コラム|『ニューイヤー駅伝2017』

2017年1月1日 (日) あさ8時30分よりTBS系列生中継!

コラム

2016年12月29日更新 text by 寺田辰朗

第5回“スモールプレイヤー”として強さを発揮するマツダ。
中国地区2連覇で、ニューイヤー駅伝40年ぶり入賞の可能性も

内容

九州のMHPSに続き、マツダが中国実業団駅伝に優勝したことも、駅伝ファンに驚きをもって迎えられた。
中国電力の連勝を「18」で止めた1年前は、3区で中国電力の大ブレーキがあった。さらに今季、中国電力にも初の外国人選手、ポール・カマイシ(20)が加入。中国電力のV奪回が予想されていたのだ。
ところがマツダが、3区の圓井彰彦(32)で中国電力を抜いてトップに立つと、4区、5区と少しずつ追い上げられたものの、6区の山本憲二(27)が中国電力を突き放した。

今のマツダに五輪&世界陸上の代表経験者はいない。地方都市が拠点でスカウトで苦戦しているのはMHPSと同じで、箱根駅伝中位以下の大学のエースと、上位校の中堅クラスの選手たちが、入社後に成長しているチームである。
MHPSとの違いは過去に優勝、入賞した歴史を持つこと。1969年と1971年に全日本実業団駅伝(当時は12月開催)で優勝した。箱根駅伝もまだ全国ネットのテレビ中継はなく、学生選手の関東一極集中もなかった時代ではある。その後、全日本大会に出られなかったり、30位台に低迷したりした時代も長かった。
そのマツダが2010年に就任した増田陽一監督のもと、一時的に成績が下がったこともあったが、上昇曲線を描き始めた。

地方都市を拠点とするチームの強化

MHPSがマラソン部なら(コラム第4回参照)、マツダは“スモールプレイヤー”のチームといえるかもしれない。
増田監督は「マツダには小さくても、特色を出せる分野で目立っていこう、というスモールプレイヤーの社風があります。大きくなくても、工夫次第で実績を残すことはできる」と説明する。

マツダも一般的には大企業だが、国内工場は広島と山口県防府の2カ所だけで、自動車メーカーのトップ3(トヨタ自動車、日産自動車、Honda)との差は大きい。同じように広島を拠点とするプロ野球のカープや、サッカーのサンフレッチェなども、在京・在阪球団に比べ少ない予算のなかで日本一になっている。
「陸上部も、中国地方ということもあってスカウトは厳しい状況ですが、だからこそ育成が重要です。限られた資源でも創意工夫で乗り切ろうとしています」
その象徴が、ベテラン選手の存在だろう。圓井と松岡紘司(34)が長年チームを牽引し、今も元気が良い。入社時にはそこまでレベルが高くない選手でも、小さな努力を積み重ね、30歳を過ぎても自己記録を更新しているのだ。

32歳で初マラソン挑戦の発想

圓井は法大のエースだった選手だが、1万mは29分台と学生長距離界で目立った存在ではなかった。
入社後に徐々に記録を伸ばし、5000mの自己新(13分39秒71)は2015年、31歳のシーズンだった。
日本選手権に出られるようになったのも入社4年目からで、「1万mは5回出て2回入賞」(圓井)している。遅咲きだが、トップレベルに成長してからは安定しているということ。何をすれば記録を出せるのか、理解しているからだろう。
それでも圓井本人は「体の状態で成績を予想できました。どちらかというと、センスでやってきた」と、反省のニュアンスで話す。
「日本選手権も入賞はできても優勝はできていませんし、駅伝の区間賞もありません。体の状態から何ができると考えるのでなく、自分のやりたいことに体を追いつかせたい。そのために昨年からは基本に戻って、動きづくりや筋力トレーニングを重要視して行っています」

遅咲きと紹介したが、実は高校生のときに世界ユース選手権に出場し、3000mで9位と入賞に迫った。
同じレースに出た今井正人(トヨタ自動車九州・32)は15位。圓井が昨年から考え方を改めたのは、今井が東京マラソンで2時間07分39秒と、現役選手では日本最高記録で走ったことがきっかけだ。
「今井とは同じ福島県出身同士ですし、ロードでは勝てませんが、トラックでは互角に走れていました。その今井がマラソンであそこまでの結果を出したのを見て、自分もスイッチが入ったんです。今井に勝つにはオリンピックにマラソンで出るしかない。4年後は36歳ですが、東京オリンピックを目指します」
そう話す圓井はまだ、マラソンを一致度も走ったことがない。
42.195kmをどう走りきることができるのか、予想がつかないのは初マラソン前の選手全員に言えることだが、今の圓井はひるまない。やりたいことができるような体を作る。その発想で、2月の東京マラソンに出場する予定だ。
32歳での初マラソンは明らかに遅いが、新たに挑戦する種目で成果を残したとしたら、マツダの環境がプラスに働いたと見ていいだろう。

