寺田的世陸別視点

第13回8月26日(日)

陸上日本選手で唯一2連覇の資格を持つ右代啓祐の気迫と
前回金メダル種目の“後継者”候補2人の道のり

陸上競技の主将に選ばれた右代啓祐(国士大クラブ)は、女子主将の福島千里(セイコー)と並び、陸上競技では2人だけの3大会連続出場者だ。そして個人種目では唯一、2連勝の可能性がある。
「プレッシャーがかかるポジションで競技をすることになりますが、その中で金メダルを取ることができたらすごいこと。与えられたことへの挑戦を、全身全霊でやり遂げます」
陸上競技の前回金メダルは3個。右代の十種競技と男子50km競歩、男子4×400mリレーの3種目だ。

50km競歩は前回金メダルの谷井孝行(自衛隊体育学校)は出場しないが、自衛隊体育学校の後輩である勝木隼人が、その後継者候補に名乗りを挙げた。競技継続のための苦労を乗り越えて、ジャカルタの地に立つ選手だ。
4×400mリレーは前回金メダルメンバーのうち、飯塚翔太(ミズノ)が連続出場する。
今回は飯塚と中大時代の同級生だった木村淳(大阪ガス)も、2010年世界ジュニア(現U20世界陸上)以来の代表入りを果たした。

「国外で日本新を」と右代

結団式の会場で右代啓祐が大きな目標を掲げた。
「日本記録は4年前ですから、しばらく出していません。そのときは国内大会でしたが、今度は国外で日本記録を出して、表彰台の一番高いところに上がりたい。有言実行できる準備はしてきました」
混成競技(男子の十種競技と女子の七種競技)は、海外で自己記録を出すのが難しい種目と言われている。混成競技に限らず海外の国際大会は、外国選手の形態を含め視界に入ってくるものも、言葉を含め聞こえてくる音も、口に入る食事も、そして匂いも、国内大会とは大きく異なる。知らず知らずのうちにストレスになってしまうのだ。
特に混成競技は2日間、トータルで15時間以上も競技を行う長丁場の種目。その影響を受けやすい。右代も最初のアジア大会(2010年広州大会)は、会場に入ってみたらスタンドいっぱいの観客に驚いてしまった。7702点で4位。当時の自己記録から250点近く悪かった。
「会場が盛り上がっているのに自分の記録に結びつかず、ショックを受けました」
そこから、どうやれば海外の試合でも自分の力を発揮できるかを考え続けて来た。
その成果が1つの形となって結実したのが、4年後の仁川アジア大会だった。8088点の海外日本人最高記録で、24年ぶりの金メダルを獲得したのである。

それをステップに翌年以降、世界陸上と五輪で入賞を狙って行く。
14年の日本選手権では出した8308点を国際大会で出せば、可能なレベルになっていたのだ。
ところが15年から右代はヒザの慢性的な痛みを抱えるようになる。
特に2種目目の走幅跳で影響が大きく、15年以降の五輪&世界陸上は3大会連続20位という結果に終わった。そのヒザの痛みが、歯の噛み合わせの治療を受けることで解消できた。今季は4月のTOKYO Combined Events Meet、5月のゲッチス・ハイポミーティング、6月の日本選手権と7900点台が続いているが、右代には手応えが十分ある。
「状態としては良いのですが、爆発しないでくすぶっている。記録が出そうで出ない状態です。アジア大会という舞台で出し尽くします」

ライバルとなるのは昨年までチームメイトだった中村明彦(スズキ浜松AC)と、昨年のアジア選手権に優勝した21歳のS・シンコーン(タイ)だ。
中村は8180点の日本歴代2位記録を持ち、右代にも何度か勝っている。前回のアジア大会は銅メダルで、日本が2個のメダルを獲得する快挙に貢献した。
シンコーンの自己記録は7732点だが、21歳の若さと、ムエタイから転向して間もないことを考えれば、記録を大きく伸ばしてくる可能性がある。
1日目に得意種目が多いのが、スピード型の中村とシンコーンだ。パワー型の右代が2日目に追い上げる。右代と中村が国内大会で何度も見せているのと同様の展開が、ジャカルタに場所を移し、国際大会ならではの手に汗握るシーソーゲームが演じられるだろう。

