しょくぶつは、たしかにめを出したり、花をさかせたりといろいろ形をかえるから、いろいろ考えながら形をかえているようにおもえますよね。
でもね、「かんがえる」というのは、どうぶつだけのとくべつな力という気がします。どうぶつは、あつかったらすずしいところへうごいて行けるし、さむければどこかにもぐってしまうこともできます。そういうあつさ・さむさなどを脳(のう)につたえてかんがえながらうごけるんです。
でもしょくぶつはうごけないし、脳がないからかんがえられません。だけど、「かんがえる力」とはちがった「生きのびる力」を少しずつみに付けてきたのではないかとおもいます。「生きのびる力」というのは、タネをとおくにとばすとか、どうぶつに実を食べてもらってタネをはこんでもらうとか、光がたりなければ上へ上へとのびようとするなど、いろいろな力です。
でも、それはかんがえているのではなくて、しょくぶつの体のなかにある「ホルモン」とよばれるものが光や温度にあわせて体の中ではたらいて、できるだけじぶんにとってすごしやすくなるようにからだをかえていくのです。この力はしょくぶつが生まれながらもっている力なんだね。
ということで、かんがえる力はないかもしれないけど、たいへんなじょうきょうでも生きていくことができるのです。
東京農業大学:宮田正信 先生 先生
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