オペラやブロードウェイミュージカルの舞台衣装、スポーツユニフォーム、インテリアデザイン等幅広く活動。MASACAは初のラジオレギュラー番組。

出演者

出水 麻衣
TBSアナウンサー。
1984年2月11日生まれ。東京都出身。
上智大学外国語学部英語学科卒。
趣味:特スポーツ観戦・グルメツアー・観劇・ゴルフ・ランニングなど

山下泰裕さんパート1
ミャンマーとの友情



JK:山下さんとはね。一緒にミャンマーのネビドまで行きましたよね。国際交流基金のミッションで派遣されて。向うで大統領にお会いしたんですね。
東南アジアのシーゲームスのためでしたよね。

山下:文化ミッションでコシノジュンコさんと一緒に行ったんですけど、私だけ文化の香りがしなくて。

JK:いやいや、向うはもう、シーゲームスを成功させるために、大統領から文化大臣から、一生懸命でしたもの。私そのあとユニフォームを頼まれたでしょ。



出水:ミャンマー代表のですか?

山下:シーゲームスに出場するすべての選手が着るユニフォームをコシノさんが。

JK:それ以来、どっぷりとミャンマーに入りました。




出水:ミャンマーで実技指導されたそうですが、ミャンマーで柔道は・・・

山下:世界的な大会にはあまり出てこないんですけど、東南アジアで2年に1回開催されるシーゲームでは2位とか3位のメダルはとっていたのですが、大統領も地元ミャンマーのネビドでシーゲームスを開催するということで、是非柔道でも金メダルを取りたいということで・・・

JK:結果どうだったの?

山下:たしか金メダルが4個くらい、とにかくミャンマー史上最高の。

JK:東海大学にミャンマーの選手が来てたでしょ。やっぱり日本で相手をやらないと強くならないから。

山下:シーゲームスって、わかりやすく言うと東南アジアのオリンピックみたいなものなんです。で、コシノさんがユニフォームを作られて、シーゲームスがミャンマーであった。それに日本がいろいろな形で携わった。それは日本とミャンマーをスポーツでつなぐという、非常に意味がありましたね。

JK:スポーツと文化って、両立させないと。勝った負けただけじゃなくて、そのあと町が栄えるとか、人の成長があるとか、あのとき畳と柔道着を約束していましたね。

山下:ちっちゃなNPOを立ち上げていまして。そちらの方で少し。と
東南アジアでも貧しい国なんですよね。私、初めて行ったんですけど、昔の日本を想い出すような感じで。

JK:仏教国だから謙虚なんですよね。



山下:私ですね。むこうの柔道連盟の会長、国会議員にお会いした時に、「なにか我々にできることありますか?」って言ったら、「こういうの、こういうのがあればありがたい」って言われたんです。
次に会った時に会食したんですよ。最初に、「山下さんとは前回初めてお会いしたのに、あれが欲しい、これが欲しいと言って、非常に恥ずかしいことを言ってしまった、そのことをお詫びしたい」と。世界の国、いろいろ回ってますけど、こんなの初めてでした。しかも国会議員がですよ。それでだけこっちは出来ること何でもしてあげたいと。

JK:もう鳥肌ですね。でもそれが柔道の精神じゃないですか。

山下:そうありたいですね。

JK:そこでやっぱり大きな絆、友情ができたと思うんですよね。

山下:いやあ、びっくりしました。

=オンエア楽曲=
M1. My Guy / Mary Wells
M2. Try Me / James Brown

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山下泰裕さんパート2
柔の道と2020年パラリンピック

出水:山下さんを取材した新聞記事に「柔道は人づくりだ、勝つことも大事だけれども人間教育だ」と書かれていましたけれども。

山下:柔道創始者の加納治五郎先生が目指したのは、柔道を通して心身を磨き高めるということだけじゃないんですね。それを日常生活や人生に行かして、よりよい社会を作っていく、ということで柔道を作ったんです。

ですから柔の道ですね。道とは何か、そこで学んだことを人生に生かしていく。ですから柔道をやっている人たちは、頭では柔道は人間教育だ、人づくりだということは分かっているんです。ただ試合になるとどうしても結果がはっきりでる。試合での勝ちを求めていけば求めていくほど、そこから離れていく。スポーツなので勝負はつきものですから、そこでの勝ちというのは私も大事にしたい。

しかし、それだけではなくて、柔道をやっていることでの人生の勝利を目指してもらいたい。どんなに強かろうが、人間教育という視点を失ったら柔道であっても「柔の道」ではないと思うんです。そういう意味で言うと、勝利至上主義に走りすぎた日本の柔道を、本来あるべき姿に多くの人と力を合わせて戻していかなくてはならないと思って、頑張っております。

目の前に2020年の東京オリンピックがありますからね。改めて大きな使命として、柔道剣道の「道」ですよね。日本独特の「生き方」だと思うんですよ。その代表が柔道だと思うんですけど。日本はラッキーというか、それを世界に知らせる、大きな使命があるというか、大きなビジョンがあって良かったですよね。



2020年の東京オリンピックが決まった、あの場所に、あそこにいたんです。ジャック・ロゲ会長が「TOKYO」と言ったときに、私の人生で一番感動した場面が変わったんです。ロスのオリンピックの優勝から、ロゲ会長がTOKYOと言った瞬間に。

JK:うわあ、これ全国のみんな聴いて

山下:ですからなんとしても成功させなくてはいけないし、日本の選手が活躍するのも大事です。でもそれだけじゃなくて、これ以降の日本の活力にしていかなくてはいけない。

世界から多くの人が集まってくる。そういう人たちに日本というものを、どういう人間なのか、どういう文化をもっているのか、知ってもらういい機会だと思うんですよ。

それからあと東日本大震災。世界の多くの国、貧しい国々からも多くの支援が集まりました。私はこちらの復興が2020年までに進みながら、立ち直ろうとしている東日本を世界の多くの人たちに見てもらいたい。
他にも2020年を契機にして、我々がやれること、五輪のメダルも大事だけど、それだけじゃない、それ以外にもやること一杯あると思うんですよね。スポーツ界も心をひとつにして頑張っていかなくてはいけないと思います。

JK:私もオリンピック委員に任命されたんですけどね、オリンピック、パラリンピックが2番目に来るんじゃなくて、日本だからこんなに素晴らしいパラリンピックができたんだという、2番目に来るんじゃなくて、パラリンピックっていうものも特に、どういう風に考えていらっしゃいますか?

山下:2012年、ロンドンのパラリンピックが大成功で、オリンピックに負けないくらいの観客が集まって盛り上がったんですよ。日本が成熟した国になるには、いろいろなハンデを背負った人が、同じように暮らしていくことが大事なんじゃないかな。
全日本柔道連盟副会長として、柔道も視覚障害のある人がパラリンピックに出られるんですね。全日本柔道連盟に入っていないんですけど、視覚障害者柔道連盟と話をしていまして、近いうちに全日本柔道連盟の加盟団体になる予定なんです。
なったら、どの他のスポーツもできないくらい、パラリンピックの選手たちを支援してゆき、それを日本のスポーツ界に広げてゆきながら、2020年に向けて目指してゆく。その道筋を、日本のスポーツ界に、あるいは日本の社会に大変迷惑をかけた柔道ですから、よりよい社会を作っていくために新生全日本柔道連盟は、より進んで前向きに行動していかなくてはいけないと思っています。




=オンエア楽曲=
Can't Take My Eyes Off You / frankie Valli

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