寺田的世陸別視点

第5回8月16日(木)

井上大仁が男子マラソン32年ぶりの金メダルへ意欲
「東京五輪で成功したときに『アジア大会が良かった』と言えるレースに

2月の東京マラソンで2時間06分54秒の快走を見せた井上大仁(MHPS)が、男子マラソン出場選手中一番の記録を持って臨むことになりそうだ。2015年以降日本以外のアジア勢で2時間9分を切ったのは、2時間07分20秒のS・デチャサ(バーレーン)と2時間08分32秒のA・I・アブド(バーレーン)の2人しかいない。

井上は県大会レベルの選手だった中学生の頃から、「世界レベルの選手になる」と書き記し、自身を鼓舞して成長してきた。闘志を前面に出し、学生時代は強気の発言で周囲を引っ張ってきた。
アジア大会も「相手がどんな選手でも金メダルを狙います。夏のマラソンで勝負をして勝ちたい」と、頂点しか見ていない。
その一方で練習では、気持ちが先行し過ぎないように冷静に取り組んできた。
一見、相反する要素を両立させているのが、男子マラソン32年ぶりの金メダルが期待される井上の特徴である。

自然に走った最長月間走行距離

7月29日に米国コロラド州ボルダー合宿から帰国した井上は、マラソンでは自身初の高地練習を次のように振り返った。
「夏のマラソンは(スピードより)我慢が大事になります。走り込みを中心に、マラソンを走れる体作りをしっかりやってきました。(7月1日から28日までの)合宿期間中の走行距離は910km。過去(1カ月で)1000kmを超えたことがないので、自分としては多い方です。タイムや距離を追うのではなく、(強度の高い)ポイント練習もジョッグも、自然と走った結果です」
初代表だった昨年のロンドン世界陸上は2時間16分54秒で26位と、不本意な結果に終わった。失敗の要因は“気持ち”にあったという。
「自分では緊張していないつもりでも、周りから見たら硬さがあったと指摘されました。準備段階でも舞い上がっていたと思います。練習のタイムや距離など、上辺の部分にこだわってしまっていました」

1つの練習に力を入れすぎたり、練習の目的に対する達成度に波が生じたりした。今回は“気持ち”の部分でロンドン前と同じ失敗を繰り返さないようにした。
「タイム設定は高地ということで落としていますが、やっている内容は大きく変わりません。一度にやりすぎて、疲れを残して次の練習に影響が出ることに注意して、脚づくりを行いました」
その結果が、自己最長の1カ月の練習距離となって表れたのだ。

モチベーションになった仁川アジア大会

本番を前に冷静さを強調する井上だが、長期的に見れば闘志や強い意思を前面に出すことで成長してきた。
長崎県諫早市出身。小さい頃は何をやっても目立たない子供だったが、中学で県大会上位レベルになると、「存在価値を認められる唯一のもの」と長距離にのめりこむ。高校入学時には「世界レベルの選手になる」という誓いを、自室に張り出していた。
最終的にはマラソンで世界を狙うことを当時から考えていたが、学生までマラソンには出場しなかった。山梨学院大はOBに2005年ヘルシンキ世界陸上銅メダリストの尾方剛、08年北京五輪代表の大崎悟史、前回アジア大会銀メダルの松村康平(MHPS)らを輩出してきた大学だが、学生の段階でマラソンを走ったのは実業団を経て入学した中村祐二(1995年イエテボリ世界陸上代表)くらい。大学の段階では、競技に向き合う姿勢を重視する指導が行われている。

井上も個人種目ではインカレ、駅伝は学生三大駅伝(10月の出雲全日本大学選抜駅伝・11月の全日本大学駅伝・1月の箱根駅伝)に全力投入した。高校では全国大会に出場できなかった井上が、関東インカレ・ハーフマラソン優勝や全日本大学駅伝2区区間賞など、学生トップレベルに仲間入りした。
だが、卒業後にマラソンで世界と戦うことは常に意識していた。大学4年時に行われた仁川アジア大会も、井上の意識に強く刻まれている。
井上にとってMHPSは地元の超優良企業だが、入社の決め手は大学の先輩でもある松村が、マラソンで活躍していたことだった。その松村が仁川では、トラック勝負でM・マフブーブ(バーレーン)に1秒差で敗れた。1986年以後では最高順位タイだが、松村も銅メダルの川内優輝(埼玉県庁)も、金メダルしか考えていなかった。

