寺田的世陸別視点

第22回8月31日(金)

昨年から新コーチの指導を受け始めた男子200m・小池と棒高跳・山本が金メダル!
金メダルに結びついた2人の新たな取り組みとは?

“感覚”を信じた200m決勝

小池祐貴(ANA)は200m決勝のレース直前に、自身の“感覚”を優先した走りをすることに変更した。
「サブトラックでは昨日の走り(前半からトップスピードで入る走りを)の修正点を考えて、こうしたらもっと突っ込める、とか考えていました。
しかし競技場でスターティングブロックを合わせたら、(どの走りがいいのか)よくわからなくなってきたんです。昔の失敗としては、頭に思い描いた通りに動こう、動こうとして2番になったりしていました。(頭でイメージしすぎるよりも)今までやってきた積み重ねの感覚を信じよう。今できる最高のことは、自分の感覚を信じることだと」

スタートは予選よりも抑えめだった。1つアウトレーンの楊俊瀚(チャイニーズタイペイ)がコーナー出口ではトップ。小池が1m弱の差で続き、直線に入って間もなく追いついた。3位以下を引き離し勝負は2人に絞られたが、直線の後半は2人とも強引な走り方だった。
「150m付近から『あー、脚もたない、ヤバイ』と思いながら走っていました。とにかく腕を振って、気合いで走りましたよ」
その気合いが、このレースに限れば功を奏した。「先に脚を着いたのがわかったので、肩を出したら勝ち」とフィニッシュラインに突っ込んだ。対する楊は、首を前に突き出した。頭の位置は同じになったが、判定されるのはトルソー(胴体)だ。両者20秒23の同タイムだったが、小池の冷静な判断が20秒228と20秒230となって着差が生じた。
今季急成長し、シニアでは初めて代表となった小池が、アジアの頂点まで駆け上がった瞬間だった。
「(自己新での金メダルは)口に出していた目標ですが、本当に実現すると…ホントにやったんだなって…まだ実感がわきません」
小池がここまで急成長できたのは、昨年から指導を依頼している臼井淳一コーチとの出会いが大きかった。

臼井コーチとの出会いで変わった小池

臼井コーチは走幅跳の元日本記録保持者。
8m10の自己記録は今でも日本歴代8位にランクされる。慶大キャンパス内にあるスポーツジムに勤務していた頃に慶大競走部と接点ができ、何人かの選手にアドバイスするようになった。
大学1年時の世界ジュニア(現U20世界陸上)で4位になって以降、小池は伸び悩んでいた。記録も伸びないし、インカレでも勝てない。米国のチームでトレーニングをしても、大きく変わらなかった。「自分のことを客観的に見られなくなっていました。それでリスクの高い練習を優先してやってしまった」。ケガの繰り返しだった。
大学4年時5月の関東インカレで失敗した後、臼井コーチに小池の方から指導をお願いした。
「1人でやることに限界を感じて、僕から臼井さんに『なんとかお願いします』と言いました。1人でやるのをやめたことが一番大きいと思います」
臼井コーチとの練習でわかったのが、感覚を大切にすることだった。
「以前は形をすごく気にしていましたが、『形なんて人それぞれだから、感覚の方が大事だよ』と何回か言われて。そうだよなと思ってからは、練習のイメージが変わりました。練習メニューは臼井さんにお任せして、僕は自分の感覚に完全に集中しています」
2人はケガをしない練習を徹底した。
ケガをなくすことでも「感覚に集中する余裕」ができた。以前のように限界まで追い込まないから、今日の練習よりも明日の練習、明日よりも明後日と確実に進歩していく感覚で練習に取り組めた。
「そうすれば日本選手権の感覚をもう1回、とはなりません。日本選手権の時より強くなっている感覚をアジア大会にも持って行ける」
そうやって小池は、アジア大会金メダルのレベルに自身を引き上げていった。

“次”に向けて小池は、2つの目標を掲げた。
1つは最後までしっかり走りきること。今回のラストは楊とのもがき合いで、フィニッシュ後は2人とも脚の回転が追いつかず倒れ込んだ。
「もっと格好良く最後まで走りきりたい。(慶大で3学年先輩の)山縣(亮太・セイコー。100m銅メダル)さんは最後まで自分の走りを守って走られました」
もう1つは五輪&世界陸上での決勝進出だ。
「ここから自己記録をあとふたノビさせれば、(五輪&世界陸上の)ファイナルにも届く。ここ一番でそういう走りをしたい」
来年のドーハ世界陸上で注目すべき選手が、ジャカルタで誕生した。

