千葉すず【孤高の美人スイマー 悲劇の引き際】

ロンドンオリンピック2012で戦後最多11個のメダルを獲得した日本競泳陣。その礎を築いたとされる、元祖美人スイマーがいる。
今から20年前のバルセロナオリンピック。当時高校2年生の少女は、日本人には手が届かないと思われていた自由形でメダルを期待される若き大エースだった。
しかし、彼女はメダルに届かず、代わりに全くの無名だった後輩の岩崎恭子が金メダルを獲得した。4年後のアトランタオリンピックに際し、ある番組で発した「勝負より楽しみたい」などの発言が日本中のバッシングを受けることになる。その後、一度は競技から離れたが、1999年に復帰。日本新記録を樹立して完全復活した。
翌2000年。シドニーオリンピック代表選考を兼ねた日本選手権でも優勝。当然代表に選出されると思われたが、落選。彼女はひっそりと引退した。
引退以降、マスコミの前に出てくることはなかった彼女が、12年の封印を解いて初めてすべてを告白する。