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2006年11月28日(火) text by : サッカー班 添谷徳之

ドーハの悲劇

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日本国民なら誰もが、ドーハと聞いて真っ先に思い浮かぶのがこのフレーズだろう。
1996年アトランタ五輪でブラジル代表をやぶった「マイアミの奇跡」、1998年のフランスワールドカップアジア第3代表決定戦でイランを岡野のVゴールで破り、悲願のワールドカップ初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」と並んで、永遠に語り継がれるであろう日本サッカーの歴史に残る出来事のひとつ。それが「ドーハの悲劇」である。

1993年10月28日 中東の地カタール・ドーハで起きたこの“事件”は、今尚サッカーファンだけでなく、数多くの日本国民の心に深く刻み込まれている。
1997年11月16日の「ジョホールバルの歓喜」で日本が悲願のワールドカップ初出場を決め、2002年にはアジアで初のワールドカップを韓国と共同で開催し、ワールドカップでの初勝利と決勝トーナメント進出を果たした。
そして、2006年のドイツでは、世界との差を改めて感じさせられるグループ最下位での予選敗退。他にも1996年のアトランタ五輪でブラジルを破った「マイアミの奇跡」や、小野・高原・稲本ら“黄金世代”を要し日本サッカー初となる国際大会での準優勝を果たした99年のワールドユース・・・。
あれから13年もの時がたち、これだけ日本のサッカー界が目まぐるしく変化し、成長を遂げていても。それでも忘れ去ることの出来ない苦い記憶。

1992年 日本は、初の外国人代表監督としてオランダ人のハンス・オフト氏を招聘し、悲願のワールドカップ出場に向け強化を図っていた。
また、1993年のJリーグ開幕に伴い、日本国内でのサッカーに対する注目度は、今までの“それ”とは比べものにならないほどに高まっていた。そんななかで望んだ1994年アメリカワールドカップの予選。

日本は、ブラジルでプロとして活躍し、帰国後は日本のエースとして君臨する「キング・カズ」こと三浦知良や、ブラジルから日本に帰化した指令塔・ラモス瑠偉、「アジアの壁」と呼ばれた守備の要・井原正巳らを中心に1次予選を7勝1分けという圧倒的強さで勝ち上がり、最終予選に駒を進めた。

<日本の最終予選登録メンバー>

GK 松永成立、前川和也
DF 大嶽直人、勝矢寿延、堀池巧、柱谷哲二、都並敏志、井原正巳、大野俊三
MF 福田正博、ラモス瑠偉、吉田光範、森保一、北澤豪、澤登正朗、三浦泰年
FW 高木琢也、三浦知良、武田修宏、黒崎比差支、長谷川健太、中山雅史
監督 ハンス・オフト

この最終予選は、中立国である中東の地・カタールで開催され、(セントラル方式)1次予選を勝ちあがった6チーム(日本、韓国、北朝鮮、サウジアラビア、イラン、イラク)による総当りのリーグ戦行い、上位2チームだけがワールドカップへの切符を得ることが出来る。

日本は初戦のサウジアラビア戦を0−0で引き分けると、第2戦のイラン戦を1−2で落とし、この時点でグループ最下位。しかし、後がなくなった第3戦・北朝鮮戦では三浦知良の2ゴールと、前節のイラン戦で途中出場からゴールを挙げた中山雅史の2試合連続となるゴールで3−0と快勝。続く第4戦では、永遠のライバルである宿敵・韓国に対し三浦カズの2試合連続となるゴールで1−0と勝利し、この時点で日本は韓国に変わりグループ首位に立った。

そして望んだ運命の最終戦。この時点で北朝鮮以外の5チームに本大会出場の可能性があるった。そんななか、日本はイラクに勝てば文句なしで本大会出場、引き分けでも他会場の結果次第では本大会出場が決まるという優位な立場でイラクとの最終戦を戦うこととなった。

<最終戦を残しての順位表>

順位チーム勝点得失差総得点
1日本5211+35
2サウジアラビア5130+14
3韓国4121+26
4イラク412107
5イラン4202-25
6北朝鮮2103-45
※この時の勝ち点は 勝ち:2 分け:1 負け:0 だった
※順位は 1、勝ち点 2、得失点差 3、総得点の順で決定


日本は前半5分、長谷川健太のミドルシュートがポストに当たって跳ね返ったところを三浦知がヘディングで押し込んで先制し、前半を1−0のリードで折り返す。
だが後半、日本はイラクに同点とされると、その後も押し込まれる時間帯が続く苦しい展開。

しかし、この嫌な流れを断ち切ったのは、今大会でラッキーボーイ的な存在となっていた中山だった。後半24分にラモスからのスルーパスを受けると右足でキーパーの脇を抜きゴール。これで日本は2−1と再びリードを奪った。その後も、勝てば本大会出場の可能性が残るイラクの攻撃を、気迫のディフェンスで耐える日本。そして迎えた後半ロスタイム・・・。

中山に代わって途中から出場したFW武田修宏のパスミスからイラクに決定的チャンスが生まれる。このピンチは何とか防ぐものの、相手にコーナーキックを与えてしまった日本。
それでもこのコーナーキックさえ防ぎきればワールドカップ初出場が決まるはずだった。
しかし・・・。
イラクの意表をつくショートコーナー。カズがセンタリングをあげさせまいとプレスをかけるが、キックフェイントで交わされてしまう。センタリングがあがる。イラクの選手の頭にピンポイントで合わされたボールは、ここまで日本のピンチを幾度となく救ってきた守護神・松永の右をすり抜けていく。一歩も動けない。ボールはそのままネットを揺らした。
同点。ただ呆然と立ち尽くすだけの選手もいれば、座り込んでしまう選手もいた。ベンチで見守っていた中山は倒れこんで顔を覆った。「なんでだよっ!」
ここまで日本の攻撃を引っぱってきたラモスはピッチに座り込んだまま遠くを見つめ呟いた。「神様・・・」
もはや日本に3点目を狙う力も気力も無かった・・・。試合終了の笛が鳴る。2−2。
ピッチに倒れこみ、泣き崩れる選手たちをオフトがひとりずつ手を取って起こしていく。

他会場では、サウジアラビアがイランを4−3で、韓国が北朝鮮を3−0で下したため、サウジアラビアが勝ち点7で首位。韓国と日本が勝ち点6で並ぶも、得失点差で韓国が日本を上回り2位。日本はグループ3位となり、日本サッカー史上初となるワールドカップ出場への夢はやぶれた。

「ドーハの悲劇」はこうして起きたのだった。

<最終順位>
順位チーム勝点得失差総得点
1サウジアラビア7230+28
2韓国6221+59
3日本6221+37
4イラク513109
5イラン4203-38
6北朝鮮2104-75


余談だが、このときの相手であるイラク代表に関してこんな逸話が残されている。
当時、イラクのスポーツ大臣は、大統領であるアダム・フセインの長男であるウダイが努めていた。そのウダイはイラク代表に関して「勝てばボーナスを払うが、負けたら拷問をする」と選手を脅していたという。そのせいで、代表を辞退する選手も続出した。
また、日本戦で引き分け、ワールドカップの出場権を獲得することが出来なかったために・・・

大会後、数多くの選手が牢屋に入れられた。手当ては没収され、監督の自宅にはミサイルが打ち込まれたとの報道もあったらしい。
それほどの緊迫した状況のなかでイラクの選手たちはこの試合に臨んでいたのだった。

「ドーハの悲劇」は日本だけでなくイラクの側にも当てはまる言葉かもしれない。





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