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今年7月14日、第133回直木賞が発表される。直木賞が制定されてから今年でちょうど70周年。今年は誰がその栄冠を手にするのか…
直木賞。きら星のごとき人気作家を輩出してきたこの賞だが、その由来となった作家・直木三十五のことは意外なほど知られていない。
直木三十五は無帽、無マント、和服のみ。酒はたしなまず、野菜を好む愛煙家。飛行機好きで、搭乗回数の記録を持つ。
多くの時代小説や天才的ゴシップ記事の書き手であり、菊池寛をはじめ多くの文人に愛された。
直木三十五とはどのような人物だったのか? また、直木賞作家たちはどのようにして賞を受けたのか。受賞作家18人のインタビューを交えながら、直木三十五と直木賞のふしぎに迫る。
直木三十五(なおきさんじゅうご)、本名・植村宗一は明治24年2月12日、大阪市中央区の安堂寺町(当時は南区内安寺町)で生まれた。古物商を営む父は42歳、母は30歳だった。
貧しい少年時代を送るが、教育熱心な父親の援助を受けて、早稲田大学に入学する。
田端で友人と下宿生活を送っていた宗一のもとへ、のちに妻となる佛子寿満(ぶっしすま)が訪ねてくる。美人と評判の寿満は、宗一の6歳年上。実家は有力なお寺で羽振りがよかったようだ。
しかし、二人の生活費は宗一の実家からの仕送りだけ。やがて大学の月謝も払えなくなり、除籍処分となった。長女も生まれ、生活は極貧を極めた。
だが友人の助けもあって、出版社の立ち上げに参加することになり、ピンチを脱する。と、いうもの束の間、浪費癖の激しい宗一は、会社を倒産に追い込んでしまう。
その後、芥川龍之介、菊池寛らと出会い、宗一は菊池寛が創設した、文藝春秋社の雑誌にエッセイなどを発表するようになる。
その前年、植木の植を分解して、直木の名を使うようになり、当時三十一歳だったことから、直木三十一と名乗るようになっていた。
彼はそれ以降、年齢を重ねるごとに直木三十二、直木三十三と名前は変化していった。だが、ある事情から名前の変化は三十五でストップしたようだ。
大正12年の関東大震災は、直木の大きな転機になった。作家活動を本格化させ、映画業界にも仕事の幅を広げることになる。だが止まらない浪費癖。それ以降どのような生涯を送ったのだろうか…
そして昭和9年2月24日、直木三十五死去。享年43歳だった。その翌年、菊池寛は芥川賞とともに、直木賞を制定。現在に至るまで直木の名を残すことになる。
番組では、直木三十五の生涯の転機となった事柄に合わせて、受賞作家にインタビューをおこない、直木三十五と作家たちの素顔に迫ってゆく。
ゲストのねじめ正一や石田衣良ほかが語る、直木三十五の印象なども興味深い。そのまんま東が、直木三十五ゆかりの地を訪ね、その生涯に思いをはせる。