おんがく・え・ずこう
Q. 指揮者はオーケストラのメンバーのリズムをとったり、最初とおわりの合図をするだけにしか思えないのですが、指揮者によって音楽の評価が変わるのはなぜですか? (小学4年 男の子)
A. 井上先生:今度僕の音楽会おいでよ。そしたら、最初と終わりだけやってるとは絶対思えないから。みりゃーわかる。君がみたのがヘボ指揮者なだけだ。それで、学校の合奏なんかやると、だいたい、行進曲みたいなのが多かったりするんだよね。そうすると、最初と終わりだけでいいんですよ。僕自身もマーチなんかは最初だけ振ればいい…みたいなところがあります。ただし、指揮者は練習の時にとっても役に立つ存在で、本番より、練習の時に役に立つ。っていうのは、人間多いでしょ。たくさんの人がいて「さあ、みんなやろうよ」って、サッカーだってそうだよな。全く監督もコーチもいなかったら、楽しいかも知れないけど、どうする?やっぱり人間が20人ぐらい出てきたら、だれかまとめる役がいるんだよね。学校でもそうなんじゃないのかな?友達で3人や4人集まってる時は、誰が親分だとか考えなくていいけどさ、やっぱり20人ぐらいいたらさ、やっぱり誰かリードしてくれよとか、今度この山行くのにどの道選ぶか、誰か決めてくれよとかいないと決まらないだろ?そういうのを決める役目、だから偉いんじゃなくて、そういう役目なんだよ。だからその役目をやるのが指揮者という役目だな。
おねえさん:指揮者によって評価が変わるというのは知ってるってことだよね?
こども:はい。
おねえさん:指揮者が変わると音楽が変わっちゃうってことなんですか?
井上先生:変わるんだこれが。あのね、一番面白いのはね、指揮者コンクールってのがあるんですよ。指揮者コンクールだから、まだボンクラですよね。まだなりたてでしょ?ヒヨっこでしょ?それがプロフェッショナルのオーケストラ相手に20人、30人、50人でてくるでしょ?みんな音違うんだよ。
おねえさん:同じ演奏する人なんですか?
井上先生:同じ曲で、指揮者が変わるだけで違うんだよ。これは見学すると面白いのよ。
ヒデ先生:サッカーもそうですもんね。監督が代わると選手が一緒でもサッカーのスタイルが代わりますもんね。
永先生:僕ね、指揮者についての言葉でね、ちょっと難しいかも知れないけれど、大好きな言葉があるの。「指揮者は時間を彫刻している彫刻家」。ちょっと難しいけどね、あ、そうなんだってわかった時に僕は感動しました。「指揮者は時間を刻んでいる彫刻家」。そこに過ごす音楽の時間を彫り上げていく意味なんだと思いますけど、その時に指揮者って大変なんだ〜、指揮者って素敵なんだって思った言葉です。
井上先生:あとちょっと付け加えたいのは、僕がやっているクラシックの音楽って、ずいぶんテンポが変わるの。よく電車の中で聞いたり、街でやっているチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャンってうるさいヤツあるじゃないですか?あれは、全くリズムがずっと同じなんだよ。だから指揮者いらないんだよ。ワン・ツー・ワン・ツー・スリー・フォー、これでおしまいなんだけど、クラシックはとってもテンポが変わるのね。テンポって遅くなったり速くなったり、大きくなったり小ちゃくなったり、悲しくなったり、うれしくなったり、ものすごく変わるの、それをどのくらい速く行こうとか、どのくらい悲しくいこうとか、そういうことを年中作ってる。音楽って時間がないとできないんだよ。時間がかかる。それをどういう時間を過ごそうかなって考えてやってるわけ。まあ、これはなイイ質問なんだよ。なぜかな〜ってずうっと考えていて欲しい。これはね、指揮者だけじゃなくて絵描きでもこの人の絵はどうしていいんだろう?この人の彫刻は有名になってるらしいけどホントにこの彫刻はなぜ名作と言われるんだろうって考えて欲しい。疑いを持って欲しい。

放送タレント 永六輔先生/指揮者 井上道義先生/お笑い芸人 ペナルティ(ヒデ・ワッキー) 先生

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