井上はアジア大会代表が決定した今年3月に東京で会見した際、「松村さんが仏頂面をされていたことをよく覚えています。日の丸を持って場内を一周しているとき、口がへの字だった」とコメントした(長崎に帰ってすぐに、会見でそう話したことを松村に報告する気遣いもしている)。代表で勝負することへの意識が強かったから、4年後の今もよく記憶しているのだろう。
ボルダーから帰国時に、アジア大会出場の理由を改めて質問された。そのときも「外していい理由がイマイチわかりません。力を持っている選手は出るべきだと思う」と答えていた。

走り込むのではなく「感覚を良くする」

そのくらい井上は代表としての走りにこだわり、国際レベルになることに強い気持ちを持っていた。その意思が井上の成長の原動力であり、日々の生活を律する背景にあるのは間違いない。
代表に決まった翌日に母校を訪れ、後輩たちの前で挨拶と激励をした。「最初から強かったわけではなく、自分に限界を作らず、自分を信じてここまでやり続けられたから代表になれた。理屈がどうこうではなく、やってやるという気持ちが大事だと思う」と話していたのが印象的だった。
だが、その気持ちが練習で強く現れすぎると、練習を継続することにおいてはマイナスに働くこともある。それを学生時代にも経験したし、昨年の世界陸上でも痛感した。

井上が「感覚を研ぎ澄ます」ことを重視していることも、その姿勢に影響している。大きく見れば安定した練習という考え方に含まれるが、練習の目的は自身の感覚をよくすること、と言い切ることもある。
「練習では走り込むのではなく、良い感覚で走ることをつねに目指しています。1時間走るとしても、感覚が良くなれば自然と距離は伸びる。実際、練習で記録を上げようとしたときよりも、動きの感覚を良くしようとしたときの方が結果も出ています」
これも3月に、後輩たちの前で話した内容だが、今回のボルダー合宿ではどうだったのか。

「もちろん動きを意識することもありますが、動きを意識しすぎずに楽に走れるのが一番良いと思う。1km3分ペースもジョギングと変わらない。それくらいの感覚に近づけているときが良い感覚だと思います。タイムを追わずに自然とスピードが上がり、結果的に距離も走っている」
今回のボルダーは陸連としての合宿で、他チームの力のある選手も同じメニューを行うことが多かった。黒木純監督によればそのなかでも井上は、余裕を持って前で走っていたという。

ジャカルタの走り方

2時間6分台は日本選手で過去5人しか出していない。
6分台という数字が強調され、“マラソンで結果を出した選手”と扱われることが多いが、井上はこれまで、悔しいマラソンの方が多かった。昨年の東京こそ自身初の2時間8分台で日本人トップを占め、ガッツポーズでフィニッシュしたが、半年後のロンドン世界陸上は準備段階で自身の気持ちをコントロールできずに失敗した。今年2月の東京マラソンは設楽悠太(Honda)に終盤で逆転され、「悔しさしかない」とインタビューで答えた。仁川大会の松村のように“仏頂面”だった。

その2大会が井上のモチベーションになっているのは間違いないが、悔しさを晴らそうとすると、井上は頑張りすぎるのだ。ロンドン世界陸上の失敗を繰り返してしまうかもしれない。「アジアはアジアとして勝負して、金メダルを取りたいから走ります」と、今はクールな井上がいる。
だがアジア大会へのイメージという点では、アグレッシブな井上になっている。ボルダー合宿中もジア大会の展開を考えながらトレーニングしていた。
「バーレーンやカタールのアフリカ出身選手たちと、どう競り合うか、どこで抜け出すかを考えて走っていました。あわよくば独走に持ち込むことも」
4年前の松村のレースを、ボルダーで思い出していたのではないか。

アジア大会の勝負に集中しているが、2年後の東京五輪までの流れも、俯瞰して考えていないわけではない。
「来年のMGC(9月に行われ東京五輪の代表2人が決まる最重要選考レース)や、2年後の東京五輪がありますが、アジア大会で力を出し切ることが、上のマラソンに挑戦することにつながります。それらの大会で成功したときに、『アジア大会が良かった』と言えるレースにしたい」
目の前の大会に集中することと、長期的に成長すること。強烈な意思を持つことと、冷静にトレーニングに取り組むこと。相反するようにも見える2つの要素を同時に進めることで、井上は成長してきた。
ジャカルタは、井上の強さを見せる絶好の舞台のように思える。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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