2連勝は自分のペースで歩いた結果

勝木隼人は自身が金メダルを期待される立場だと、しっかりと自覚している。
前回優勝の谷井孝行は自衛隊体育学校の先輩。競歩界の悲願だったアジア大会初金メダルを獲得した。谷井アジア大会の金メダルを、翌年の北京世界陸上で競歩史上初のメダルとなる銅メダルにつなげた。
北京世界陸上で4位だった荒井広宙も自衛隊体育学校の先輩で、翌2016年のリオ五輪は荒井が五輪初メダルとなる銅メダルを獲得。荒井はさらに、昨年のロンドン世界陸上は銀メダルと、競歩最高順位を取っている。
そして50km競歩の日本記録を持つ山崎勇喜も、自衛隊体育学校の先輩である。これだけの先輩がいると、周りも必ずそのことを話題にする。
「金メダルは目標ですが、先輩たちに続くことばかりを意識しすぎると、自分のことに集中できなくなって調子を崩しかねません。結果として、後に続く形になれば良いと思っています」
マイペースは勝木の特長だがその裏では強い意思を持ち、自身の道を切り拓いてきた。

高校では県大会も突破できない中距離選手だったが、箱根駅伝を走る東海大の選手に憧れ、一般入試で同大に入学した。
トップ選手たちに追いつくために、月間1400kmを走ったこともあった。通常の学生選手の2倍か、それ以上である。ある意味、マイペースでなければできないことだったかもしれない。
だが、明らかにオーバーワークだった。
「ケガばかりしていましたし、貧血で倒れて気がついたら横になっていた、ということもありました。もう少し頭を使えばよかったのですが…」
1年時の冬にマネジャーになるよう指示された。
だが、リハビリで歩くトレーニングをしていた大学2年時に、競歩のコーチから声をかけられたのが転向のきっかけだった。
「やってみると意外とスピードが出ましたし、競歩のフォームがすんなりできました」
長距離のマネジャーをやりながら競歩の練習を行い、1年半後、大学3年時(2011年)9月の日本インカレ10000m競歩に優勝した。卒業後も競歩でやっていけると自身では思っていたが、大学4年時の成績が少し落ちてしまったため、実業団チームに入ることができなかった。
それでも勝木は、歩き続ける意思を変えなかった。地元の福岡でアルバイトをしながら試合にも出場し、1年後の2014年に「最初は一般隊員と同じ業務をする」という条件で自衛隊に入隊。厳しい訓練を行いながら競技を続け、半年後に競技活動が認められる自衛隊体育学校に入ることができた。

そして2015年10月の全日本競歩高畠大会で初50km競歩を歩くと、5レース目の2017年の同大会で優勝。今年5月の世界競歩チーム選手権で荒井に続いて2位と健闘し、アジア大会代表に選ばれた。
珍しいケースではないが、勝木も特定のコーチをつけず、自身で練習メニューを考えている。その代わり先輩たちのやり方を研究し、取り入れられる要素は積極的に取り入れる。自衛隊体育学校以外の選手とも一緒に練習し、アドバイスを求めることもある。マイペースでかつ、他人を参考にしている。
そんな勝木が初めて、サッカーで言うところの“フル代表”としてアジア大会に臨む。荒井は今季、新たなトレーニングに取り組むこともあり、アジア大会は辞退して、10月の高畠では来年の世界陸上代表を狙う。
マイペースで臨むアジア大会だが、勝木はその先までしっかりと見据えている。
「アジア大会で金メダルを取れば、来年の世界陸上代表に内定します。そこで日本人トップでメダルを取れば、東京五輪に内定する。世界陸上に出るには、アジア大会の方が有利だと思っています」
世界競歩チーム選手権で3位だった丸尾知司(愛知製鋼)が最大のライバルで、同大会で5・6位の中国若手選手も警戒する。
だが勝木は、自分のペースにライバルたちとの戦いも取り込むつもりだろう。

