「世界遺産 ナスカ展」全国9会場、85万人の来場者から頂いたご質問の中で特に多いものにお答えいたします。
質問1:土器の底はなぜ丸くなっているのですか?
ナスカの土器は、地面に浅い穴を掘って土器の丸底を埋め、安定させていたと考えられています。たとえば住居であっても、古代の床は、地面に水をかけて固くしただけか、粘土を敷いた簡単なつくりだったので必ずしも平らではなく、土器の底が平らであることは、安定を得るのに必ずしも有利ではなかったのです。
質問2:土器の色が鮮やかなのはなぜですか?
色鮮やかな理由のひとつは、ナスカの土器の色材が鮮やかに発色する鉱物由来のものが多かったということでしょう。窯はなく、深さ20〜30センチ程度で、3〜5メートルほどの楕円形(だえんけい)をした浅い穴を直接地面に掘り、壊れた大きな土器片などでおおって焼きました。この焼き方では大量の酸素が消費されて、発色が鮮やかになります(酸化焼成)。穴の底とおおった土器の上に燃料となる木の枝やリャマなどの動物の糞を敷きました。
質問3:発色が鮮やかな理由はわかりましたが、なぜ、古代の色があのようにあざやかに残ったのでしょうか?
ナスカの環境は非常に安定しています。現在のナスカは年間降雨量が1ミリ以下で、こうした乾燥した気候では腐食や色落ちの原因となる微生物も活動しにくいのです。この展覧会で展示されている土器は副葬品として墓から出たもので、ナスカの墓の乾燥した土砂は保存に適していました。また、土器の表面のツヤは古代ナスカ人が磨き石でていねいに磨いて出したものです。
質問4:土器は日常で使われたものですか?
この展覧会で展示されている色鮮やかな土器は、墓から副葬品として出土したものです。土器の底にこすれた使用痕(しようこん)が見られるものもあるので、日常的に使ったものもあるようです。しかし大半の土器は、弔(とむら)うために死者に敬意を表したり、埋葬された者が死後の生活で使うために特別に作ったもので、日常的に使われたものではなかったという説も有力です。金属製品があまりつくられなかった古代ペルー南海岸地帯では、日常生活で水などの貯蔵や煮炊きなどに使う器や食器には、彩色していない簡素な土器が使われました。
質問5:どうして土器の口は二つに別れているのですか?
じつはこれもはっきりとわかっているわけでもありません。蒸発をふせぐために口を小さくしたので、穴を二つにして水を出やすくしたのだという説や、注ぐときに音を出すためだという人もいますが、そもそもちいさな穴からどのようにして水を入れたかもわかっていません。こうしたことから双注口土器は、もっぱら墓の副葬品として使われたもので、液体を入れるなどして日常的に使われたものではないという説もあります。
質問6:土製の太鼓はどのようにして使われたのですか?
展示物では一方に穴があいていますが、その部分に皮を張って、肩の上に載せるか腰にあてて片手で固定し、もう一方の手で皮を張った部分をたたいて音をだしました。
質問7:ミイラはどのようにして作ったのですか?
わずかな例外を除いて、ナスカのミイラのほとんどが自然にミイラになったものです。ナスカのような乾燥した砂漠では、墓に埋めておくだけでもミイラになりやすかったのです。人工的に死者の体に手を加えてミイラにした例はアンデスでも少数の文化に見られますが、全体としては数は少なく、古代エジプトとはその点で大きなちがいがありました。
質問8:織物の修復はどのようにしたのですか?
乾燥したナスカの気候では、墓に埋葬された布の色はあせずに鮮やかに残っていることがあります。展示している織物は古代の色がそのまま残っていたものばかりを集めました。何らかの理由で穴があいて元のデザインがわからなかった部分は、同じ布のほかのところを参照して修復しています。大きなマント(展示番号97−95)は、この展覧会のために修復したもので、ペルー国立考古学人類学歴史学博物館の織物修復の専門家が数人で修復しました。
質問9:展示番号43の針はどのような植物で作ったのでしょうか? また、どのようにして糸通しの穴を開けたのでしょうか?
この針はサボテンか、ナスカの川筋に生えているワリンゴという木のトゲを使って作っています。どのようにして針に穴をあけたのかはわかっていませんが、たぶん、やはり細いサボテンかワリンゴの針先を用いて穴を開けたのでしょう。
質問10:地上絵の描き方を教えてください。
ナスカの人々はあのような巨大な地上絵をどのような方法をもちいて作ったのでしょう。彼らはロープと杭と簡単な算数を使って、それをなしとげたといわれています。ここではその方法を見ていきましょう。
まず、描きたい地上絵の縮小版の絵を、地上絵を描きたい場所に描きます。そして縮小版の絵の何倍の大きさの地上絵を描きたいかを決めます。縮小版の絵の中心部分に基点をもうけてそこに杭を打ち(A)、杭からロープを渡して縮小版の絵の任意の点までの距離を測ります(B)。その距離にさきほど決めた倍率をかけて、ロープの延長線でその距離を測り、そこに新たに杭を打ちます(C)。これを何度も繰り返して、さいごにその点をつないで、地上絵の形にしたというのです。
質問11:地上絵は自然の力で破壊されないのでしょうか?
さきほど土器の色の説明でもお話したとおり、ナスカは雨がほとんど降らないので、地上絵の描かれた大地には、植物が生えることも、ミミズなどの土壌生物が活動することもありません。このことが地上絵を現在まで残すことにつながりました。むしろ自然の力よりも、たとえば、車やオートバイで乗り入れるというような、ナスカの地上絵の大切さをかえりみない人間の手による破壊の方が、脅威といえるでしょう。
質問12:土器に描かれているのはどのような神々なのでしょう?
ナスカ人は日本の神道などと同じ、多神教の神を信じました。神々は一見同じような姿ですが、図像の先端にさまざまな動物や植物などを描くことで、それがどのような力を持つ神かを表しました。たとえばアマツバメは山の雪解け水が乾いた川にはじめて流れ込む時期に姿を現します。そのため神の先端にアマツバメがついていれば、その神は水と作物の豊かな実りを司るものだということがわかります。一方、この図像の神にはネコ科動物の絵が描かれています。ピューマなどの野生の大型ネコ科動物が生息するこの地では、ネコ科動物は強大な大地の力そのものを表しています。