寺田的世陸別視点

第18回8月28日(火)

山縣&右代の“両主将”が奮闘。
山縣は超ハイレベルの100mで自己タイ銅メダル
右代は十種競技でアジア大会史上3人目の2連覇達成

不安が過ぎった100m予選

日本選手団全体の主将を任された山縣亮太(セイコー)は、超ハイレベルとなった男子100mで銅メダル。
記録は10秒00(+0.8)の自己タイで、あと少しのところで日本人2人目の9秒台だった。

陸上競技初日(25日)の予選1組では、「不安が少し出てきた」という結果だった。
大会前の自己記録が10秒18だったT・オグノデ(カタール)に先着された。オグノデが10秒16(-0.1)と自己新を出したのに対し、山縣は10秒19。自己記録の10秒00に遠く及ばなかった。
「思った以上にスタートで、オグノデ選手の存在を感じてしまいました」
山縣がスタートで「存在を感じる」のは、2つのケースがある。1つは技術的に上手く行かずに先行される場合。もう1つは完全に集中し切れていない場合だ。

集中しきったケースとしては、今年の日本選手権決勝が挙げられる。
「あとでビデオを見直すと桐生(祥秀・日本生命)選手が見えていておかしくない位置」(山縣)だったが、レース中は視界に誰も入っていなかった。
2つの要素が混じって存在を感じることもあると思われるが、アジア大会の予選では、オグノデの存在を意識してしまった。
そうなると自身の走りに集中しにくくなるが、「横にオグノデ選手の存在を感じながらも、中盤以降は硬くなった感覚がありませんでした」と、プラスの要素も感じられた。
「準決勝でスタートからもっとレースを作っていけば(存在を感じないようにすれば)、明日は行けると思う」
最大のライバルは今季9秒91のアジアタイ記録を持つ蘇炳添(中国)である。そこに、蘇とともにアジア記録を持つF・オグノデ(カタール)の弟が台頭してきた。強気に話した山縣だったが、内心の不安とも戦っていたわけである。
予選2組では昨年のユニバーシアード優勝者、楊俊瀚(チャイニーズタイペイ)が10秒13(+0.6)で1位通過。自己記録を0.07秒も更新した。そして5組はA・A・モハメド(サウジアラビア)が10秒15(+0.7)で1位通過。今年10秒03を出している実力者だ。
アジアの100mの底上げが進んでいることを、山縣も肌で感じていたはずだ。

蘇との1m差を「近い」と感じたのは?

山縣が国際大会で強さを発揮するのは、前のラウンドで感じた課題を、次のラウンドで修正できるからだ。
並みの選手では国際大会の雰囲気に流され、自身の課題を正確に把握できなかったり、把握できても修正をしっかり行うことができなかったりする。
26日の準決勝ではスタートの課題を修正し、10秒10(+0.9)でトップ通過。楊と、10秒03の記録を持つH・タフティアン(イラン)に0.07秒差をつけた。
「予選の反省から、スタートで力を出し切る展開で走りました」
後半で詰められたので後半のリラックスが課題になったが、予選から0.09秒もタイムを縮められた。
「他の選手が準決勝であまり上がって来なかったので、決勝では10秒0台で優勝争いができると思いました。決勝は自信を持って走ることができました」

しかし決勝は、山縣の予想以上のレベルになった。
優勝した蘇は9秒92(+0.8)で、前回F・オグノデが出した9秒93の大会記録(当時アジア新)を更新。2位のT・オグノデと3位の山縣が10秒00と、アジアの大会としては史上最高レベルの争いになったのだ。ちなみに1000分の1秒単位の計測ではT・オグノデが9秒995、山縣が9秒997だった。
決勝では蘇が2レーン外側。
オグノデと隣り合っていた予選よりも、存在を感じにくいレーン配置ではあったが、「スタートした瞬間に存在を感じて、結構行かれたな」と思ったという。
蘇も山縣に劣らずスタートが速い選手で、山縣もそれを想定してスタートでダッシュしたのだが、蘇が予想を上回る速さだった。山縣自身が失敗したわけではない。
「そこからは思った以上について行くことができ、最後は外(一番アウト側のレーン)のオグノデ選手とどうか、という展開でしたが、スタートも良かったと思いますし、レース全体的にもおおむね良かったと思います」

山縣は蘇との差を「近いと思いました」という言い方をした。
0.08秒差、距離にすると約1mの差である。
普通は「近い」とは言えない差だけに、山縣なりの感じ方があったと見るべきだ。日本選手権の決勝のように、スタートで集中した時はレーンだけが見える。今回は蘇のやっていることが、山縣の中でイメージできたから「近い」と感じられたのではないか。
「蘇選手は決勝で、スタートからもっともっと出す、ということを意識したと思うんです。その分、後半が思ったほど差が広がらなかった。中盤以降、差を広げられなかったことは、なんていうか…自信になりました」

