TBSラジオ〜聞けば、見えてくる〜  
TBSラジオ2010年度採用情報
期間中(3)オリンピックにもらったもの
忙しさの中にも、“今だけのドラマを伝えることに携わる仕事”の醍醐味を誰もが感じていました。
トラフィック担当 赤木舞子
営業は“縁の下の力持ち”的なポジションなんですが、自分が『これ!』って決めた順番でCMが流れると、『こんな重要な仕事を、入って一ヶ月でやらせてもらえるんだ』って気持ちになりました。現地での報道などを聞いて、余計に『北京にいるスタッフは現地で頑張っているから、こっちもちゃんとやろう、CMの事はきっちりミスなくやろう』と。『CMの事は任せておいてよ!』っていう売っているCMに対しての責任感はありました。
スピードと緻密さを求められるトラフィック作業を、担当者3名で、常に全員と情報を共有しながら行なわなければならないのは大変でしたけど、参加出来てる!という実感がとてもあったので、毎日毎日お祭り騒ぎで、毎日毎日緊急事態でも・・・楽しかったですね!
TBSラジオ オリンピック特派員 鳥山穣
水泳の北島選手と女子ソフトボールの上野投手のインタビュー時間が“森本毅郎・スタンバイ!”のOA時間にそれぞれ2分、もらえることになったときには、番組に連絡して生出演のコーディネートと現場での対応をしました。そういう、選手の声を収録や生で伝える仕事に加えて、メディアセンターからは僕も藤田も生島さんも何十回とリポートをいれました。取材予定を毎日伝えて、オーダーがあれば番組内で“オリンピックリポート”ということになります。出来る限り生放送第一でいこうと思っていましたし、テレビなどで報道されていることとは違うこと、カメラに映っていないことを伝えたいと思って取材してましたね。生島さんは水泳など、藤田は野球他の競技、僕は柔道のほぼ全試合を観戦して、そのあと生放送で喋りました。。あとはレスリング、バレーボール、陸上、女子ソフトボール・・・最後に見たのは男子マラソンですが、野球が負けた時点で『オリンピックももう終わりだな』って感じがしました。
技術デスク 小沢冬平
トラブルらしいトラブルがなかったのはよかったです。IBCの機材を使って生島さんがレポート中継しようとしたら、鳥山記者と藤田記者が取材にマイクを引っこ抜いて持って行ってしまっていて、文化放送さんにマイクを借りたという話を後から知ったのが、僕としては一番ショッキングでしたけど(笑)。あと、新品で貸したICレコーダーのプラスチック窓が思いっきり割れて戻ってきました。「ごめんなさい、壊しちゃいました」って。でも、それだけ激しいフィールドでガチンコの取材してきたんだな、って嬉しい気持ちもあります。もちろん機材は大切にして欲しいですけど(笑)。
編成デスク 三条毅史
シミュレーションは完璧、と思っていましたがやっぱり不測の事態は起きました。野球が雨で延びて終了時刻が24時を回ってしまった時、機械的なトラブルで次の日に流すはずのCMが出てしまうということがありました。すぐに詰めていた技術の担当者が対応して被害を最小限に食い止めたのですが、「最後の砦としての人力」はやっぱり大事だな、と思いました。あとは編成として“番”をしながら、オリンピック本部で「テレビ放送されない競技」もたくさん観て、けっこう堪能しましたよ。
JCラジオ統括 碧海 純
解説者がテレビのロケに付き合って肝心のラジオの解説に遅刻しかけたり、男子ハンマー投げの中継でNHKさんが室伏選手の投げ終わった後スタジオに切り替えるのを忘れていたり、あわてたことはいくつかあったけどラジオは全体として本当にトラブルはなかったですね。
実は今回のオリンピックで4回泣きました。北島の最初の金で泣き、レスリングの伊調の「色は銀だけど私にとっては金だから」で泣いて、上野のソフトボール決勝で泣いた、IBCでテレビ見ながらひとりでしみじみ。みんなに泣いてる姿を見せちゃいけないと思ってわざと「そろそろ現場締めてください」とか言っちゃって(笑)。このまま一つも生で競技見ないで終わるかなぁと思っていたらJCチームのみんなが「僕たち代わりやりますから、どうぞ見てきてください」と言ってくれて、男子陸上リレー決勝、見たんです。目の前に朝原選手たちが入った瞬間、銅メダルを取った瞬間、 「やったーーーーー」って大声といっしょに涙出ましたよ。本当に感動した・・・。 日本のメダルを見られたことも、みんなが現場に行かせてくれたことも。
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