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『余命1ヶ月の花嫁 〜乳がんと闘った24歳 最後のメッセージ〜』


関係者から

画像 「乳がんは治る病気」。それが私の認識でした。千恵は「自分と同じつらい思いを他の人にはしてほしくない」と言って闘病中にテレビの取材を受けました。番組や本を通してそのメッセージがたくさんの人に伝わったことを嬉しく思います。また、千恵の思いが検診キャラバンという形で生かされ、千恵を囲んだみんなが今も一緒にボランティア活動をしているのを見て、まるで千恵が今もみんなの中で笑っているかのような気がします。番組や本、検診キャラバンなど、千恵が残したものがきっかけになってご自身や周りの方の健康に注意を払っていただけるようになれば、本人もきっと喜ぶと思います。最後になりますが、たくさんの方から励ましのお言葉やお手紙を頂戴いたしました。この場をお借りして御礼を申し上げます。ありがとうございました。


画像 千恵が「伝えたい事がある」と言い出した時、TBSの取材が始まった時、恋人の立場としては複雑な思いでした。ですが千恵が伝えたかった訳、伝えたかった事、解りました。千恵が「明日は来る事は奇跡」と言っていました。都会の風すら普段感じない私にも千恵には心地よい。千恵は生きてることを感じて、沢山の人にその喜びをわかって欲しかった。私は千恵の思いを受け取りました。テレビや書籍を見た方も受け取っていただいたかと思います。私はそんな千恵の思いをいつまでも伝え続けていきたいと思ってます。共感いただけた方には本当に感謝してます。千恵は毎日を送れる事が「幸せ」といっていました。皆さんにも千恵の幸せが届く事を願ってます。


画像 私が入院していた長島千恵さんから、「ウェディングドレスが着たい」、と聞いた時、思わず言葉につまりました。「千恵ちゃんは、自分がウェディングドレスを着ることなく、この世からいなくなるかもしれない、とわかっているんだ」と、確信した瞬間でした。何とか動揺を隠そうと、私は明るく「そうだね!いいじゃん!着てみようよ。」と答えたと思います。それから10日ほどで、千恵さんはドレスを着て写真をとり、そしてその1ヵ月後、亡くなりました。

2007年3月に千恵さんが再入院してからは、そばにいる友人、また同世代の女性として、自分に何ができるのかを問い続けた約2ヶ月でした。どんな雑誌が読みたいだろうか、でも雑誌を読んで元気な女性の姿ばかりみたら落ち込むかな、病院で着るパジャマや下着はどんなものが着たいかな?着心地がいいもの、手術の後が目立たないもの、それでいて千恵ちゃんの趣味に合うものって?という、差し入れのことから始まり、明るい話題を持っていかなくちゃ、といつも「今日は何の話をしよう」と、病室に入る前で一度深呼吸して頭を整理してから入るようにしていました。

用意した差し入れや面白い話、などに千恵さんが喜んで笑顔を見せてくれると、心からうれしくて、次の日は何をしてあげよう、と頭を悩ませる、その繰り返しでした。その日々を今思い出しても、そばにいる友人として考えられることのうちなるべく多くのことをしてあげることができて、それは「神様が与えてくれた時間」と思っています。

私も、本やドキュメンタリーを見ていただいた皆さんと同じく、千恵さんにもらったたくさんのものと「神様が与えてくれた時間」によって、以前と暮らしは何も変わっていないものの、見える風景やふとした時に感じること、などが、少し変わりました。大切な人や「生きること」について考えるようになりました。

今後とも、千恵さんの生きた日々を、本やドキュメンタリー、乳がんのイベントなどを通して多くの人に伝えるお手伝いを少しづつでもやっていきたいと思っています。