和歌山県海南市にある1928年創業の酒蔵「平和酒造」の4代目、代表取締役専務・山本典正さん。
日本酒の消費量は1973年をピークに40年以上もずっと右肩下がり。そんな斜陽産業の中に、若い人はなかなか集まらないし、入ってきてもすぐに辞めてしまう。そこで山本さんは酒蔵の「ブラックボックス」を大改革。酒蔵で酒づくりのすべてのノウハウを知っているのは杜氏だけで、その下の蔵人たちは技術は持っていても全体の酒づくりは分からないとうのが当たり前のやり方でしたが、全ての技術と情報をオープンにして入社1年目の人でも酒づくりができるようにしました。といっても経験がものをいう職人の世界、実際には新人が杜氏と同じようお酒を作ることはできないのですが、それでも酒づくりの全体像を全員が共有することで、1年目の人にも酒づくりへの「参加感」が生まれたそうです。
参加感が生まれればつらい仕事もやりがいに変わる。若い人たちが生き生きと働くようになった平和酒造には、毎年2千人を超す大学生・大学院生が採用面接に応募してくるそうです。しかも入社してからの定着率もぐんと上がりました。
日本酒はワインやウイスキーといった洋酒に決して負けない高いポテンシャルを持っているし、洋酒以上に多様な楽しみ方ができると、山本さんは言います。そのことを一人でも多くの人たちに知ってもらうために山本さんは若い蔵元の人たちと「若い夜明けの会」という日本酒試飲会を各地で精力的に開催しています。
今度の東京オリンピックは日本の『文化』を海外の人たちにアピールする場になります。日本酒こそ日本に咲いた文化の花…。まず日本の私たちこそ日本酒の楽しみを再発見する時でしょうね。
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