寺田的世陸別視点

第7回8月20日(月)

スズキ浜松ACの伝統を受け継ぐ新井涼平&斉藤真理菜
強豪揃いの男女やり投で何色のメダルを獲得できるか?

やり投は近年、男女ともアジアのレベルが著しく高くなっている。
男子は昨年、鄭兆村(チャイニーズタイペイ)が91m36とアジア人初の90m超え。2年前のU20世界陸上優勝者のN・チョプラ(インド)は、今季87m43まで自己記録を伸ばし、ダイヤモンドリーグでも上位に食い込んでいる。
女子では昨年の世界陸上で中国勢3人が入賞した。莉玲蔚が銀メダル、呂会会が銅メダル、劉詩穎が8位。67m69のアジア記録を持つ呂を筆頭に、全員が66m以上の記録を持つ。

この高い壁に新井涼平と斉藤真理菜の、スズキ浜松ACコンビが挑む。
スズキ浜松ACは女子やり投で、現コーチの海老原有希が同大会で金メダルを獲得した。男子でも、2010年当時在籍していた村上幸史が金メダル。
新井は前回の仁川大会で銀メダルを取り、日本歴代2位(86m83)も投げている日本の現エース。斉藤も昨年62m37の日本歴代2位を海外で投げ、昨シーズンで引退した海老原コーチの後継者と目されている。伝統を受け継ぐ2人が、超がつくほど強力なアジア勢とどう戦おうとしているのか。

斉藤は“海外の強さ”を発揮できるか

斉藤真理菜の強さは、国際大会で発揮されてきた。
昨年3月末に自身初めての60m台を投げると、年間5試合で60mスローと安定した強さを見せた。ロンドン世界陸上では60m86と五輪&世界陸上での日本人最高を投げ、台北ユニバーシアードでは62m37の日本歴代2位で銀メダルと健闘した。
日本記録は海老原コーチの63m80だが、海老原コーチが広州アジア大会優勝時に投げた61m56の海外日本人最高は、ユニバーで斉藤が上回った。出身大学も同じ国士大。後継者にふさわしい実績を残しつつある。
斉藤は海外に強い理由を質問されると、「あまり緊張しないのか、周りの雰囲気を楽しんで試合ができているからだと思います」と答えている。

しかし今季は、日本選手権こそ60m79で優勝したが、60m超えはその1試合だけ。後述する新井のように技術的に大きなところが崩れているわけではないが、細かい技術ができていない。
ある試合ではやりを長い時間持ちすぎてしまい、ある試合では助走のテンポが遅くなり、ある試合では「ひじや手首が外側から出て内に回ってしまっていた」(海老原コーチ)という。
日本選手権では風の状況を見て、ライナー性ではなく台形のような軌跡で投げた方が良いと判断。投げ出す角度を調整しようとしたが、やりを離すタイミングを3投目まで調整できなかった。
4投目の前に斉藤のこわばっていた表情を見た海老原コーチが、リラックスするようにアドバイスをした。「気持ちを切り換えられて、やりを後ろに残して離すことができました」(斉藤)
それで日本選手権は60mを超えられたが、7月の南部記念は56m40、トワイライト・ゲームスは57m10に終わった。南部は風の強さが影響したが、トワイライトでは「気持ちの切り換えができなかった」と今季の課題が解消できていないことを認めた。今年は海老原コーチに代わって自分が頑張らなければいけない、今年は負けられない、という気持ちが強くなりすぎてしまっているようだ。

アジア大会で斉藤が持ち味である海外での強さを発揮するには、気持ちの部分が大きく影響しそうだ。海老原コーチは「2年後の東京五輪で選手が感じるプレッシャーは、今回よりも大きくなります。本当の経験値を、アジア大会で作ってほしいですね」とエールを送る。
斉藤が海外での強さを発揮すれば63m台、さらには64m台の日本新も期待できる。
中国勢2人にそろって65m以上を投げられたら良くて銅メダルということになるが、どちらか片方が崩れることはあり得る。広州大会の海老原コーチも、金メダル候補とは見られていなかったが、日本新(当時)を投げたことで番狂わせが起きた。
斉藤も「自分が崩れたら何も起こりませんが、自分が良い投げをしたら、何が起きるかわかりません」と、意欲を見せている。
ジャカルタで斉藤が、62〜63mを投げたらメダルの色が変わる可能性が十分ある。

気楽だった2014年仁川大会の新井

4年前の仁川アジア大会の新井は、84m42で銀メダルと健闘した。
前年のユニバーシアードで8位に入っていたとはいえ、サッカーで言う“フル代表”は初めて。記録も前年までは78m21で、80m台にすら届いていなかった。
だが、その年4月に85m48と7m以上も記録を伸ばし、日本選手権にも勝ってアジア大会代表入りを決めた。アジア大会で投げた記録はその時点で自己2番目。新井は4年前を「当時としては、やるべき投げができていた」と振り返る。
ちょうど、スズキ浜松ACに入ったシーズン。フル代表や日本歴代上位記録の実績のなかった新井が加入できたのは、将来を見込まれてのこと。新井は「スズキに入社したからには日本一は当たり前。まずはそのレベルに、自分がならないといけない」と考え、一気に飛躍した。