同級生・飯塚との言葉を糧に

木村淳は昨年9月の全日本実業団陸上で、飯塚翔太(ミズノ)と交わした言葉を胸に刻み込んでいた。
「来年はアジア大会だね、一緒にマイル(4×400mリレー)を組めたらいいね、と。何気ない会話だったんですが、あのひと言が僕にとってはすごく大きかった」
今季の木村は昨年までの不調から脱し、日本選手権400mで2位。ジャカルタでは個人種目には出場しないが、男子4×400mリレーと混合4×400mリレーに出場する。
木村はリレーに関しては、強烈な記憶がいくつもある。
中大1年時の2010年のモンクトン世界ジュニアでは、個人種目の200mは準決勝落ちだったが、4×100mリレーで4位(3走)、4×400mリレーで5位(2走)。2種目で入賞に貢献したが、その頃は100m・200m選手としてのプライドもあり、4×100mリレーへの意識が大きかった。
だが自身の将来を考えて400mをメインにする決断を、大学2年時の冬に下した。100m・200mでは故障があまりにも多かったからだ。1・2年時も4×400mリレーには出場し、日本インカレでは2連勝していた。

ところが3年時の日本インカレで中大は、早大に敗れてしまう。3連勝を逃した木村は、かなり落ち込んでいた。
「僕がうなだれているところに飯塚がやって来て、『来年オレが4×400mリレーも走るから、来年リベンジしよう』と声をかけてくれたんです」
木村と飯塚は、高校時代はインターハイの200mで1・2位という関係だった。その差は0.06秒と大きくなかったが、翌年のモンクトン世界ジュニアでは準決勝落ちの木村に対し、飯塚は金メダルの快挙を成し遂げた。
「ラウンドの踏み方も上手かったですし、土砂降りの中で圧勝したレースはまさに王者でした。あれを目の前で見せられたら、一種の幻想のようにも感じられましたが、これはスプリンターとして勝てないと思いました」
ケガが400m転向の理由だったが、200mでは飯塚に勝てない潜在意識もあったのかもしれない。大学3年時に飯塚は、ロンドン五輪にも出場し4×100mリレーでは4走として4位に入賞した。
中大のインカレ4×400mリレーの敗戦は、ロンドン五輪の1カ月後だった。飯塚は翌2013年、4年生として4×100mリレー、4×400mリレーに出場。4×400mリレーは2走で45秒0前後のラップで走り、4走の木村は「あそこで勝負の大勢が決まった」と言う。

その翌年、仁川アジア大会で飯塚は、リレー2種目を走った。4×100mリレーは中国に敗れたが、4×400mリレーは3走を走って見事に優勝した。4×100mリレーを走ってすぐに4×400mリレーを走った飯塚をテレビで見て、「モンクトンの時の自分と同じだな」と考えていた。
その後の飯塚の活躍は詳しく語る必要はないだろう。リオ五輪4×100mリレーで銀メダル、昨年のロンドン世界陸上では銅メダル。日本の2走として2年連続メダル獲得に貢献した。
その飯塚がジャカルタ・アジア大会では、個人種目はもちろん200mに出場するが、リレーは4×400mリレーに専念する。
木村に話を聞いたのは、飯塚のリレー種目が公表される前だったが、次のように話していた。
「去年の全日本実業団陸上の飯塚の言葉は、僕の中では大学3年のインカレとダブるんです。もしも飯塚がアジア大会の4×400mリレーに出てくれたら、一緒に日本新を出したい」
日本にとって強敵はカタールだ。44秒台の選手が2人もいる。
だが、近年は低迷しているものの、五輪で入賞していた1996年や2004年の日本チームは、前半から上位の流れに加わって、個人種目以上の走りを本番でした。前回も2走に200mが専門の藤光謙司(ゼンリン)が起用され、44秒台中盤のラップで独走態勢を築いた。

ジャカルタでも日本は、日本選手権400m優勝のウォルシュ・ジュリアン(東洋大)と、2位の木村に加え、200m優勝の飯塚と同2位の小池祐貴(ANA)を投入する態勢だ。スピード重視の布陣になる。
中大同級生コンビが大学卒業後初めて同じチームで走ることも、プラスアルファの力を引き出す要素だろう。日本の4×400mリレーが⒋年前の再現をする可能性は、かなり大きいのではないか。

寺田 辰朗(てらだ たつお)プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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