寺田的世陸別視点

第3回8月11日(土)

棒高跳・山本聖途が「5m80で金メダル」に確かな手応え
5年前の世界陸上入賞当時との技術的な違いとは?

男子棒高跳の山本聖途(トヨタ自動車)が日本選手権の結果で、アジア大会・金メダル候補に浮上した。
優勝記録は5m70、2位に30cm差をつけた強さが際だった。今季は新しい技術を確かなものにしつつあり、「日本新(5m83)は近いうちに跳べると思う」と、手応え十分の様子だった。

山本は2013年モスクワ世界陸上の6位入賞者。記録的にも世界陸上と国内試合の2度、5m75に成功。当時21歳で日本の棒高跳を背負って立つ選手と期待されるようになった。
ところが、その後の山本はモスクワを上回る戦績を残していない。五輪・世界陸上はすべて代表入りしたが、決勝には駒を進められなかった。記録は室内で5m77の室内日本記録を跳んでいるものの、屋外では5年前の自己記録が更新できていない。
6月の日本選手権優勝時に5年前との違いを質問された。
意外だったのは、「助走スピードも今よりもあったと思います」と答えたこと。それでも今の跳躍に手応えがある。そこに、当時と今の技術的な違いがあった。

“助走が多少走れていなくても高さが出る跳躍”

山本が今取り組んでいることを言葉にすると、“助走が多少走れていなくても高さが出る跳躍”ということになる。
跳躍種目は助走の良し悪しで、パフォーマンスがほぼ決まる。山本自身、「助走が走れてナンボの種目」と言う。
では、どこがこれまでと違うのか。
「今やっているのは踏み切った後に腕でポールを曲げに行くのではなく、体幹を固めて体全部が進むエネルギーでポールを曲げる跳躍です。踏み切りのとき、右肩をしっかりとはめて、体を起こして胸から入る。体全体で押して行くとポールを大きく曲げることができて、体とポールの間の空間を大きくすることができます。その方が反発に乗りやすい」
それができると上昇していく間の姿勢で腰の位置が高くなり、握り(4m60〜80)とバーの高さの違いである“抜き”を大きくできる。

小林史明コーチによれば日本選手権の5m70も、「それほど走れていない助走でも、最後に空中動作をしっかり作って跳ぶことができた」という。その1週間後のダイヤモンドリーグ・パリ大会は、日本選手権後に急きょ出場することが決まった。
「体が重い状態」(山本)で出場したが5m60を、空中動作を上手く作ってクリア。5m70も体は浮いていたが、胸がバーに少しだけ触れて落とした。5月まで低調だった理由は後述するが、6月、7月と山本は目指す技術が結果につながっている。
以前の技術と今の技術は、選手にとっては大きな違いなのだが、我々がポールをボックスに突っ込むシーンを見ても違いは理解できない。観戦する人間がわかる方法はあるのだろうか。
「上手くできたときは空中に弾かれる強さが大きくなって、体が真上にポーンと弾かれる跳躍になる。テレビを見ている方にもわかると思いますよ」
動きの中の注目ポイントがはっきりすれば、より面白く棒高跳を観戦できる。

5年間の停滞期間

13年に世界陸上で6位に入賞しながら、翌年のアジア大会の山本は記録なしに終わった。
確実に跳べると判断して跳び始めた高さの5m35を、3回連続で失敗してあっけなく幕を閉じた。そのときの山本は直前に手首も痛めていたのだが…。
「試合に出ている以上は、ケガをしていたから、というのは言い訳になってしまいます。単純に練習不足、準備不足でした」
アジア大会単独で見るよりも、いくつもの課題を抱え始めたシーズンだったと見るべきだろう。
前年は世界陸上で入賞したが、シーズン後半は腰痛に悩まされ始めた。痛み止めを飲めば試合には出られたが、その冬の練習は腰痛で、グラウンドに行けない日も多かったという。

2014年のトヨタ自動車入社を契機にコーチを小林氏に変更。
6月の日本選手権からは、使っていたポールの長さを5m00から5m10に変えた。世界のトップで戦うためには、世界標準の長さを使いこなさないことには話にならない。小林コーチからそう説得された。
だが山本は、「ポールが曲がっていくタイミング、体が持ち上がっていくタイミングがまったく違いました」と、なかなか使いこなせなかった。2014年はシーズンベストが5m62に終わった。
2015年は北京世界陸上で5m65をクリアしたが予選落ち。5m70を跳んだのは9月末の全日本実業団陸上だけだった。
2016年は1月に室内で5m77と、自己記録を2cm上回る高さを跳んだ。トレーニング・プログラムの開発などを行う米国エクソス社の施設に、シーズンオフに滞在してフィジカルトレーニングを積むようになり、腰痛の克服には腹圧が重要になると気づいたことが大きかった。
だが屋外のシーズンベストは5m63にとどまり、リオ五輪(予選)は5m45から跳び始めたが記録なしに終わった。
昨シーズンは4月に5m70、5m71と、自身初めて5m70台を2週続けて記録したが、ロンドン世界陸上は痙攣を起こして予選落ち。跳び始めの5m30はクリアしたが、次の5m45を3回失敗した。
腰痛は克服したが安定感や、国際大会での勝負強さを欠くシーズンが続いていた。