山縣は蘇が、自分と同タイプだと話してくれたことがあった。
レースパターンもそうだが、何回か一緒のレースを走り、短時間ではあるが交流もして、内向的で自問自答しながら自身を突き詰めていくところに、共通点を感じていた。
実際のタイム差を見れば自信になるとは言いにくかったが、山縣は少しの間考えてから「自信になった」と言った。ライバル選手が9秒92で走った中身を、一緒に走ることで肌で感じられた。蘇がそれをやるなら、自分もできると感じられた。そこが一番の収穫だった。

アジア王者としての戦い

十種競技は陸上競技の男子主将、右代啓祐(国士舘クラブ)が1500mで逆転して2連勝を飾った。
記録は7878点で、前回の8088点より下げてしまったが、アジア大会の十種競技を2連覇した選手は過去に2人しかいない。
「日本選手権は7回勝っていますが、アジアのチャンピオンには一度しかなっていませんでした。4年の時を経て、記録はともかく2度勝てたということは、アジアのチャンピオンとして君臨し続けたことの証明になります」
右代にとって、ライバルの得点を気にしながら戦うことは王道ではない。どんな得点差であっても、自身の力を出し切ることに全力を尽くす。

今回は最終種目、1500mの時点で、21歳のS・シンコーン(タイ)とはわずか3点差。
1500mで勝った方が優勝する。タイの元ムエタイ選手は瞬発系の種目には強いが、1500mを極端に不得意とする。シンコーンと一緒に走り、最後で前に出れば勝利は確実だったが、右代はそれを“いさぎよし”としなかった。
「彼が1周目、積極的に前に来ましたが、引っ張らせるのは嫌だな、と思って自分のペースで前に行きました。あそこは性格が出ましたね」

アジアの新鋭が7809点と健闘したが、32歳のアジア王者が7878点で、21歳の挑戦を退けた。
「前回は海外初8000点台で、初のアジア大会優勝で、シビれるものがありました。今回は記録的には日本記録への挑戦を目標に設定していました(そこまでシビれるものはなかった)。無難に投げたり踏み切ったりするのでなく、高いレベルの内容に挑戦して、思い切って(パフォーマンス的に)勝負をしに行っています。それが合えば前回の記録も超えられたと思います」
アジアの王者に君臨しながらも、右代が目指すところも、技術的な部分も変わってきている。
右代は感謝の気持ちを強調した。
「(ひざの)ケガで苦しい期間も1年半くらいあり、引退も覚悟したこともありましたが、我慢し続けて糸口を見つけ、戻ってくることができました。サポートしていただいた方たちに感謝したいと思います」
4年間アジア王者を続けることは、1人の力ではできなかった。

2人の主将が結果を出せるのは?

右代は2シーズン以上悩まされたヒザのケガを、歯の噛み合わせの矯正などで克服した。
体格を生かしたパワー型の混成選手ではあるが、技術も年々進歩している。それが現れたのが1・2種目目の100mと走幅跳だ。
100mは11秒39(+1.5)と低調な記録。
ライバルのシンコーンはスピード型で、100mと走幅跳で大量得点を積み上げるタイプ。初日は勝つことはできなくても、最低限の得点を重ねていかないと2日目の逆転が難しくなる。
「アップでも体が動いて、スプリント種目は良いのかと思ったのですが、100mのタイムが思ったほど伸びませんでした。感覚と記録にギャップがある。でも、2種目目の走幅跳まで時間がありません。体の使い方がズレていたと判断して、走幅跳を1本1本、思い切って挑戦することで記録を伸ばしていきました」

右代の走幅跳は1本目が6m77、2本目は6m95、3本目が7m09。右代も、山縣に負けない修正能力でピンチを乗り切った。
山縣も右代も、“主将”の肩書きを背負っていたことで「センサー(気を配る部分)が増えた」(右代)のは間違いない。2人とも陸上競技1日目と2日目に出番がある。チームに勢いをつけたい、という気持ちが、大なり小なりプレッシャーになったはずだ。
それをはねのけたのは、自身の状態を正確に見極める能力だ。山縣は予選、準決勝、決勝とパフォーマンスを上げて行き、右代は最初の種目で“体のコントロール”の仕方のズレを察知して、次の種目で修正した。
修正することができたのは、プレッシャーの大きい国際大会でも自身の状態を正確に把握することができたからだ。
山縣は言う。
「予選の結果で金メダルという目標に対し、不安が少し出ていましたが、どういう状態でも自分にできることは何だろう?と考えて次のラウンドに臨むようにしました」

右代は言う。
「陸上競技の1~2日目の先陣をつとめ、最低限の目標である金メダルを取ることができました。有言実行を果たせたことは、続く選手たちに少しでも力になったと思う」
両主将がどうやって自身の力を発揮したかを、続く選手たちは感じ取ったことだろう。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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