ちなみに8年前の広州アジア大会のシーズンは、新井は国士大の1年生。
同じグラウンドで海老原(当時スズキ浜松AC3年目)もトレーニングをしていた。
「偉大すぎてもう、話すことなどできませんでした。アジア大会に勝つことがどのくらいすごいことなのかも、よくわかっていませんでしたし」
4年前の仁川大会も、新井は「気楽だった」と言う。
「金メダルは狙っていましたが、プレッシャーは感じなくて良い立場でした。同じ種目に会社の先輩である村上さんがいて、海老原さん、十種競技の右代(啓祐・国士舘クラブ。当時スズキ浜松AC)さんも代表に入っていたので、行動はずっと一緒でした。気持ち良く競技ができた印象があります」
技術的にも、当時できることが「たまたまでしたが、全部つながった」ことで、安定してハイレベルの記録を投げ続けた。アジア大会から帰国後に出場した国体では、86m83の日本歴代2位をマーク。2014年は大躍進のシーズンになった。

“捻り”を取り入れ苦しんだ2016〜17年

翌2015年も順調だった。
自己記録こそ更新できなかったが、3試合で84m台をマーク。北京世界陸上は予選を全体2番目の84m66で通過し、決勝では記録を下げたが9位。入賞にあと1人と迫った。
「距離は84mでしたが、北京世界陸上の予選が技術的な内容は一番良かったと思います」
だが2016年からの新井は、技術が悪くなったわけではないが、間違った方向に進み始めた。5月のゴールデングランプリ、6月の日本選手権、そして8月のリオ五輪と、重要な試合で84m台を投げてはいたのだが…。
「自分の投げは縦方向の回転なのですが、横方向の回転を加え始めてしまっていたのです。リオから崩れ始めていたのかな、と思います」

やり投関係者に話を聞くと、“捻り”を利用した投げだという。海外の選手では珍しくない投げ方で、日本でも行っていた選手はいた。実際にリオ五輪の新井も距離は出ていたし、半年後のフィンランド・チームとの南アフリカ合宿では、その技術を積極的に取り入れた。「こんなに簡単に飛んでくれるのか」と、新たに見つけた技術に喜んで帰国した。
だが新井には、その技術は合っていなかった。最初に肩甲骨を肉離れすると、次に首が痛くなった。左腕に痺れが出始め、やがて右側にも出るようになった。左手の握力が23kgまで落ちた時期もあったという(通常は70kg以上)。首はどんな動きにも使うため、炎症は治りにくい。
昨シーズン中から首の治療に取り組み始めていたが、練習でも痛みや痺れが出ていた。投げなどの技術トレーニングだけでなく、筋力トレーニングも満足にできない。試合には出られたが、成績は低迷した。日本選手権こそ82m13で優勝したが、80m台はその1試合だけ。最終戦の国体は70mにも届かなかった。

“新たな新井”として飛躍の兆し

今季の新井は大きく言えば、2015年までの縦回転の動きに戻している。
アスリートが新しいことに取り組んだ結果、自分には合っていないとわかり、元の形に戻ることはよくあることだ。それは単なる反動ではなく、一度別の動きに取り組んだことで、新たな視点で以前の動きを見直すことになる。
新井の痺れなどの症状は、昨シーズン終盤に出なくなった。歯の噛み合わせの矯正と、首にチューブで重りをつるす地道なリハビリトレーニングが功を奏した。今季はまだ、練習不足の期間があったことと、技術が「つながっていない」ことで記録には現れていない。

大きな技術として捻りを取り入れることには失敗したが、投てきは他にも多くの細かい技術によって成り立っている。新井も2016、17年の2シーズンで、進歩がなかったわけではない。
「脚の使い方、助走の仕方、やりの持ち方・引き方・出し方など、どんどん変わってきて、自信を持てて確定した部分もあります。成長、ステップアップもあった。そうしたいくつもの技術が、2014年は深く考えずに全部つながってくれていました。今はそれができていませんが、つなぐ方法はどこかに隠れているはずです」

練習では、「80mを超えないことはない」と、2014年と同じレベルに戻っている。7月の日中韓3カ国対抗で今季初めて、80mを超える80m83で優勝した。2回の試技で80mを超えたのは、リオ五輪以来だった。
ジャカルタでは仁川大会と違い、前回銀メダリストの肩書きを持って戦わなければならない。年齢もスズキ浜松ACの代表5人の中で、上から2番目になった。4年前よりも背負っているものは大きい。
だがそれは、スズキ浜松ACの先輩たちが通ってきた道だ。新井にできない理由はない。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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