日本にある防空壕(ぼうくうごう)は、太平洋戦争(たいへいようせんそう)のときに、アメリカのひこうきが日本にばくだんをいっぱい落としていたころにつくられました。おおぜいの人が、ばくだんにあたって死なないようにあなをほって、そのなかにもぐってにげたんです。ぼうくうごうとはそのあなのことなんですね。あとがのこっているところもありますよ。ぐんたいがつくったものもあれば、かぞくでおにわにつくったものもあります。沖縄(おきなわ)にいくととても大きなものがあるんです。
そういうふうにばくだんからにげていた時代がここ60年ぐらいまえにじっさいあったのです。キミたちのおじいちゃんやおばあちゃんぐらいの人たちかな。そういう人に聞いてみれば、ぼうくうごうをつかっていたときの話をしてくれる人がいると思います。
(永先生:ぼくもぼうくうごうから学校にかよっていました。)
ぼうくうごうは空からふってくるばくだんからにげるためのものだけど、そのようなせんそうは第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)からほんかくてきにおこなわれてきました。むかしのせんそうは、白いはたをふって「わたしは負けました」といえば、命は助けてくれたの。でも、いまミサイルに白いはたをふっても、ミサイルはわからないからけっきょくばくはつしちゃって、ひとがしんでしまうんだよね。そして、いまでもせんそうをつづけている国では、ぼうくうごうでうまれてぼうくうごうで育っていくキミたちと同じくらいのこどもたちがいるんです。そういったこともかんがえていかないといけないね。
イラストレーター:ヒサ クニヒコ 先生
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