にんげん・せいかつ
Q. わたしたちは「ふたご」なのですが、ときどきおなじこうどうをしたりします。ちょっとこわいんですけど、なんでですか? (中3・女の子の2人)
A.

お姉さん:たとえば、どんなことがいっしょになってしまうのですか?

こども:おなじ歌をいっしょにとつぜん歌いだしたりするんです。

山崖先生:「ふたごがにている」というのは心理学(しんりがく)という心のおべんきょうをしている人たちの間でもいろいろふしぎに思っていることがあります。ふたごは「生まれつきにているのか」、それとも「おなじようにそだったためににてきたのか」、それを調べるためにわざとちがうところでそだったふたごのこうどうをしらべるというけんきゅうもされているんです。ちなみにそのけんきゅうは、ふたごにおなじテーマをだして絵をかいてもらうというものです。すると、なんとおなじような時におなじような絵をかくというけっかがでました。このことから、ふたごがおなじこうどうをするのは、「うまれつきのぶぶん」もあるということが分かってきたんです。だからあなたたちのばあい、おなじかんきょうでそだった「ふたご」なわけだから、にているのもしかたのないことだと思います。でも、これから高校や大学にすすむ時などそれぞれちがった道を選ぶこともあるとおもいます。そういったときにじぶんとどうちがっていくのかをみると面白いかもしれません。

神津先生:ふたごじゃない人は、生活の中で自分のすがたをみることはなかなかできません。でも、ふたごのばあいはけっこうかんたんにすごく自分ににている人をみることができます。じぶんじしんをはなれたところから見られるってほんとうはすごいことなんです。たとえば、ふたごのようすをみて「こういうしゃべりかたをするといじわるそうに見えるな」とかわかるじゃないですか。でも、ふつうはわからないよね。そう考えると、じぶんじしんが目の前にいるってとくかもね。こわがってばかりいないで、ふつうの人にはできないことをさがしてみてはいかがですか?


津田塾大学:山崖俊子先生・エッセイスト:神津十月 先生

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