山本と小池はコーチもアジア大会メダリスト

29日は陸上競技で2人の金メダリストが誕生した。男子200mの小池と、男子棒高跳の山本聖途(トヨタ自動車)である。
山本を指導するのは小林史明コーチ(五輪強化コーチ)。棒高跳元日本記録保持者で、2003年パリ世界陸上代表だった。アジア大会には1998年バンコク大会、2002年釜山大会と2度出場したが、連続銅メダルに終わった。
山本はコーチが取れなかった金メダルを、2度目の出場でしっかりと手にして見せた。

小池を指導する臼井コーチもアジア大会メダリスト。
走幅跳で1978年バンコク大会、82年ニューデリー大会、86年ソウル大会と連続出場し、銀・銅・銀メダル。届かなかった金メダルを小池が初出場で獲得した。
ただ臼井コーチは走幅跳だけでなく、100m・200m・400m・三段跳でも日本トップレベルの選手だった。4×100mリレーでは78・82年とアジア大会に出場して銀メダルと銅メダル、4×400mリレーはその2大会で連続金メダルだった。
ちなみに82年大会の4×400mリレーは臼井コーチが4走で、陸上競技日本選手団の麻場一徳監督が1走だった。
金メダルを取った夜に改めて、小林コーチへの思いを山本に聞いた。
「リオ五輪で記録なしに終わって、引退も考えていた僕に『聖途を指導できるのはオレだけだ』と言ってくれて、もう一度頑張ることができました。(技術への考え方の違いから)不安もありましたが、小林コーチを信じて身を預けたんです。本格的に指導を受け始めてまだ1年半ちょっとですが、こうしてアジア・チャンピオンに導いてくれました」
翌朝、小林コーチにも話を聞くことができた。自身のアジア大会の成績のことは考えなかったが、4年前の仁川大会で山本が記録なしに終わったことは、かなり意識していたという。
本格的な指導は昨年からだが、山本のトヨタ自動車入社を機に、小林コーチはアドバイスをするようになっていた。仁川大会の行われた2014年は小林コーチの考えで、ポールの長さを5m00から世界標準の5m10に変更し、山本が対応に苦しんでいた時期だ。前年の世界陸上で6位に入賞したが、その後腰痛が悪化。冬期練習を満足にできずに試合に出ていた時期でもあった。
直接指導する立場ではなかったが、なんとかしてやりたかった思いが強かったのだろう。

今後はアジア新記録に挑戦

山本の金メダルは、小林コーチと取り組んできた新技術(コラム第3回参照)の成果だった。これまでの日本の棒高跳指導にはなかった技術で、山本も当初は戸惑いがあった。
2013年に5m75を跳んでいた頃から、良い時はその技術ができていたのだが、良い助走ができたから結果的にできていた。新技術はその動きを、踏み切り後に意図的に行うためのもので、それができれば助走が多少良くなくても、アジア大会優勝ラインの5m70以上を跳ぶことができる。
その技術が今年6月以降は安定してできるようになり、自信を持ってアジア大会に臨むことができたのだ。

アジア大会の難しいところは、予期せぬ事態に遭遇すること。棒高跳ピットは風向きに合わせて両方向に助走ができるつくりになっているが、反対側方向に助走する時のボックス(ポールを立てるために地面に掘られた凹み)の蓋を踏むことになり、そこで「体が浮いてしまった」という。
助走は良くなかったが、踏み切った後の新技術で対応できたのだ。山本は「5m60、70では新技術ができたと思います」と振り返った。
小林コーチも「助走が乗れていなかった」と同じ見立てだったが、空中動作は「60は良くなかった。山本の元々持っている能力があったので跳べましたが、危なかったです」と言う。
「それに対して5m70は、しっかりまとめて跳んでくれましたね。腰は5m95から6m00くらい上がっていました。しかし足の位置がバーに近くて、足の高さはそこまで出ていませんでした」
次の5m84も、5m70と同じ跳躍ができれば可能性はあったが、「高さを意識してしまって、自分の動きができませんでした」(山本)という跳躍が続き、惜しい試技もなかった。
だがアジア大会前の跳躍練習では、6m00の高さにゴムひものバーをかけて跳躍している。実際は「5m85プラス1~2cm」(小林コーチ)だった。日本選手権のときから小林が口にしている「日本記録(5m83)更新」は、間近に迫っている。
アジア大会の山本は5m70の大会新に成功した後、5m84にバーを上げたが、小林コーチからは「(その次は)アジア記録(5m92)を狙うぞ」という声もかかっていた。
アジア大会の大会新記録も、山本と小林コーチにとっては通過点。
金メダルをステップに、五輪&世界陸上でもメダルが狙える5m90以上を二人三脚で目指して行く。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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