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オリンピックが終わると同時に、8月の聴取率調査が始まりました。ちょっとクールダウンしたところで思い返す、オリンピックについて、です。 |
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“JCで一緒に仕事した人とは戦友になれるよ”ってある先輩から聞いてたんだけど、どういうことか今よくわかるね。プレッシャーはあったけれど、局の垣根を超えてみんなで日本のテレビとラジオのために働いてがんばろう!って気になっていたオリンピックは、非日常の特殊な場です。帰ってきた瞬間に日常にもどっちゃいましたけど(笑)。TBSラジオというキー局にいたから、日本のラジオ局の代表としてオリンピックの現場で各局のアナウンサーたちを配下に従えて指揮を取る、なんていうこともできたんですよね・・・。
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これまでずっと番組を作る立場ではオリンピックと関わってきたんですが、今回、逆の立場から見ることになって『編成ってたいへんなんだなぁ』と思いましたね(笑)。オリンピックのおかげで「いろんなセクションに関係していく」という編成の基本にして全てを、一気にやれました。編成マンとして競技を見ながらどこかで放送の仕切りのことを考えている自分がいて・・・。そういう役目です。楽しんでやりました。
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オリンピックに関係したスポンサーさんから、「CMはオリンピック終了後に流して」、「十月になってからにして」などのご要望があり、変更連絡もその都度お送りしますので、私のオリンピックはなかなか終わりませんでした(笑)。オリンピックのあと、9月改編があってクライマックスシリーズとかがあって終わるとすぐ年末年始じゃないですか。「あっ!休む暇がない」って感じで。ただ、入社して右も左も分からない状態で、今回の経験ができたのはすごく良かったと思っています。場合によって誰に連絡をとればいいのか、何をどんなタイミングで聞けばいいのかなんてことがわかるようになりましたし、一からみんなで作っていくという雰囲気の中で、平等に意見を聞いてもらえたことは新人としてありがたかったです。
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どっちかっていうと国内担当の技術チーフは、現場で戦っている連中のリングを下から支えている感じですからね、リングの上がどうなってるか、ここにいるとイマイチわかんない事も多いです。僕自身も、広島アジア競技大会(94年)、世界陸上スペイン大会(99年)、釜山アジア競技大会(02年)は現場に行かせてもらいましたが、やっぱり現場は高揚して、興奮します。これは、日本国内のスタッフにはなかなか伝わりにくいものなんですよね。リング下はシドニー五輪、トリノ五輪、ドイツWC、北京五輪と支え続けてきたので、そろそろまた現場に行きたいですね(笑)。性格上、現場でUNIとしてTBSの為に仕事をするのが一番盛り上がりますから。
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競技のことも町や人々の様子も、日本の新聞やテレビが伝え切れていないものを伝えようと意識し続け、結果として中身のあることが話せた、“お祭り騒ぎ”で終わらせなかったと思ってます。自分で言うと偉そうなんですが・・・。北京では、暑かったのと、遠かったのと、広かったのと、お腹を壊したのと、寝る時間がなかったのがつらかったことですかね。よかったのは世界中から集まる記者と仲良くなり、その中で仕事が出来たことと、北京オリンピックの最前線にいて自分で伝えることができたってことです。やっぱり自分が一番最初に見たい、触れたい、じゃないですか(笑)。いい3週間でした。
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