松岡の小さな目標が意味するところ

関東以外を拠点とするチームでは、地元出身の選手が頑張っているケースが多い。マツダでは松岡紘司(34)と山本憲二(27)の2人が広島県出身である。松岡は大学も広島経済大で、広島育ちを貫いてきた。
1万mの自己記録は28分47秒90で、関東以外の大学出身選手としては高いレベルだが、実業団選手としてはまったく目立たない。それでもニューイヤー駅伝では1区で区間5位が2回と、トラックの記録以上の走りをしてきた。
「ニューイヤー駅伝の1区の走り方がつかめたからだと思います。8kmくらいでレースが動くことが多いのですが、そこまでは集中しながらペース走をする感覚で走ります。周りは日本のトップ選手ばかりで楽に走っているので、自分のリズムもそれに合わせると楽に走れてしまいます。10km手前の上りさえ我慢すれば、残りは2.3kmですから、1km粘ればラスト1kmです」

故障が少ない選手でもある。
その理由は走った前後の体操やストレッチを、しっかりと行っていることくらいしか思いつかない。ただ、そのときに自分の体の状態をしっかりと意識し、「今日はここが硬いな」と気づくことができる。「若い選手より、向上心があったんでしょうかね」と、冗談めかして自己分析した。
仕事として、1年1年が勝負と思って取り組み、結婚してからは「家族への恩返し」の気持ちも強くなっている。ニューイヤー駅伝の目標も、まずはメンバー入りすること。
「今度のニューイヤー駅伝を走ったら12回連続で、増田監督のチーム最多記録に並びます」
松岡も小さな1つ1つの積み重ねを、好走にしっかりとつなげてきた選手。“メンバー入り”は、区間ヒト桁順位と同等の意味を持つ。

山本が語る東洋大時代との違い

山本は松岡とは対照的に、指導者の異動に伴い高校3年時から福井県の高校に移り、大学は東洋大と県外で走りを研いた。
東洋大では2代目“山の神”の柏原と同学年。箱根駅伝は3年時に10区区間賞でチームは2位、4年時には3区区間2位でチームの優勝に貢献した。
とはいえ、チーム内では2学年下に設楽兄弟もいて、主要区間を走る選手ではなかった。

ニューイヤー駅伝では1、2年目に最長区間の4区を任され、2年目には区間7位と好走した。3年目は後輩選手の成長もあって6区(12.5km)に回って区間13位。4年目の前回は圓井が4区に復帰して、山本は1区(12.3km)で区間4位。
今季は山本が4区を任されそうで、本人も意欲を見せている。
「区間賞は…難しいかもしれませんが、区間5位以内で走る力はついたと思います」

前述のように学生時代も活躍したが、その頃との違いを次のように説明する。
「柏原の後ろの区間を走れば独走していましたし、彼が後ろにいれば安心して走れた。自分が強かったのでなく、強いチームにいたから出せた結果です。練習も指導者が考えてくれた内容を、一生懸命にやっていればよかった。周りに強くしてもらっていたのだと思います。マツダに入ってからは、気持ちの面がかなり変わりました。試行錯誤して、経験を積み、こういう練習をやれば自分が変わっていくとわかってきました。それが楽しくて、やる気がどんどん大きくなっています」

設楽悠太(Honda・25)は東洋大の2年後輩で、4区で対決することになる。
「後輩ですから、少しでも勝ちたいですね。2年間一緒にやって、彼の走りもわかっています。後半に付け入る隙がある…かもしれません」
2年連続4区区間賞の後輩の成長も認めているが、自身の成長に手応えもあるから言える言葉だ。
紹介した3人以外にも、2年前に4区、前回3区と主力に成長した大須田優二(26)や、中国予選2区でカマイシに31秒も勝ったテレッサ・ニャコラ(21)も強い。大須田も学生時代(中大)に名を馳せた選手ではなかったし、前回5区の住本雅仁(28)も京産大と、関東以外の大学出身だ。マツダでしっかりと育成された選手が、エリート選手たちが多い上位常連チームに挑む。

中国予選を回避した大須田が復調し、圓井と2人で1・3区を担当できる状態なら、ニャコラで浮上した順位を3区まで維持できる。
4区の山本が設楽悠を見える位置で走ることができたら、マツダの40年ぶりの入賞が現実になる。

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寺田辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。選手、指導者たちからの信頼も厚い。
AJPS (日本スポーツプレス協会) 会員。

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