JK:今日は母の日、思い出すでしょ。母の味、とか?
三國:僕は増毛というところで生まれて、北海道の日本海の方なんですけど。
親父が漁師で、おふくろが農家やってて。
親父はもう大分前に亡くなったんですけど、
おふくろはまだ増毛で一人で暮らしているんですけどね。
JK:鰊(ニシン)の産地で。
三國:昭和28年に、増毛の沖で鰊が一匹も獲れなくなったんです。
JK:鰊御殿が建てられるくらい凄かったのよね。
それがバタッと・・・。どこ行っちゃったんでしょうね。
三國:いまだに判らないんですよ。
JK:その鰊が京都に行って、鰊蕎麦とか・・・
三國:北前船ってね。船が福井から上がっていくんです。
ずっと北海道へ。そこでいろいろな荷物を積んで、
昆布とか鰊とかが運ばれて日本中で食べられるようになったんです。
昭和28年に一匹も増毛でいなくなったのね。、
で僕は昭和29年に生まれたんです。
だから僕は鰊の生まれ変わりなんです。
そうやってずーっとホラ吹いていたら、去年、
カナダ政府から、「三國さん鰊の生まれ変わりなんだって?」
って言われて、「カズノコ親善大使」になってくれって。
去年からカナダのカズノコ親善大使になったの。
いまでは日本で食べる全体の60%か70%がカナダから輸入しています。
で、留萌とか増毛で加工されて出荷されて。そういうご縁があって。
僕は1954年生まれなんですけど、僕の歳から中学から高校へ進学するのが当たり前になったんです。
ウチは漁師町で鰊が獲れなくなって貧乏になって、高校行けなかったんです。
JK:やっぱり運命って面白いね。そういう最悪の場面から、なにくそーっていうのあるじゃないですか。
三國:ウチ、畑もやっていましたからね。
親父とお袋は、朝の4時くらい、まだ暗いうちに畑に行くんですよ。
で、お味噌汁だけは作ってくれるわけ。
兄弟7人、自分たちで温めて食べてから学校行くんだけど、夜は(親は)帰ってくるのは夜7時か8時。
疲れて帰ってくるからだから僕らが料理を作って、料理ったってイモの煮っ転がしとか、そんなもんですよね。
そんな生活だったんで。貧乏だけど、親を怨むということはなかったですね。