週刊Scoop[2月9日号]

ついに明かされた蘇我巡査の過去!「それでもお前は犯人を生かしておくことが出来るのか」

蘇我巡査には年の離れたお姉さんがいた。しかし、蘇我巡査が小学生の頃、性犯罪者の餌食となってしまったという。女性にとって、それがどれだけ心と体に深い傷を負うことになるか、誰にだってたやすく想像がつくだろう。なのに逮捕された犯人は、実刑となったものの刑期は10年足らずとあまりにも短いものであった。性犯罪は再犯率が高いと言われており、海外では名前の公表が義務付けられているところがあるほどである。性犯罪において、被害者は泣き寝入りをせざるを得ないこともある。それは「法廷レイプ」と言われるように、取調べでの細部に渡る質問、裁判で証言台に立つという、自らの思い出したくもない悪夢を常に思い起こさせ、他人の口から冷淡に、時には興味本位で語られることに耐えられないからだという。近頃ではだいぶ配慮がされるようになってきているとは言っても、まだまだ被害者への対応は不十分だと記者は思っている。彼女はおそらく自分と同じような思いをする人が出ないようにとの正義感から、勇気ある告発をしたのではないか。そして想像を絶する苦しみを乗り越える努力をし、家族の協力もあって立ち直ったかと思ったのも束の間、模範囚として刑期より早く出所した犯人に、出所したその足でナイフで殺害されてしまったというのだ。

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「殺す気はなかった」と心神喪失、責任能力の欠如を訴えた犯人側弁護士、では尋ねるが普通の精神状態の人間が人を殺すものだろうか。どんな人間であっても、起こした事件に責任は全くないのだろうか。それでは事件の存在そのものが「なかったこと」になりはしないか。そこには確かに「被害者」と「加害者」が存在するのだ。繰り返される悲劇、なくならない犯罪。しかし蘇我巡査の姉のように、日常を平和に送っていたなんの責もない人が「被害者」になるようなことがあっては絶対にいけないのだ。

(写真) SATの「制圧」、NPSの「確保」。命が大切なことは間違いない。裁判員裁判で「人を裁く」ことが身近になったが、人の善悪はそう簡単に判断出来るものではない。生かすことは赦すことか、犯罪被害者の家族として自らの進む道を決め、技術を磨いてきた蘇我巡査の胸のうちを測ることは出来ないが、香椎隊長の言うように、異論を数で押しつぶし、正義感を押し付け「そんなつもり」がなくてもテロリスト同様の凶悪犯罪を引き起こす可能性がある今、避けることなく考えなければいけない問題なのではなかろうか。

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