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こんにちは。いつもTBSの番組を楽しく拝見させていただいています。さて、質問ですが、この時期をなぜ「梅雨(つゆ)」というのでしょうか?もう梅の時期でもないくせに、梅の雨で「つゆ」なんて、おかしくないですかねぇ?回答の程よろしくお願い致します。
(98.6.15 浅野洋)
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「いよいよ梅雨真っ盛り。ついでに梅も真っ盛り」と、もし私が放送で発言したとすれば、それは間違いでしょうか…答えはYESであり、またNOでもあります。
梅の季節は初春ですが、それは花であり、実が熟すのはちょうど6月、梅雨の頃だからです。浅野さんの疑問については花でなく実で考えると、それこそ梅の実が大地にポロッと落ちるように、目からウロコがポロッと落ちるでしょう。
「梅雨(バイウ)」は中国から来た言葉です。長江流域で梅の実が熟す頃に降る雨のことを梅雨と言ったのです。日本人は、その言葉をそのまま輸入するだけでなく、梅を加工して梅干しを作るように、雨から「露(ツユ)」を連想して「梅雨」のことをツユとも読むようになりました。
梅雨は東アジア特有の雨期ですが、梅も東アジアでしか見られない植物です。梅というといかにも日本の花木、という感じがしますが、実はこれも、「梅雨」という言葉と同じように中国原産で、奈良時代、遣唐使によって日本に運ばれてきたのが最初です。
梅雨という言葉を借りて、日本では、菜の花の咲く頃を菜種梅雨(ナタネヅユ)といい、サザンカの花の咲く頃をサザンカ梅雨なんて言ったりもしますが、いずれにしても着目点は花。一方、中国人の着目点は実だったわけです。それは、花より実が好きという二者択一的なものではなく、あらゆる植物の中でも、梅でなくてはいけない何かがあったのでしょう。
万物が枯れ尽くしている冬から春さきに、梅は厳しい寒さの中でもふくいくと咲き続け、やがて結実します。厳寒に耐えぬく姿は、心底に秘めた激しい忍耐を教えるものとして遠い昔から中国の人々に親しまれ、やがて革命の象徴ともなりました。1929年には、蒋介石の北伐成功後、全国統一を果たした中華民国によって国花に制定されました。こんな歴史を築いていくことになる中国人が、昔々、初夏の長雨をわざわざ梅雨と呼び始めたことに必然性を感じずにはいられません。
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