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2000年10月25日
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のんびり、オージー(オーストラリアの略) | ||
我々シドニー取材団は、8月下旬に現地入りしました。空港に降りますとまず人がまばらで混んでいません。さすが、国土が日本の22倍もあるのに人口はたったの1800万人のオーストラリアです。この時期日本で言うところの春だそうですが、空気は昼間でもひんやりして乾燥していて過ごし易く、夜は10℃位になり思ったより寒かったです。
空港からシドニー中心部に向かうとシンボル的建造物であるハーバーブリッジに差し掛かりました。車メーカー「アウディー」のマークが橋の欄干に掲げてあって、へんだなと思っていたらなんと作りかけの五輪マークだったのです。うーん、五輪開幕まで半月しかないのに、のんびりしていて良い国です。 |
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カプチーノが美味い |
TBSでは日本から衛星中継車を現地入りさせ、開会式の始まる前からシドニー各所から生中継し、五輪にまつわる情報をいち早く日本の皆様へお届け致しました。9月6日には、シドニーで一番の景色とされるオペラハウス横からの生中継を行いました。最初の中継だったのでスタッフ全員気合が入っておりまして、強風のなか長時間屋外にいたので体が冷え切ってしまうぐらいです。そんな時、暖かいカプチーノがとても有り難く感じました。
この国、カプチーノがとてもおいしい。レストランだけでなく、マクドナルドにだっておいしいカプチーノがあるんです。うーん良い国です。ハンバーガーは同じでしたが・・・。 |
気迫のヤワラちゃん、リラクッスの高橋尚子選手 | ||
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9月9日午前シドニー空港に到着したヤワラちゃんは、足取りも軽やかにニコニコと明るい表情でカメラの前に来てくれました。かばんの中からレシートを取り出すや成田空港の売店で買い物した合計金額が「¥11,111」だったと見せてくれました。1の並びで縁起が良く、「一番(金メダル)しかないです」と力強く気迫の「勝利する約束」をしてくれたのです。
9月22日には、注目の女子マラソン3選手の記者会見が開かれました。高橋尚子選手は、記者のさまざまな質問にも手際良くはきはきと答えていたのが印象的で、自信に満ちあふれている様子が伺えました。 |
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レース当日の朝も、スタート地点近くを歩いていた高橋選手をたまたま発見。監督と楽しそうに話しをしている様子をみて十分リラクッスできていると感じました。
いずれにしても、二人とも感動の金メダルを獲得できて嬉しかったです。 |
キャンベラの花粉と芝問題 | ||
キャンベラはシドニーから南下すること約300キロにあるオーストラリアの首都でほんと街も小さく人が少ないところです。ここにあるブルース・スタジアムはサッカーの予選が行われることになっている会場で日本からも大勢の選手がやって来ます。
ところが、こちらは春先で花粉の季節であることが判明したのです。しかも日本の杉花粉ではなく、芝生の芝花粉で日本人にとって未知の花粉でどうなるか予測出来ません。なによりも、日本の敵は対戦相手南アフリカと共に、足元にある芝生であることがわかったのです。 |
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オリンピック組織委員会は会場をほかの都市に移すことを示唆したため、スタジアムでは急遽芝を張り替えることになりました。なぜ枯れたか? キャンベラはこの時期でも10℃以下になる位寒いところですが、なんとこの芝は亜熱帯のケアンズという所で育てられた芝で、寒さにやられてしまったそうです。この後、9月14日の日本対南アフリカ戦は無事行われ日本が勝ったのです。 |
アボリジニの主張 | ||
オーストラリアの大地を3000キロも歩き続け、彼らの神聖なる土地で熾した種火をシドニーまで運んで来たアボリジニは主張しました。「われわれの神聖なる大地を返してくれ!」と。
1770年にイギリスのキャプテン・クックらの船がボタニー湾に上陸するより約3万年も前から、先住民アボリジニはこの地で生活を送ってきましたが、移住者はニュー・サウス・ウエールズと名付け英国領宣言しました。先住民は、ブーメランを使っての狩猟などによって生活していましたが、移住者の持ち込んだ病気や飲食習慣・迫害により30万人から16万人に激減してしまいました。19世紀以降おこなわれていた「母子隔離政策」は、「先住民同士の子作りを認めない」というもので、「白人との融合」と言う大義名分に名を借りた強制不妊のようなものでありました。 |
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シドニー五輪の開会式では、アボリジニの歴史を紹介するアトラクションが60分間にわたり行なわれまた。アボリジニのキャシー・フリーマン選手が聖火の最終ランナーとして採用されたり、オーストラリア政府とアボリジニの融和を強調する演出がなされました。しかし、ほとんどのアボリジニ民族は現状にOKではない。成功者は白人との混血であり都会生活を余儀なくさせられている純血アボリジニの失業率は高いのです。インナーシドニーにあるレッドファーン地区の貧民街では、苦しい生活を送っている人々が居るのも事実です。
9月20日、ホームブッシュ・ベイにあるオリンピックメイン会場では50万人もの観客で盛り上がっていました。そんななかで、キャプテン・クックが最初に上陸したボタニー湾入り口の岬では、アボリジニが集結し彼らのオレンジと黒に塗り分けられた旗をその岬に立てるセレモニーが行われ「この神聖なる大地はわれわれアボリジニのものだ!返せ!」と主張したのです。この出来事はマスコミではあまり扱われず、彼らの置かれた厳しい立場を如実に物語っていました。 アボリジニの最高の信仰対象である土地を取り戻す戦いは、まだ始まったばかりです。 |
カップ焼きそばを啜りながら |
手付かずの大自然に溢れている太古の大地、オーストラリアに延べ40日近く滞在し取材をしてきました。時には「カップやきそば」を啜りながら頑張ったこともありました。それぞれの場面で、それぞれの素顔を見ることが出来ました。
開会式では、南北朝鮮の合同入場が実現しましたがこれ一番「五輪」らしい役割を担った出来事として嬉しいものでした。 終わり |