技術への自信をもってジャカルタに

小林コーチによれば昨年までも、5m70以上の跳躍の多くは“体全体でポールを曲げに行く動き”ができていた。
だがそれは、完全に狙ってできたものではなく、助走が走れていたからできたケースが多かったという。
小林コーチは次のように説明する。
「2013年は、踏み切った後の空中動作は“白紙状態”でした。元々走る能力は高いので、助走が決まれば跳ぶことができるんです。僕が指導をするようになって空中動作も意識させ始めましたが、山本がこれまでやってきた動きとは違ったので、そこの意識の仕方を無理に変えさせるのは良くないと判断しました。おそらく、日本の棒高跳ではこれまで教えてこなかった技術です」

2016年に室内で5m77を跳んだときも、腰痛を克服して体の状態が良く、“体全体でポールを曲げに行く動き”が自然にできていた。昨年4月に5m70台を連発したときも同様だった。
だが、シーズン後半は体力的に落ちることもあり、武器である助走スピードも落ちて結果が残せない。
当初は自分が目指していた動きとのギャップに戸惑いがあった山本も、リオ五輪の失敗で決心がついた。
小林コーチの「オマエを指導できるのはオレしかいない」という言葉にも心を動かされた。2017年から小林コーチが勤務する日体大に練習拠点を移したのは覚悟の現れだった。
「毎年安定して記録を出すには、空中でのテクニックが必要だと指導し続けました。ただ走れば良いではなく、ポールを体全体で押したり、スイングを大きくしたりするための元となる動きを意識させ続けました」

今シーズンに入ると技術が安定し、「短助走なら8割くらいはできるようになっている」(小林コーチ)という。
山本の全助走は18歩で、中助走が16歩、短助走は12歩。全助走の方が大きな力を加えられるが、短助走でもポールの硬さを軟らかいもので行えば、高さは出なくても目指す動きは練習できる。今年3月から短助走でも5m60が跳べるようになってきた。
山本はその頃から、自身の跳躍のイメージが変わってきたという。
「以前は(この技術で)大丈夫かな、という気持ちもありましたが、小林コーチを信頼して取り組んだ結果、イメージが少しずつできてきました。昨年はまだ完璧ではありませんでしたが、今シーズンは“今の状態ならこうすればいい”、というイメージを作ってピットに立つことができています」
2013年の世界陸上も自信を持ってピットに立ったが、それは自身の“勢い”に対する自信だった。ジャカルタではこれまでの国際大会で一番の、“技術への自信”を持ってピットに立つ。

代表で戦うことへの強い意思

アジアには薛長鋭(中国)というライバルがいる。
2013年世界陸上では山本が勝ったが、14年のアジア大会は薛が金メダル、16年リオ五輪、17年世界陸上の薛は連続入賞した。特に昨年の世界陸上は4位。メダルに迫る好成績で、アジア勢の中で頭一つ抜け出た存在になっている。
生年は薛が1つ上の1991年だが、92年3月生まれの山本は日本式にいえば同学年。以前の山本は、薛へのライバル心をはっきりと口にすることが多かった。
中国には5m70を昨年跳んだ選手が薛の他にも2人いるが、ジャカルタ・アジア大会に向けて山本は、ライバルたちをそれほど気にしていない。
「誰が出てこようが、僕は自己新を跳んで金メダルを取るつもりでいます。5m80を跳べば優勝できるでしょう。何が何でもそこは跳びたい」
誰に勝ちたい、ではなく、自分のパフォーマンスに集中する。勝負に勝つためにそうするのだが、意識が自分のやるべきことにより大きく向かっている。
ここ数年は、国際大会が行われる8月以降は、体力的な部分も落ち気味だった。空中動作の技術も不安定だったが、助走が走れないから目指す跳躍はできなかった。

今年は初めて、米国エクソス社で3月にもトレーニングを積んだ。
ポールはまったく持たず、フィジカルトレーニングを徹底して行った。
「1日2時間のトレーニングでも、脚がガクガクするくらいにハードな内容です。トレーニング後に走ることはできませんね。1時間くらい芝の上で寝転がっていました」
3週間の滞在期間中、走ったのは数回だったという。
山本自身は「体の状態が良く、春先から記録も狙える」と思ったが、4月の試合に出ると走り方が崩れていた。4〜5月は5m40しか跳ぶことができなかった。
小林コーチは「走りの大きさやリズムの取り方など、単純にいえばフィジカルで動きを制限していました」と振り返る。上体をしっかりと固めていたため、単純にスピードを出すには良い動きができたが、ポールを保持しながら肩を回旋させたり上肢をひねったり、棒高跳向きの骨盤の動きができなくなっていた。
6月の日本選手権までに修正したことで、柔らかい棒高跳向きの動きができるようになって5m70に成功。“体全体でポールを曲げに行く動き”も成功の頻度が高くなった。5月まで記録が低迷したが、シーズン終盤まで体力を維持する感触を山本は持てている。

山本は手首のケガがあった4年前のアジア大会も、腰痛に悩まされた14年以降のシーズンも、日本代表には毎年入り続けた。
負けることをおそれず、国内でもそれなりの数の試合に出続けた。
その理由を以前の取材で、次のように答えてくれたことがあった。
「代表には絶対に入り続けたいと思っていました。ファンや関係者の人たちにも、棒高跳で誰が代表になるの?となったときに、一番に山本聖途の名前を思い浮かべてほしかった。棒高跳といえば山本だろう、と」
アジア大会では自身のパフォーマンスに集中するが、代表として勝つことに対しては、計り知れないほどの強い気持ちを持っている。
6年連続代表を続けている山本が、今年は強い気持ちと技術的な裏付けをもって、金メダルを狙いに行く。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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